紀元がはじまる頃にプトレマイオスが確立した天動説は、天上の星々の動きをわりとうまく描写してたようだ。
この考え方は千年以上も(あの教団による異端弾圧のおかげで)生き延びつづけた。

ところが、改めてきちんと観測してみると、完全な円であるはずの惑星の軌道が、実は楕円にゆがんでるという問題が持ち上がってきた。
おかしいなおかしいな・・・と感じながら、中世になった頃、コペルニクスがようやく「天動説まちがってんちゃうん」と言い出したんだった、死を覚悟して。
考えてみりゃ、地球を中心に頭上の天球(空にかぶされた壮大なドーム屋根)が回転してる、って理論基礎はあまりにも古くさい。
そこで、全天の星背景を不動のものとし、相対的に地球を回転させる(すなわち地動説)ことにしたわけだ。
なにしろ、太陽を中心に、水、金、地、火、木、土、の惑星が同心円上を周回してくれる図はシンプルで、かつ美しい。
ここにガリレオが望遠鏡を手に現れ、木星を周回する衛星を見て「やっぱコペ説、まちがいねーわ」と、太鼓判を押す形になったんだった。

ところで、天体の運動論におけるガリレオの役回りの重要性はそこじゃなく、本文とはまったく関係なく思える「慣性の法則」の論理立てだ。
かいつまんで言うと、「動きはじめたものはずっと一直線に動きつづける」「ただし外から力を加えない限りな」というやつだ。

それは少し横に置いておく。
さて、天上世界(宇宙空間という概念はまだない)の構造理解が更新されても、やはり惑星の軌道は楕円に見えてしまう。
最先端の天文台を任されたケプラーが、精密な観測記録を元に軌道計算すると、惑星の描く楕円形は二次関数の法則に正確に従ってることが明らかになった。

こうして、正円軌道という幻想は完全に葬り去られる。
そしてついに、微分と積分(二次関数の表現式!)の発明者であるニュートンが現れるんである。
まあ逆に、惑星の軌道を数式で説明するために微積分法をつくってしまったわけだけど、それほどの天才だ。
ここでガリレオの慣性の法則が出てくるんである。
この法則をもちろん知ってるニュートンは、大砲の弾道を研究してた。
大砲のタマもこの法則に従い、「動きはじめたら一直線に動きつづける」はずなのだ。
ところが、撃ち上げられたタマは、なにかわからぬ下向きの力を受けて軌道を曲げ、放物線を描いて地上に落ちる。
二次関数だ。
・・・まてよ、この曲線のスタートとエンドをなめらかにつないだら・・・まさか楕円形にならん?

 
これを読んでるみんなも、ちょっと興奮してこん?
天上界の星の動きが、地上のルールと結びついてるとしたら・・・
いいとこだけど長くなりそうなんで、「万有引力編」につづく。

 

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みなさん、ルネサンスを、ただの美術様式の変革だと思ってませんか?
ちゃうんすよ。

昔々、ギリシャ時代~ローマ時代初期、人類の叡智はすっかりと成熟を遂げておりました。
アリストテレスは円周率の近似値を果てしない精度まで求める方法を知ってましたし、ユークリッドは素数が無限にあることを数式で証明してましたし、ピタゴラスはドレミの音律を代数計算でクリアに割り出してました。
ところが例のおっちょこちょいな教団のせいで、ローマ帝政は千年もの間、戦争テクニック以外のなにも発展させなかったんです。
なにしろこの教団ときたら、「考えるな、信じよ」「新知見を口にした者はぶっ殺す!」という大変な教義を掲げてるもんですから、人類はすっかりバカになってたんです。
そんなわけで、中世では円周率は3,17の先が混乱してましたし(しかも間違ってるし)、世紀初頭に書かれたガレノスの医学書が数百年もの間、医療従事者の教科書として使われてるありさまでした。
その間に数学や天文学はイスラム圏と仏教圏で高度に発展しており、ヨーロッパ人が「下等文明」と蔑む植民地から学習するしかないという始末。

こんな事態に反感を持つ・・・ということ自体が、人類の知性と言っていいでしょう。
中世後期になって(随分とかかったもんだな)、コペルニクスは思案し、ガリレオは観察し、ケプラーは論理を用い、ニュートン・ライプニッツは計算をして、宇宙論において神さまの存在必要を否定したんです。

知性・教養に基づいて自分で判断をしよう!信仰のがんじがらめから離れてリアルな人間性を自由に表現しよう!って運動は文学方面にも波及しまして、ダンテやシェイクスピアという描写のこなれた作家が出てきました。
印刷技術の発達で、市井の人々が文字を読んで学識を持てるようにもなりました。
それまではずっと、かしこいひとのひらめきは秘匿されるか握りつぶされるか、だったんです。
新知識に接して、世間はまさに蒙を啓かれる思いだったことでしょう。
そして、ルターが出現します。
支配地域の拡張に躍起になり、金稼ぎに狂って腐れ外道と成り下がった教団を「ぶっこわーす」なんて宣言して、聖書を言葉通りに感じましょう、って宗教改革がはじまったんです(この人物が正解とも言えないけど)。
それにしてもこの教団の姿勢ときたら、言うことを聞かない勢力は叩き潰す、帝国と組んで世界を征服する、って考え方自体は現代でもあまり変わってないようですね、今のアメリカの状況を見てますと。

そんなわけで、この大きな流れがルネサンスなんです。
「再生」を意味するこの言葉は、要するに、基本に立ち返りましょう、という表現活動です。
こうして美術は、神聖なものと結びつけて光り輝かせてた肖像画に、解剖学のリアリズムを持ち込んだわけです。
科学の探究は自由、芸術表現も自由、発言も自由、人間は自由!
人々の中に閉じ込められてたその思いを、ついに解き放ったのがルネサンス、というわけでした。
そういう目でルネサンスの絵画を鑑賞すると、また違った見え方になるかもしれませんよ。

 

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川って、実はそこにあるわけじゃないのですよ。
あるのは、谷であり、地図上の川すじののたくりだけ。
そこに水が流れ込んで、はじめて川という現象になりますが、水は常に動きつづけて、ひと所にとどまっていられません。
ゆく川の流れは絶えずして元の水にあらず・・・なんて昔のひと(鴨長明さん)は諸行無常をうまく表現しました。
今日ある川は、昨日あった川とはまったくの別もので、内容がすっかり入れ替わってるのです。
つまり川の実質は、文字通りに流動的です。
生物も同じです。
常に摂取と排泄、新陳代謝によって中身を入れ替えつつ、体系と機能と姿かたち・・・すなわち、わたくしとしての体裁を保つのみです。
今現在の自分の肉体は、半年前に存在した(そして今はもうない)自分の肉体のコピーにすぎません。
 

ところが不思議なことに、生物は川のように、空間上に鋳型を持っていませんよね。
なにもない座標に、どうしたわけか物質が集合し、わたくしは超然と存在しつづけます。
ではそこにあらかじめになにがあるのかというと、遺伝子なのである・・・とするのが福岡ハカセの動的平衡論です。
どこにおわすとも知れぬ遺伝子が「せよ」と命じると、その指示に生命機械が従い、物質世界から素材を集めて、自らを組み立てます。
生物は、鋳型の代わりにゲノムという「設計情報」を与えられておりまして、その情報に物質が流れ込むと、生命機械(つまりわたくし)が立ち現れます。
情報は生命機械の内部に組み込まれてるのですが、その生命機械をつくり上げるのは情報です。
昔々、そんな循環のメカニズムが忽然と出現し、設計と具現のフィードバックサイクルが開始されました。
それにしても、このニワトリと卵とはどっちが先だったんでしょうね?

物質世界から素材を取り込み、生命機械にタンパク質をつくらせるようにDNAが指導するセントラルドグマは、知性の仕事としか言いようがありません。
その知性なるものを、いったい誰がつくったんでしょうか?
とりあえず、知性ある何者かがわれわれの知性をつくった、としましょう。
とすると、その知性ある者とはなんなのかはさておき、そこにはさらに本質的な問題・・・つまりその何者かの知性をつくった先にさらなる知性が存在するはずだ、という疑問が生じます。
それは最初の霊魂がつくったのだ。(だったらその霊魂は誰がつくったのか?)
それは宇宙人がつくったのだ。(だったらその宇宙人は誰がつくったのか?)
それは大いなる宇宙意思がつくったのだ。(だったらその宇宙意思とやらは誰がつくったのか?)
それはわたしがつくったのだ。(だったらそのわたしは誰がつくったのか?)
すべては夢想だ。(だったらその夢想とは誰のものなのか?)

・・・

多くのひとはここで万能者(神さま)の存在に逃げますが、だったらその神さまとやらは誰がつくったのか?という、やはり無限後退の曼荼羅の迷宮をめぐることになり、はっきりとした答えを示すことができません。
結局は科学も宗教も、この最初にして根本的な難問、すなわち「なぜなにもないのでなく、なにかがあるのか?」というところに行き着くしかないのでした。
なにも解決しないまま、今回はおしまいです、ちゃんちゃん。

 

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さて今回は、モノを刻んで刻んで、いちばん小さく刻みきった先には、なにが残るか?のやつ。
・・・ギリシャ哲学の昔からある定番ネタですが、その実相をあなたは理解してますか?

物質の最小単位である原子を細かく分解しきると、クォークという素粒子・・・つまり、もうこれ以上小さくは分けられない最後の部品になります。
万物の基本素材であるクォークは、粒ではなく、テレビの電波みたいな波の姿をしてます。
手に触れようにない、「無」にして、真空を震えてひろがるエネルギー。
そんな芒洋とひろがるエネルギーの波を、一点に集めてカプセルみたいに丸めちゃう力が、この世界には存在するのです。

「のり(グルー)」と名付けられた引力がそれで、神さまはぼくらの世界に「万有引力」「電磁の引力」と、この「クォークにだけ働くのり」という三つ(のみ)の引力を用意してくれました。※1
こののりもまた「無にして波」のやつなんですが、クォークを三つひとからげにくっつけて、せまいせまいエリアに閉じ込めてしまう力を持ってます。
そして「のりに捕まったクォーク三個のユニット」こそが、すべての物質の素(水素原子核)となります。
のりの引力は猛烈で、かつ力の及ぶ範囲はものすごく短く、ちょうど水素原子核の半径くらいまでしか届きません(つか、その引力圏のせいで水素原子核はこの大きさになります)。
クォーク(×3)は波なので、のりの引力圏であるせまいエリア内をもわもわと飛び交います。
そして、決して檻の外に逃れることはできません。
果てしなく拡散したがる「手応え無的エネルギー」も、強い引力で一箇所にギュギュッと押し込められますと、それは質量という現象になりまして(おなじみのE=mc2)、これによってクォーク×3ユニットは、物質のタネとしての体裁を整えます。

ちなみに、こうして出来上がる水素原子核は、+に荷電します。※2
すると原子核同士は、同電荷で反発し合って、お互いに触れ合うことはできませんよね。
だけど、二つの原子核をものすごいスピードまで加速させてぶっつけ合わせると、その乗組員であるクォーク同士が、相手ののりの効力が及ぶ距離にまで近づいてしまいます。
電荷の反発の障壁を越えて、今度はのりの引力が効果を発揮するわけです。
すると、あれほど相手を強く拒絶してた原子核同士が、逆に猛烈な力で引き合うはめになり、大爆発(どっかーん!)と同時にくっついて・・・つまり融合してしまうのです。
これが核融合です。

そんな原子核同士を引き離しますと、またまたどっかーん!・・・大爆発しまして、これが核分裂です。
よくニュースに出てくる核ってのは、実は小さな小さな原子核のことでして、その爆発力の元をたどると、クォーク同士を結びつけるのりの力に行き着くのです。
融合や分裂のたびに起こる大爆発は、原子核のかけらがエネルギーとして解放される現象でして、これもまたE=mc2(「エネルギーは質量の別の姿だよ」=そうたいせいりろん)の結果です。

いかがですか?
わけを知ると、世界のあっちやこっちが結びついて面白いですよね。

※1 これらの引斥力と、放射性崩壊を引き起こす力との四つとで、自然界の振る舞いのすべては説明できます。
※2 核を構成するクォークには、+2/3の電荷を持つアップクォークと、−1/3の電荷を持つダウンクォークの2種類があります。
これらのうちの三つが選抜されて核子を構成しますが、アップ・アップ・ダウンというユニットだと、電荷が合計で1になって陽子(つまり水素原子核)となり、アップ・ダウン・ダウンのユニットだと電荷が打ち消され、電荷が0の中性子となります(ぶんすうをたしざんしてね)。
ま、このモデルの論理構成はすべてが数学における机上の仮想ですが、この計算で世界の構造がうまく説明できるので、量子論の根本となってます。

 

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生命の起源って、どこにあったの・・・?

この点は、ほんとに謎に満ちてます。
無機物しかなかった時代に、原初生命は、石ころと空気から生ずるしかなかったんですから。

だけど実際、最初期生命は、それらを用いて有機的自律システムをいちから構築したのです。

それには、素材である元素の性質と、化学の力(電磁気力と核力)を用いるより他には頼りどころがありませんでした。
そこで奇跡のような出来事が起き、ゲノムという活動指示書(とそれに従う生命機械)が誕生するわけですが、考えてみると、ゲノムなんてただのタンパク質合成の設計図にすぎないわけで、これをどう読み込んだところで、生命体は動けません。
その点にやっと気づいた現代の科学者たちは、ゲノムの他に「エレクトロノーム(生体電気のスイッチングシステム)」と「マイクロバイオーム(小ユニット同士の相互作用系)」という新概念を打ち出してきました。
そして、これらのパッケージこそが生命である、としたわけです。
つまり、ゲノムに従って構成された静的なメカニズムを、電気でコードされた別の指示書が駆動させ、そうして活動力を得た小パーツたちが連動して、「生命」というひとつの大きな宇宙を形成するのだ、という。

例えば、脳は主にタンパク質でできてますが、この物質塊に認識や判断をさせるには、エリア同士をつなぐ電気によるネットワークが必要です。
これまた「コネクトーム」という概念になりますが、新皮質という記憶の引き出しを開け閉めし、そのタンパク質間をつないで駆けめぐる電気の道すじこそが思考なのだ、ってことに今のところなってるようです。
この電気の行き来こそが生命活動の根幹なので、どれだけ遺伝子情報を解読しようと、死んで通電しなくなった脳から個人の思い出、意思、アイデンティティなど・・・すなわち生前の「わたくし」を引き出すことはできません。
宇宙人が地球にやってきて、パソコンの構造をどれだけ徹底的に調査しても、それがなにをする道具なのかはわからないのよ通電させてみないことには、ってわけで、DNAの塩基の並びをすべて知ったところで、そこに生命の意味は不存在で、それをオンラインにしてくれる電気の情報と対応させることこそが重要なんでした。


人類が生きるとは、つまるところ摂取物から電子を抜き取る作業に尽きる、という論があります。
そうして外環境からもらった電子を体内の分子間でどう受け渡していくのか、が生の営みなのですと。
原子核の周囲に電子(と空き席)をまとった原子・分子ってのは実にうまくできたツールでして、このパズルの組み合わせによって生じるイオン勾配が実質、宇宙をつくり上げ、ついでにぼくらを形づくり、動かし、考えさせ、つまり生かしてます。
その電子までをぼくの肉体の一部、生命活動の必須パーツとするなら・・・
とするならですよ、ぼくって宇宙ですよね、文字通りの。
だって、ぼくと宇宙とは、呼気で一連の生命としてつながってるのですよ。
宇宙中の電子がぼくの中にパーツとして組み込まれ、循環し、また出ていって、ついでにあなたの体内にも入って活動し・・・そうして宇宙のすべてが連動してるのです。
今西錦司さんって文化人類学者の説ですが、気持ち悪くないから読んでみてね。

さて、本をたくさん読む小生ですが、本棚は30センチ立方のボックス四コマだけです。
本は、宇宙!
だけど宇宙(スペース)は無限じゃない。
本なんてたくさん集めて持っててもしょうがないから、読んだ後は捨てたり売ったりして、最重要なものだけを残して新陳代謝させます。
本は、中身だけが自分の中に血肉として残ればいいの。
生きるって、電子と一緒に、外環境から知識を吸収することなんだよなあ。
そして電子が脳のタンパク質間に道すじをコードすることで、知識はぼくの中に本棚として固定されるわけです。
・・・うまくオチましたところで(オチたか?)、また。

 

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わが工房は、絶好の虹展望ポイント!(都内で他にこんな場所ある?)

いつも雨上がりに、大きな大きな虹が隅から隅まで、東の空一面にわたります。

ではいったいなぜ、こんな奇跡みたいな自然現象が起きるのか?

 

雨上がりってのは、大気に水蒸気が満ち満ちてるのですね。

これを、見上げた空全面に、ガラス玉のような透明な球体がびっしりと並んでるものと考えてみましょ。

ここに太陽光を当てます。

太陽という天体は光を全方位に向けて放射状に放ってますが、こちらとはあまりに隔たってるため、地球大気に到達する日光は、すべてのガラス玉にほぼ平行に入射します。

そして球面に跳ね返されます。

その跳ね返った光のうち、あなたの瞳に向かってくるのは、大気上に広く開いた輪っかの部分です。

その輪っかの下半分は地平線に隠れて見えないので、あなたに観察可能なのは、輪っかの上部の弧の部分(すなわち、上空に渡る橋の部分)だけです。

 

さてしかし、ガラス玉(正確には水滴)はまっすぐに光を跳ね返すわけじゃないのです。

太陽からはるばるやってきた光は、透明な球体に入射する際に屈折(わずかに軌道がそれる)します。

球体内に入り込んだ光は、向こう側の内表面で反射し、さらに球面のこちら側から飛び出す際に、再度屈折します。

日光が屈折すると、ニュートンさんがプリズム実験で発見した通り、七色のスペクトルに分光します。

この屈折の角度が、赤から青まで少々の開きがありまして、これが虹の帯の太さということになります。

具体的には、虹の弧から射出された赤色(42度に屈折)は上の方に見え、青色(40度)は下の方に見えます。

要するに、日光の差し込みを水滴が跳ね返す角度40度〜42度付近の光線をあなたの瞳という一点で総合したものが虹のリングであり、そのうちの赤の帯は少々大きく見え、青の帯は少々小さい、というわけです。※1

ちなみに、二重に虹が見えるときがありますよね。

その大きく儚い方(鮮やかな虹の少し上空に見えるやつ)は、光線が水滴の中で二度反射して射出されたものです。

こちらは水滴の中で光の軌道がクロスするために、赤が内側、青が外側という逆配色になります。

 

太陽光は、地球大気に満ちたすべての水滴に入射し、反射しておびただしい七色光線をばら撒きます。

実際には、そのすべての水滴が七色以外にもあらゆる光をあなたに向けて射出してますが、あなたは人類の視覚能力の限界により、赤の波長以下の赤外線、青(紫)の波長以上の紫外線は感知できないので、結果的に可視光の細い波長帯のみ(すなわち虹の部分)を見ることになるわけです。

あなたの見る虹は、大気中に築かれた太陽光反射現象の大構造のたった一面なのです。

 

次に虹を見る機会があったら、そんなメカニズムにも思いを馳せてみましょ。

きっと、さらに自然の壮大さを感じられますよ。

 

※1 あなたAと虹の中の一点Bとを結ぶ直線をAB、太陽Cと虹の一点Bとを結ぶ直線をBCとすると、角ABCは、虹のどの点を取っても40度付近になる、ということです。

 

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熱は、エネルギーそのものに見えて、実はエネルギーの最終的な「形」を指すんだって。

すべてのエネルギーは、最後は熱になっておしまいらしいよ。

これが科学における根幹にして最重要知識、エントロピー(熱力学)の法則だ。

 

エネルギーは、使えるタイプのやつから使えないタイプのやつになる・・・とだけ言ってるのが、エントロピーの概念だ。

エネルギーは絶対になくならず、ただ形を変えるだけなんだ。

石油は燃えてエネルギーを解放し、世界を揺るがして燃えカスになるけど、熱は残る、って具合い。

鉄球を持ち上げると、「重たいよう」という(位置)エネルギーが蓄えられる。

その手を離すと鉄球は落下運動を開始し、つまり別の形のエネルギーになる。

その運動エネルギーが床にぶつかり、衝撃と音と熱というまた別の形のエネルギーになる。

衝撃とは、エネルギーが起こした仕事のこと。

その際に散らかる音とは、空気の震えのこと。

そして発せられる熱とは、粒子の震えのこと。

震えは系内(地球や宇宙)をどこまでも伝わっていき、やがては平衡状態におさまる。

この過程で、震えが徐々に弱まることから、熱いものは冷めていく。

が、逆行程はあり得ないので、冷たいものは熱くはならない(新たにエネルギーを加えないかぎり)。

 

宇宙にあるすべてのエネルギーが、仕事を終えた後に震え・・・すなわち熱に落とし込まれる。

音でさえ、空気を震わせる熱と言える。

震えは平衡状態に向けて広く薄く散開しつづけ、温度が下がりきったところで、宇宙は使用可能エネルギーゼロの完全な静穏状態に落ち着く。

最終的には一切の原子が震えを止め、この世界は絶対0度であるセ氏−273度に凍りつく(現在の宇宙は−270度くらい)。

原子が動かなくなったら、もちろん生物は生きていられないし、地球も銀河も形をとどめてなんかいられない。

こうなると、宇宙は摩擦なしの真っ平らにならされて無となり、要するにおしまいだ。

(※正確には、エネルギーの保存則から、震えは完全には止まらず、運動の最小値=基底状態で超安定となる)

 

宇宙の最後に、素粒子は静止する。

宇宙の営みとは、最当初に与えられたエネルギーを解放して、原子で構築された世界を徐々に動かなくしていくことに他ならないようだ。

この不可逆性を説明するのが、エントロピーの法則だよ。

みんな、長生きしたかったら、エネルギーを無駄遣いしないことだ。

宇宙は、無限でも永遠でもないらしいからね。

 

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あなたは運命を信じます?・・・のその前に、運命ってなんだかわかってます?
最初から決まってためぐり合わせっつか、「定め」っつか、原因から必然的に発生する避けられない結果のことだよね。
これを厳密に(科学的に)突き詰めてみる。
ビリヤードのブレイクショットで弾き出された白玉は、カラフルな玉の隊列にぶつかって散乱させ、盤上に無秩序な配置をつくる。
この作業では、開始時の玉の状態と、白玉に与えられる運動の初期値が完全に同じなら、何度やっても同じ結果(盤上のすべての玉の最終的な散らばり方)が得られる。
これが運命だ。

このルールを宇宙レベルに拡大すれば、138億年前のビッグバン時に吐き出された素粒子の運動(方向と速度)の初期値によって、現在の世界の形は決定されてた、ってことになる。
宇宙を開びゃくする一点の穴から飛び出したおびただしい素粒子たちは、弾かれたビリヤードの玉のようにいくべき位置に必ず向かい、出会うべき相手と必ず接触し、なるべき形に必ずなる。
ビッグバンを何度繰り返しても、初期設定が同じなら、同じ時を経れば必ず今ある世界が正確に再現される。
ひとつの分子の進む方向と周囲の分子の配置さえわかれば、その後にどれとどれとがぶつかるかを予測できるのは自明だ。
ってことは、現在のこの世界の分子の状態をすべて理解できれば、あらゆる未来が見通せるってことになる(ラプラスの悪魔)。
よって、定められた運命は存在し、原因による結果は絶対に不可避となる・・・古典的なニュートン力学系においては。


ところがここに、揺らぎともつれと重ね合わせに支配された新ルールが割り込んでくる。
量子力学(の不確定性原理)によれば、素粒子の運動は気まぐれな確率の問題であって、予測は不可能なんだ。
そのモデルによると、一般に素粒子と称せられる「量子」は数学上の存在で、粒子(物質)とはそのエネルギーのいち形態だ。
極小世界における量子は飛び飛びに動きまわり、時間すらも連続的じゃなく、離散的な形を取る。
この飛ぶ(消えて、次の瞬間に別の時空間に立ち現れる)位置情報がランダム極まるので、要するに運命は確定的じゃなく、確率の問題になってくる。

運命はひとつじゃなく、確率密度として、そこここにひろびろとたゆたってる。
そして、重ね合わせの状態で解放系となった不確定な未来は、あなたの観測によって収縮(所在を確定=波動がツブ化)する。
オカルトでもスピリチュアルでもなく、これはマジな最新サイエンスの話だよ。
運命は常に波のように不安定な状態にあるんだ。
そして、あらゆる可能性という形でたゆたうそいつを、あなた(の観測)が確定させる。
つまりあなたの未来の運命は、あなた自身に依存する。
そのメカニズムをさらに説明するけど、いよいよ小難しくなるんで、そろそろめんどくさくなってきたひとはドロップしてちょうだい。

つわけで、本気のやつ・・・


あなたは現在時にいながら、周囲にひろがる過去の世界に生きてる。
あなたには理論上、世界の現在を観測することができない。
光速に限界があることから、あなたの意識の外側に開いた世界は、すべて過去のものなんだ(あなたが空に見る太陽は8分前の姿、というのと同じ理屈で、あなたが鼻先に見てるスマホ画面はコンマ何秒か前に起きた事象の残影にすぎない)。
その過去世界とは、不確定性原理が支配する散らかった素粒子系(量子場)を、あなたが観測によって収縮・確定させたものだ。
かくして現象上、現在時に実在してるのはあなたの意識だけだ。
ところが、その外側に展開する「あなたを存在させる世界」にも、過去画の先に現在時の姿が「今まさに!」あるべきで、それはまだあなたの観測による収縮を経ておらず、量子場の波動状態にあり、観測されてツブ化してもらえるのを待ってる。
そしてその観測の先には、物理的にありうるすべての世界が確率的に枝分かれして存在してる。
観測されてない世界は、あらゆる可能性を重ね合わせにした状態で待機してるんだ。
これがマルチバースというやつで、未観測のその「場」にはあらゆる未来が(というよりも厳密な現在が)パラレルになって、あなたがのり込んでくるのを待ち受けてる。
あなたは実際、その分岐したすべての可能性世界に突入するわけだけど、あなたの個体が持つ特定の意識は、その中のひとつの世界にしか踏み入れない。
その他のおびただしい・・・無限と言っていい多元世界にも他のあなた(分身?)が踏み入って同化し、それぞれに別の未来を生きることになるが、意識の当事者としてのあなたが選ぶのはたった一本の道、すなわち、あなた独自の世界だ。

 

・・・と、まあこれが、古典力学を更新した最新論における運命の説明となる。
運命は、無数(マルチ)に存在してる。
だけど、それを確定させるのはあなた自身に他ならないようだ。

もう一度言うけど、オカルトなんかじゃなく、この世界像こそが、実験証拠に根ざしたサイエンスによる最先鋭にして最無矛盾の解釈だ。

 

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進化論なんて、単純な理屈なの。

そこにある生命を歳月をかけて複雑化させていく、その根本のメカニズムさえわかれば明快に説明できる。

だけど本当に重要で解明困難なのは、いちばん最初の「生命はなんでそこにあるの?」の部分。

鉱物と水しかなかった・・・いや、それ以前には粗元素しかなかったこの世界に、どういういきさつで生命が誕生したのか?

そこをこそ知りたい。

そこで、自説と言うか、これまで得た知識の総合を開陳してみるよ。

 

むかしむかし、深海底に熱水を噴出させる穴があった。

マグマに温められた鉱物混じりのお湯が、こんこんと湧いてるの。

この中には、メタンやアンモニアなんていう、分子の構造式を見ると胸ときめくような有機物の素までがパッケージになってたわけ。

さらに、熱水に混じった金属が、穴の周囲にエントツを築く。

これが偶然にも、半導体素材になるんだ。

エントツの中からは水素主体の熱水、外側には二酸化炭素の海がひろがってる。

すると、エントツの内と外にペーハーの差ができて、イオン勾配、すなわち電位が生まれる。

要するに、半導体の中を電気が走る構造になるんだ。

そんなエントツの内部に、有機物がたまっていくとどうなるか?

 

たまった有機物は、固まって凝縮してアミノ酸になり、それがまた寄り集まってタンパク質になり、連なり、さらに高分子になって複雑化していく。

なにしろ、何億年って時間はあらゆる可能性を否定しないからね。

そこに電気が流れる。

タンパク質間で電気を流し合って感覚情報をコードしよう、ってのが神経系の原理なんだから、この深海のエントツ内で「意識の原始的システム」が生まれてたとしても不思議じゃない。

 

さらに電気って幻想みたいな現象は、エネルギーを物質に手配してもくれる。

実際、細胞内にひそむミトコンドリアなんて、エントツの内部とそっくりのイオン勾配を利用した酵素のシステムから元気玉をつくり、生物を動かす原動力を供給してる。

生命の素材とエネルギーが一体化すれば、いよいよ歳月まかせの適者生存が開始される。

化学的な相互作用による外界の刺激に反応する機械を組み上げ、膜でポータブルなパッケージにすれば、エントツを離れて旅をすることも可能になる。

「膜に覆われて外界から独立してること」「新陳代謝できること」「自分のコピーをつくれること」ってのが生命の最低限の約束事だけど、なんとなくそれが見えてくるではないの。

ただ、こうして自律機械はできたけど、「意識的活動」という目標にはまだまだ遠い。

解明したいよねえ、この謎のリンク部分。

 

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みんな、ブラックホールの実相を知ってる?

そんなお話。

 

星(恒星。地球は惑星だから違う)ってのは、中心部の核融合爆発で、常に膨張したがってるんだ。

だけどとてつもない質量による自重があるから、その重力で縮もうともしてる。

その逆ベクトルの力関係が50対50なんで、いつも安定して光ってるわけ。

だけど、核融合の燃料が切れて膨張が止まると(0)、収縮圧力が100になって、自重でつぶれる。

この重力崩壊で、星の中心に向けて猛烈な爆縮が起きて、巨大な質量が「点」にまで丸められてしまう。

これがブラックホールだよ。

 

この特異点(正確にはシュバルツシルト半径という広大な球状のエリア)からは、光も抜け出せない。

地上に向かってボールを落とすその自由落下のスピードで、逆に地上から上昇すれば、地球の重力圏から離れられるでしょ。

ブラックホールの重力による自由落下スピードは、計算上で光速を上回るため、要するに光のスピードを持ってしてもその重力圏を振り切ることはできないわけ。

だからこのホールは底抜けにブラックなんだ。

 

さて、相対性理論では、時空間という概念で、時間は三次元空間とつながってる。

そしてシュバルツシルト半径という事象の地平の内側では、この時空感がひん曲がってて、特異点に向けて落ち込む光速のために時間が引き延ばされ、空間が縮まる。

スピードってのは距離÷時間だから、どうしてもこうなっちゃうんだ。

現象的には、この危険半径をまたいだ瞬間から、落ち込む事象は永遠にストップして見えることになる。

 

そんなブラックホールがふたつ、お互いに向けて落ち込み合ってる、ってものすごい光景(この柏木くんのくるくる皿のような)をとらえたのが、晴れてノーベル賞を冠された重力波だよ。

質量が時空間をゆがめるのが重力の正体、と前回説明したけど、重力は宇宙空間全体をゆがめるんで(ゆがみは光速でかつ無限に伝わる)、その波がこの惑星上でも検出されたってわけだ。

・・・うーん、簡単な説明ってのは難しいな。

 

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