禁煙ファシストと呼んでもらっていいわたくしです。
要するに、隣の席でタバコ吸うやつ死ね、と思ってます。
やっと「店では一切吸うんじゃねえ」という都条例が決まり、やれやれと思ってるんですが、いつから実施してくれるんかの、はよしてくれんと死んでしまうわ、副流煙吸わされてるこっちが。
それにしても、厳しい条例です。
「店の中で」はともかく、「店の外でも吸うんじゃねえ」ってのが、なかなかすごい。
外でくらい吸わせてやれよ、とはさすがに少しだけ思いますね、だったらやつらはどこで吸やいいんだ、とは。
だけど席に戻ってくるそいつは鼻をつまみたくなるような悪臭を発してるんで、まあ哀れな話だが、食事の間はずっとずっと吸わないでくれたらありがたいわやっぱ。
しかし解せないのが、条例が可決しても飲食店サイドから今のところあまり反応が見られないって点です、どうしたどうした?
いずれ全店がそうなるんだから、とっとと「禁煙」をウリにしたら、新客をいちはやく取り込める気がするんですが。
逆に、条例の発動ギリギリまでタバコ客を引き留めようって魂胆の店は、時代の波に乗り遅れて禁煙派(国民の80%)の新客に拒絶されるばかりじゃなく、ついに禁煙にした途端にタバコ客をも失うことになるんで、ちょっとゆく末が心配になってきます。
チェーン店の「ロイヤルホスト」や「串カツ田中」は、はやばやと店舗を全面禁煙にしたけど、正解でしょう。
他の串カツ店よりも、禁煙の串カツ店は断然気分がよくてうまいに決まってますからね。
そして禁煙の店舗で串カツを賞味してしまった客は、もう二度とタバコの煙が漂う他の店では串カツを食べられなくなるにちがいありません。
かく言うわたくしも、空気が清潔な酒場で飲みはじめて以来、もう煙がもうもうの店では心地よく過ごすことが困難になってます。
いまだに客にタバコを吸わせてる店は、はやいとこお断りにした方がいいんじゃないすかね。
この経営判断のタイミングは、今や一刻を争う深刻さになってると思いますよ。

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「生命現象の誕生」ってものを突き詰めたくて本を読みまくってると、どうしてもこの手の話には、「生命の進化」までがついでについてくる。
ま、それはそれで面白いんだけど、自分がなにをするべきだったのかを忘れてしまうところが悩ましい。
エビって、動きが不自由そうだよね。
なんであんな形を選んだのかなあ。
その尻尾をおなか側に折りたたんで、カブトを背中側で甲羅とし、内臓をサンドイッチにして内側におさめたのが、カニなんだって。
おかげで、外郭のジャバラの節に置いてたエラの機能を一箇所に集約でき、きちんと地に足のついた生活(横歩きにはなったが)によって、ハサミまで洗練させることができたようだよ。
あと、巻貝ね。
あの空疎なクルクル巻きの貝殻は、最当初のアンモナイトの時期には、バラスト機能だったんだって。
つまり、海の中域(海面でも海底でもない、浮きも沈みもしない位置)に浮遊していられるように調整する装置だったんだ。
そこには敵がいなくて、エサも勝手にあっちからやってきてくれるんで、とても居心地がよかったらしい。
それがいつの間にか海底に居着くようになって、殻は持ち歩ける自分のすみかになり、外敵から身を守る城壁になり、美しい芸術にまでなってしまったんだね。
進化って不思議。
・・・つか、こんな面白いことに心を奪われないように、ちゃんと学びたかったことを見失わないようにしないと!

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東北の大震災から、ちょくちょく災害ボランティアに出かけては、ガレキをひっくり返したり、転がしたりしてます。
くわしくは→被災地ルポルタージュ
みんなもやってみたいでしょ?
やりたいに決まってますよね。
でも、もう一歩踏み出せなくて、それはなんでかっつったら、どうしていいかわかんないし、ってわけでしょ?
それで、ここに災害ボランティアの手引きを記すことにします。
参考にしてください。

まず、日本のどこかが被災しますね。
あなたは疼くわけです。
助けて差し上げたい、と。
そこでまず最初にしなきゃいけないのが、「ボランティア保険」に加入することです。
これは一年間限定の保険で、現地でケガをしたときに補償が出ますし、千円の加入金で、死んだら二千五百万円くらいもらえます(死ぬあなたにはすでに必要のないお金だけど)。
これは、現地で汗を流す際に必ず入ってなきゃならない保険なので、お忘れなく。
近くの社会福祉協議会まで足を運んでこれに入ったら(手間は10分、掛け金五百円からで入れます)、リュックを取り出して、出かける準備をします。
装備、というやつです。
必要となるのは、長グツ、ヘルメット、作業着(長袖、長ズボン)、作業用ゴーグル、粉塵用マスク、軍手、ゴム手袋、タオル・・・てなところ。
だけど被災から日がたつに従って、現地にも支援物資が行き渡るようになり、ボランティア基地などにいけば、ほとんどの装備品を貸してもらえる感じになります。
動ける格好でいけば、結構手ぶらでもOKです(そうでない場合もあるので、最低限は準備しましょ)。
食料や飲料ももちろん自前ですが、水などは救援物資として送られたものが余ってる場合があるので、基地でありがたく頂戴します。
が、基本は持参です。
で、出かけます。
災害直後は、大物をやっつけるための重機などが入ってるので、素人には手は出せません。
「せっかくきてもらっても、迷惑」の場合がありますし、交通網も遮断されてる可能性があるので、ちゃんとそのあたりを確認の上、旅立ちます。
あらかじめ、ネットなどで「ボランティア募集」などの情報をあたっといてください。
被災地である自治体が「ボランティアセンター」「受付」などを開設してくれるので、そこに飛び込むのがいちばん確実です。
それとは別に、民間の団体(NPOや地域有志が立ち上げるボランティア団体)が活動しはじめるので、それに乗っかるのも手です。
最寄りの場所から現地までバスを出したりしてくれるので、そこに潜り込めるとラッキーかも。
で、現地です。
自治体が運営のボランティアベースだと、だいたい受付時間が決められてて、時間がくると「仕事のマッチング」が行われます。
何件かの仕事依頼が被災者さん側から寄せられてるので、主催者がそれを示し、「この仕事をしたいひと~?」「力仕事、男12人募集~」などと呼びかけるわけです。
んで、あなたが手を上げると、他に手を上げてるひととグループになり、うまくいけば自分に合った仕事を割り当ててもらえます。
仕事内容は、ガレキ処理、重量物運搬などのガテン系から、掃除、水仕事、写真の洗浄、被災者さんのお手てモミモミまで、多岐に渡ります。
決まったら、ベースキャンプにたいがいそろってる、スコップ、ツルハシ、ハンマー、土嚢袋、ネコなんかを借りて、だいたい車(これもボランティアさんの供出)で作業現場に移動、となります。
仕事は、現場のリーダーとあなたの主体性に任されてるので、好きなだけ働きたおし、疲れたら好きなときに休憩し、どこもだいたい3時から4時に切り上げて、またベースキャンプに戻ります。
そして解散、また明日、となるわけです。
簡単でしょ?

あと、個人的な意見ですが、ボランティア作業が終わったら、その地域で存分に遊ぶのがいいと思います。
観光地をめぐったり、おいしいものを食べたり、経済活動でふんだんにお金を落とすのです。
せっかくその地まで赴いたんだから、被災者さんへのシンパシーはちょっと横に置いといて、その地ならではのものをたのしまないと。
それもまた、ボランティアさんたちに期待された活動だと思うのですよ。
地域を再起動させるための、重要な行為です。
それを含め、ボランティア活動自体をたのしめればいいかな、と思います。
なんたって、気持ちいいことですから。
ボランティア参加者さんは、半数は止むに止まれず乗り込んでくる一匹狼たち(物好きのおせっかい焼き)、あとはカレシとカノジョ、家族連れ、大学の友達同士、職場仲間が連れ立って、って感じが多いみたいです。
参考にして、よかったら実地に試してみてください。
ご安全に~。



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思ってることを全部書く、と決めたしんどいブログなんで、いよいよ公明党のことも書かなきゃいけない。
この愚かな党ときたら、自分がやってることをきちんと理解できてるんだろうか?
政権にしがみつくために、自民党に土下座しつづける態度は見上げたものだけど、いっそわかりやすく、「平和と福祉」なんてかっこいい党是も捨てればいいのになあ。
公明党さんは例によって、選挙になると「投票してくれ」と(普段のつき合いなんて一切ないのに)お願いに現れる。
「安倍さんがよろしくないのはわかってる」「しかし、その暴走を抑えてるのが公明党なのです」だってさ、はは。
今や独裁者となったあの人物をほんの少し諭したかのようなポーズをつけ、その後、今や恒例となった問答無用・傍若無人の強行採決にホイホイと従うわけだ。
大した神経を持ってるわ。
自民党にすり寄る公明党が、オレには、アメリカにすり寄る日本、という構図とそっくりに見える。
今やアメリカは、世界が協力しあって築き上げてきた約束ごとをすべて反故にして、身勝手なひとりぼっちになろうとしてるわけだけど、そんな親分を最後まで支え従う身分の者(この者こそが真の意味でひとりぼっちなんだが)が、日本。
アメリカの振る舞いは世界中から顰蹙を買い、日本の態度もまた世界中から侮蔑されてる。
信頼されてる子分なら、親分がトチ狂ったらきちんといさめてコントロールせんかい、と思うんだが、親分から見れば、子分に対する信頼感なんてさらさらなく、ただただ利用するだけのためにそばに置いてるだけ。
それでも子分としては、滴り落ちてくる甘いおこぼれの味が忘れられないんで、どんな屈辱にも耐えることができる。
自民党にすがる公明党にそっくりの関係ではないの。
しかし、心ならずもアメリカに従うひとりの日本人としての自己嫌悪をかえりみると、公明党さんたちの自己嫌悪も相当なものであろう、とも思う。
だからこそ、言いたいの。
主体性なんていくらでも捨てられる、と決意した奴隷は、わりとしあわせなものなのかもね。
こうして、世界は滅びてくわけだ。
だけど発言をあきらめたら、自分なんて無いも同然だぜ。
オレは発言することをやめない。
選挙前になると現れる公明党さんに言っておく。
「リベラル?なにそれ」って言ったよね。
お前に、オレに対する発言なんて認めない。
だいたいお前、ほんの少しでも戦ったことがあるのかよ。

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プラティニやベッケンバウアー、新しいところではマラドーナなんて時代から、ザラザラのブラウン管スクリーンの中でW杯を観てた身には、この大会は海外の最強国同士が戦うお祭りなんで、日本代表にはあまりシンパシーがない。
それでもまあ自国なんで応援はするわけだけど、今回ほど応援しててバカバカしいと思ったことはない。
日本代表は常に、弱いという以上にどうしようもなく下手で、観ちゃいられないのだが、今回はわりと上手になってた。
が、ゴールすればそりゃうれしいが、このむずむずの違和感って。
そもそも最初から、メンバーを見渡して、ときめきがないではないの。
くたびれたおっさんばっか。
そして試合内容があのザマ。
ほんの少しばかりの結果を残して、ありがたやありがたやの大達成感にひたってる日本国民は、なかなかおめでたい。
この最後にきてのまやかしの充実感は、一言で言えば「自尊心を捨てて卑怯なことをやっちまった」贖罪を「最後の試合のがんばり具合いでなんとなく払拭」でき、しかも「きれいな感じで敗退」できた功罪相殺のおかげ。
まったく、誰もが納得するいいところに落ち着けたものだ。
それにしても、なん・・・っにも残らなかったよ。
かつて活躍した選手を用い、そこそこに働かせ、まだまだできるぞう、としてみたところで、日本に得はあったのか?
まったく新しい選手を使って世界にアピールできてたら、単純に移籍金他で100億円ほども儲かったはずだが、そんな顔は誰一人として出てこなかった。
出たとすれば「ハンパない大迫」だけど、翌試合のおっさんたちの働きのおかげで、一瞬にして忘れ去られた感がある。
じゃまやねん、おっさんたち。
若手が腐ってるわ。
海外勢においても、メッシ、ネイマールは錆び、イニエスタ、エジルはほとんど機能せず、取って代わって若い連中が、おっさんをはるか置き去りにして飛び跳ねてる。
フランス、ベルギーなんてチームの躍動感ときたら、まぶしいかぎりだよ。
古い世代が滅び、新世代による新しいサッカーが生まれる。
日本はその意味で、やっちまったチームの典型例。
そこそこ結果を残した?
わりかし満足した?
いやいやいや・・・若くて新しい顔を使ってたら、どうだったかな〜?
それは誰にもわかんないけど、この新時代をつくろうって大会にノスタルジーを求めてどうすんの。
日本は、四年に一度の素晴らしい機会を一回損した、と心から思う。
でも、みんなベスト16で満足なんだよね、おめでとう。

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複製と繁殖は違う、とよ。
自己複製は、下で見てきたように、非常に難しい作業だ。
しかし、概念自体はシンプルなものだ。
細かい指示書があり、作業をミスなくこなせば、実現はわりと容易となる。
が、生命にとって重要なのは、完コピではない。
生命体の複製品を大量につくっても、そこには多様性が皆無で、先には永遠のループが待ってるだけ。
これでは面白くない。
そこで高度な生命は、恋愛、という概念を設けた。
すなわち、別々の仕様書を持ったもの同士を掛け合わせて、多彩に展開していこう、というわけだ。
ひとつの色ともうひとつの色を混ぜ合わせると、ちょっと複雑な色になり、それにまた別の色を混ぜ合わせると、さらに深みが出る。
いいとこ同士を取り出せば、より生き残れる可能性が高くなる。
一方で、コピーの過程でもミスが出る。
出来損ないが多く発生するが、その中のひとつの「試作品」とも言える機能が、運よく環境にマッチすれば、これまた他を出し抜け、生きのびるのに有利になる。
キリンは高い木の葉を食むために首を伸ばした、という進化論は、今や過去の論法。
キリンの先代種は、多くの実験(突然変異)を繰り返したのだ。
その失敗の中から、たまたま首の長いものが現れ、それがたまたま環境にマッチし、ほかのタイプのものを淘汰して生き延びた。
それが本当のキリンの進化のプロセスであり、本当の進化論。
さて、そんな具合いに「展開」なんてところにまで考えを及ばせて、次世代を組み立てよ、と仕様書が言ってるとなると、これはもう、ある一代かそこらの個人的なひらめきによって開始された、なんてものではない。
やはり種全体に総体意志があり、そいつが生命体全部を俯瞰した立場から指示を下してるとしか思えない。
やっぱ我々生命は、宇宙からきたんだろうか?
そして我々は、宇宙に操られてるんだろうか?
・・・なんて、気が狂ったふりをしてみたりして。

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リン脂質、すごいっす。
ものの本の図式で見るとこの物質は、丸いアタマに、直接足が二本生えたような形をしてて、つまりコンデンサみたいな姿なの。
マッチ棒の火薬のない方が二股に裂けたような、つか。
まあここではシンプルに、マッチ棒をイメージしてくれたらいいわ。
その火薬のついた丸い方が、水を好むのだ。
水があれば、くれっ、と言って頭を突っ込むの。
逆に、マッチの持ち手の側、つまり足の部分は、水を嫌うというんだな。
丸い頭の方を「親水性頭部」といい、足の方を「疎水性尾部」という。
そんなリン脂質の分子一個を、油が一滴浮いた水の中に放り込んだとしよう。
油に足が張りつき、水を好む頭は外向きに、つまり水の側に接した状態でそっぽを向く。
この分子を、じゃんじゃん水面に投入するとどうなるか?
多くの足が油に張りつき、やがて滴を一周して、おびただしいリン脂質が、油の円周を美しい横列で覆う膜となる。
わかるかな?
お互いに接し合ってた水と油滴が、今やリン脂質の一層を間に置いて、完全に隔てられたんだよ。
この実験では、水面の油滴という二次元モデルを例にしたけど、水中の油滴(三次元)でも同じことだ。
球体の油滴の外面全体を、リン脂質は美しいまでの隊伍を組んで取り囲み、油を水と分離させる。
水の中に落とされた油玉を、リン脂質でできた容器が包み込んだわけ。
これは、生命活動に必要な最初の要素である「系の独立」を実現する構造だ。
そして、生命は実際にこの様式を採用した。
リン脂質がびっしりと同じ方向に並んだ細胞膜は、何億年もの間、原形質を外界から守りつづけたんだ。

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東京都で、タバコ規制がはじまりそう。
飲食店でタバコは吸えません、ってもの。
うれしすぎ。
当たり前なんだけどね。
今度こそがっかりさせないでくれ、小池知事!
飲んべのオレは、昔はタバコの煙がモクモクと立ち込める店でうんざりしながら、それでも平気で過ごしてたんだけど、今では無理。
タバコ禁止の店で飲むようになってから、マジでタバコの煙の中で過ごすのが無理になった。
これまで、いかに気分悪く過ごさせられてきたか、思い知らされる。
「こんなに新鮮な空気の中で食事が楽しめるなんて!」って当然のうれしさを、日本のほとんどの飲食店では感じることができない。
あるいは、食事の本当の美味しさと居心地のよさを感じることができない、と言い換えてもいい。
タバコの煙の中で食事を味わうのを強いられることがどれだけ異常極まる事態か、怒りとともに思い返さなきゃ。
この条例が機能しはじめた、おそらくわずか一年後には、「食事の席でタバコ?おまえアタマおかしいの?」という感覚が常識化してるにちがいない。
本当に実現してほしい。
当たり前の環境が。

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やっぱしブラッドさんは、ソロものが最高です。
なんたって、ナルシスト。
リズムのコントロールも、ベースラインも、全部を自分ひとりで奏でて支配しなきゃ気がすみません。
そんななんでも屋なものだから、ソロピアノも、トリオもののようなひろがりのある聴きあたりになります。
なぜなら、このひとのピアノには、旋律が三つあるのです。
三つの音(ふたつのメロディラインに、リズム音)を、けろりと同時に弾いてしまうのです。
オーケストラの演奏を一台ですませるのがピアノという楽器なわけですが、そうした解釈ともまた違います。
ブラッドさんのソロ演奏の映像を観ると、中音域に置いた両手の親指と人差し指に代わる代わるにリズムセクションを担わせ、空いた指で、つまり左手の残り指で低音域のメロディライン(ベースラインでもなく、きちんとした旋律)を、右手の残り指で高音域のリードラインを弾いてます。
その超絶技巧は、まさしく変態。
まったく不思議な音色です。
耳あたりは、直感でまず、ピアノデュオのような音の分厚さがきます。
ところがデュオとは違い、その何種類かの音には、当然ながら完全な意思の疎通(統一)と調和があります。
デュオ演奏においてふたりのピアニストが個性をぶつけ合う面白さは、ある意味、聞き苦しさでもあるわけですが、ソロピアノには、そういった音の破綻、偶発的なトラブルがどこにも存在し得ません。
ふたりのブラッドさんが、気持ちを通わせながら同時に演奏してるようなもの。
どういう脳のつくりなのでしょうか?
さて、本作ではそんなブラッドさんが、バッハの曲を展開してます。
展開というのは、つまり変奏と言っていいものかどうか、とにかくバッハさんの曲を解体して、いろんな現代的テイストを加味しつつ、新しい音につくり変えていく、というものです。
まずは、バッハそのもの(プレリュードやフーガ)の演奏が入ります。
バッハの時代は、ピアノじゃなくチェンバロの演奏が主流で、その楽器では音の強弱が表現できないために・・・というよりはむしろ、演奏よりも、組み立てられた旋律そのものが重要視されたために、バッハ演奏の作法として「楽譜上のすべての音のツブをそろえてのっぺりと弾く」ってのがお約束になってます。
このブラッドさんのアルバムでは、それをいったん作法通りに弾いて見せた後、その原曲を驚くべき解釈でメルドー節に構築し直していきます。
これがもう、本当に驚愕させられるのです。
アレンジが変態的すぎるし、なにより、美しすぎ。
クラシカルな学術論文を、高度な数式に書き換えたような・・・って言い方は分かりづらいでしょうか?
ある曲などは、分解ののちに7拍子に改造された挙句に、左右の音がまったく別々に展開し、さらに途中からリズムが裏返り・・・うむー、この構造をどう表現するべきか・・・
湯船に浸かりながら、防水オーディオではじめてこのくだりを聴いたとき、誇張なしに、どういうわけか抱腹絶倒させられました。
あまりのことに、吹き出してしまったのですよ。
そしてその直後に待ち受けるクライマックスでは、ホカホカの湯の中で鳥肌ぞわぞわに。
鍵盤の全音域を低→高へ一気に指が横断するわけですが、ここの7拍子変換がえげつない。
やっぱしこの変態感が、すき。

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日大のセンス、想像以上ですね!
いやー、おもしろい!
よめはんの肩の落としようと完全に反比例して、ものすごくおもしろいです!
いろんなキャラがふんだんに用意されてて、こんなに豊かな舞台芝居ってありませんよね。
言ってることはスカスカなのに妙に胸を張ってる支配者に、ボキャブラリーが貧困すぎる筋肉脳の取り巻き。
二週間も雲隠れしてたんだから、もう少し策を練っとけよ〜(アメフトの戦略って、バカでもできるんだなあ)。
それに暴虐極まる進行役の配置まで、ほとんど吉本新喜劇かと見まがいます。
そんなひどいありさまの権威側に対比して、ひとりものすごく健気な自己犠牲の勇者。
この図式は、日本人が昔から好む勧善懲悪ものの典型。
報道が食いつくのもわかります。
だけどこれ、また政権による目線の誘導じゃないですよね?
都合の悪いことが出てくるたびに、世間の目を引く大事件が起きる、ってのは不思議。
それにしても、日大はどうなっていくのかな・・・
立ち上がらなきゃ、OB。
・・・だけど、穴があったら入りたいその気持ちもわかる。

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