24・塩基配列のコピー、って
こうして考えてみれば、彼もまた、何者かから分裂したのかもしれない。
どんな形をしてたんだかしれない、前駆体から。
それは「細胞分裂」なんて高度な作業じゃなかったはずだ。
最原初のRNA(これもまたDNAの前駆体)は、ゲノム配列なんて複雑な構造はしてなかった。
塩基配列を言語としてタンパク質のアミノ酸配合をコードするなんて知的なアイデアを、原形質が・・・ましてやその前駆体が発明するなんて、考えられない。
要するに、ゲノムが生命を誕生させたなんてのは幻想で、はじめのうち、原初生命体・・・いや、ゲノムの搭載されてない生命前駆体は、ただ塩基をでたらめに並べただけのものだったにちがいない。
四種のヌクレオチドのパズルは、自律的にらせんの連なりとなるわけだから、とりあえず自然は、塩基を並べた長い長い核酸のヒモを編み上げた(と仮定していく)。
このヒモにジョイントできるのは、固有の分子構造によって、任意の塩基の相方と定められてるから、その一対一対応の結果、最初の塩基配列を鏡写しにしたもう一対の配列が編み上がる。
編み上がった二本ヒモの縦の連なり(ヌクレオチド同士)はイオン結合で固く結ばれてるけど、ヒモ・ヒモの横のつながり(相方塩基同士)は水素結合だから、電子でも走らせれば、ジッパーのようにあっけなく別離できる。
塩基の対配列、すなわち、最初のRNAをメス型としたオス型の鋳込み型ができた。
あとは、こいつを使ってコピーしまくるだけだ。
そして、閉じた系の離れた場所にふたつのコピーを配置してたある日のこと、アクシデントが発生し、系が真ん中からちぎれる。
不細工ながらも、分裂ができた。
こいつにダーウィン進化をさせれば、ゲノムが組み上がりそうだぞ。
つづく
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23・細胞分裂、って
たくさんの細胞からできたぼくだけど、かつては小さな小さな生殖細胞だった。
父ちゃんの精子細胞がくっついた母ちゃんの卵子細胞。
ふたつがひとつになったこの一個の受精卵が、最初期のぼくの姿。
ぼくは、もともと母ちゃんと父ちゃんだったわけだ。
ぼくは実際に、父ちゃんと母ちゃんの肉だったんだ。
ふたりにつくられたんじゃなく、ぼくはこのふたりだったんだよ。
それがいつの間にか分かれて、ぼくというアイデンティティを獲得して、ぼくになった。
父ちゃん細胞が這い込んだ母ちゃん細胞が分裂し、さらに分裂活動を繰り返すうちに、父ちゃんと母ちゃんのアイデンティティが打ち消え(忘れ去られ、と言ってもいいかもしれない)、別個性であるぼくちゃん細胞になったわけだ。
父ちゃんと母ちゃんをさらにさかのぼると、(ふた組の)じいちゃん細胞とばあちゃん細胞に行き着く。
ぼくはかつて、じいちゃんとばあちゃんと、別のじいちゃんとばあちゃんという、四人だったんだ。
さらにさかのぼる。
ぼくのご先祖さまは、すべてがぼくのかつての姿だ。
ご先祖さま細胞はおさる細胞から分裂したものだし、おさる細胞は原初哺乳類細胞から分裂したものだし、さらにさらにさかのぼれば、ぼくは原初真核生物に行き着き、もっともっとさかのぼれば、最原初の単細胞=彼にたどり着く。
最もシンプルで、必要最小限の装備しか持たない、スタートアップな原形質の細胞に。
この原形質が細胞分裂をした瞬間に、生命体は生命体の体を成し、彼はぼくになったんだ。
22・生体、って
原点に戻って、生体とはなんなのか?というところから考えてみる。
現代的な定義によると、脳死した肉体は生きてない、とされる。
大雑把な相関関係では、大脳は考えを、小脳は運動を司るので、これらが機能しなくなると、ぼくは「ぼくの世界」というアイデンティティと、そこでの活動とを失う。
ところがそんな状態に陥っても、脳の一部(脳幹のへん)の機能が残ってると、ぼくの心臓は自律機械としての鼓動をやめない。
心臓は、ぼくの意思から独立した活動部位なんだ。
フルオートマチックモードの心筋が動くと、血液が肉体内を勝手にめぐってくれる。
血液がめぐると、肺から取り込まれた酸素(この臓器の活動は意思から独立してないので、無理矢理に気道から空気を送り込む作業、すなわち、外的な力による酸素吸入が必要だ)がめぐってくれる。
酸素がめぐると、細胞に栄養が行き渡るので、ミトコンドリアがエネルギーをつくって全身に活力を展開させ、要するにぼくは瑞々しく生きたままの姿でいられる。
なのに、その肉体は生きてはいない、とされるんである。
脳内組織の通電こそがぼくそのものなんであり、それなしに活動するボディはもはや何者でもなく、自律駆動する物体、と言える。
ただ、細胞ひとつを生命体と考えると・・・殊に細胞内器官として組み込まれてるミトコンドリアなどは、もともと独立した生命体だったことから、大きなぼくが脳死をしても、別の形でぼく(の一部)は生きてる、ということになる。
が、もはやそのぼくは、ぼくではない他者だ。
いったい、細胞がたくさん集まってできたぼくとは、どの部分、そしてどのプロセスから先が、生命を宿した存在と言えるんだろう?
つづく
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21・世界の支配者、って
ゲノムは、あなたの形質そのものと言えるけど、そんなあなたは、ゲノムのほんの一部でしかない。
あなたはあなた独自のゲノムを持ってるけど、ゲノム本体は天体規模で大展開してるんだ。
あなたは、ゲノムという地球上の全生命体を網羅した設計図の、枝分かれした末端でしかない。
ゲノムは、過去にあなたを含めた環境をつくり上げ、今なおさらにつくり込んでる最中だ。
ゲノムは、ただ一度きり、地球上に発生した。
そして、現在この瞬間においても、ゲノムはそのひとつきりだ。
ただ、幹から分かれた枝先がほぼ無限に細分化してるんだ。
種(しゅ)という枝がさらに枝分かれして枝分かれして枝分かれしきった先っちょに、あなたという新芽(子という新たな芽が発生してればあなたはすでに分岐してるが)が伸びてて、その先はなおも未来に向けて枝分かれしていく。
時間という縦方向でつながり、空間という横方向でつながり、ゲノムは世界にあまねくひろがる。
そのひろがりきった枝を分岐点に分岐点にとさかのぼり、太い幹を下って根元に収斂する一点が、彼だ。
彼こそがゲノムのコアなんだ。
彼を生み出すということは、世界をつくるという作業でもある。
彼のボディはつくった。
仏つくって魂入れる。
あとは、彼のゲノムをつくらなきゃならない。
いや、彼というゲノムを。
ゲノムという彼を。
20・タマシイ論、って
「肉体にタマシイを込める」という霊的な言い回しは、科学的には「物質にゲノムの機能を持たせる」と言い換えられそうだ。
そのプロセスは昔から、神さまの思し召しと考えられてきた。
しかし、無機物同士の噛み合わせからはじまったわれわれの積み木細工は、ついに生理のメカニズムを大構築した。
素朴な石ころは、深海底で長い長い歳月をかけて揉まれた末に、自律式の機能体という高みにまで発展したんだ。
このやり方で、さらに創発を何段階も推し進めれば、必要最低限の情報を内蔵したゲノムを出現させることは可能だろうか?
ゲノムは霊的なものじゃなく、物質世界の物理現象と化学反応を用いた緻密なネットワークだ。
現代に生きる高等生物が獲得した「混沌の極限」と言いたくなるゲノムだって、上記のシステムをただ多様で多面多角的に複雑化させたものにすぎない。
だったら、そいつの最もシンプルで原初的な形と様相を、この物語で再度つくり上げてみようではないの。
・・・と勢いこんでみるが、いやはや、なんと壮大で困難な事業をはじめてしまったんだろう、この書きものって。
それでも生命は、すっからかんだった最初の時点で、この最重要にして最難解な「内容物」を持ったんだ。
とすると、ぼくらが思考実験でつくり上げたソフトなしの空っぽのハードが、自力でソフトをつくり上げたわけか。
でなければ、先立つことハードなしの剥き出しのソフトが自然界から与えられてて、それがハードをつくり上げるしかない。※1
しかし、指示書があっても機械がなければどこからも手をつけられないし、機械があってもそれを動かす指示書がなければそもそも起動ができない。
このごちゃごちゃに入り組んだプロセスの、いったいどの時点で「生命」は目を覚ましたんだろう?
ところで、ぼくらが生きた後の「死」という世界は、生まれて「生」をはじめる前の世界のことだよ、という死生観がある。
その暗闇に展開するのは、おなじみの量子場だけど、またそこに立ち帰るしかないのかなあ・・・(読者のうんざり顔が目に見えそうだ)
つづく
※1 「ソフトがハードをつくる」というのが、現代を生きるわれわれ生命体の順序だ。
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19・生命の初期設定、って
前述したセントラルドグマを実質的な現場作業に置き換えると、DNAにコードされた塩基配列を(文字通りに)解き、その設計図通りにアミノ酸をタンパク質の形に編み上げる、という一連の部分になる。
そこに、非常に難解な問いが隠されてる。
すなわち、「卵が先かニワトリが先か?」問題を究極的にさかのぼった、「ゲノムが先かタンパク質が先か」という点だ。
タンパク質を編み上げるのは、ゲノムである。
ゲノムをコードするのは、タンパク質(からできた核酸=DNA)である。
だとすれば、このどちらが先に生まれたんだろう?
結局、生命誕生の物語とは、このメビウスの輪を解くということに他ならない。
また太古の深海底に戻るけど、ここに築かれたわれらが故郷であるチムニーにおいて、母なる自然はただただ自分の持つポテンシャルと偶然の力によってタンパク質を形づくり、それを複雑に構成し、組織化して、「彼」の姿を・・・相貌を立ち上げたんだった。
そんな彼は、ただの土人形なんだろうか?
彼の中にゲノムが組み込まれていなければ、彼が以降に成そうとするダーウィン進化は期待できない。
進化とは、ゲノムの組み替えのことを言うんだから。
ひとたび生命が誕生し、単純な原形質として起動してしまえば、高等生物(例えば人類)にまで進化させることはわりと簡単・・・でもないが、少なくとも納得しやすい説明はつく。
が、進化前の最初期、スタートアップに至るまでの工程の説明は、困難の極みだ。※1
果たして意思なき自然現象は、彼にゲノムを発明させたんだろうか?それとも、ゲノムに彼をつくらせたんだろうか?
つづく
※1 ビッグバンと同じだ。人類はその「点」以降の論理的説明はできるが、それ以前になにがあったか、何者がそれを起こしたのか、を知ることはとても困難なのだ。
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18・セントラルドグマ、って
遺伝学と進化論における最先端の解釈によると・・・というか、ダーウィン進化を現代的に展開させたドーキンスさんの意見によると、生物とは、ゲノムが操る遺伝子伝達(継承)機械であるらしい。
生命体の振る舞いのすべては、遺伝情報が命ずるところのただひとつの目的、すなわち「種の存続」を行動原理とし、ぼくやあなたはただそのためにこの世界で活動させられてるんだ。
そのシステムを禅的に煮詰めた福岡ハカセの説明(動的平衡論)がわかりやすくて面白いので、ここに紹介する。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」は、鴨長明さんの有名な言い回しだけど、要するに、長良川は大きなくくりでひとつの川と見えるけど、その中身の水分子の構成はいっときも同じじゃなく、ひと月もたてば、中身の水はそっくり入れ替わって別ものとなる。
なのに長良川は、長良川という形質と、いわばアイデンティティを保ちつづける。
生命体も同じで、日々の新陳代謝を繰り返して細胞を入れ替え、ひと月もたつ頃には、全身の全構成分子をすっかり別ものに更新する。
現時点でのぼくは、ひと月前のぼくとは物理的に別の存在であり、ひと月後にはまた別人に入れ替わる。
なのに、ぼくはぼくだ。
その「ぼく」と言いきれる根源はなにかと言えば、ゲノム=遺伝情報なんだ。
つまり、まず情報がそこにある。
形なきぼくの情報が、生命機械に命じ、必要な構成物を物質界から集めさせ、ぼくの肉体を形づくる。
その形質(姿かたちと中身のソフト)は、遺伝情報のアウトプットそのものなわけだけど、重要なのはそいつをつくり上げる設計図であって、その内容を守ることがぼくの肉体、すなわち生命機械の仕事となる。
・・・という相互関係こそが、生命のセントラルドグマだ。
だとしたら、箱(物理的実体)と中身のゲノム、どちらを先に世界に出現させるべきだろう?
17・ゲノム、って
生命前駆体がいっぱしの生命体の姿となるところまで進んでしまったけど、申し訳ないことに、また話をさかのぼらなきゃならない。
分子生物学の前段階の、哲学の部分にまで。
それは、「生命とはなんぞや?」という根源的な問題だ。
わが物語は、鉱物から有機物をつくり、アミノ酸を構成するところから作業を開始したが、実は生命とはそういうものじゃない。
例えば、最もシンプルな生命体に必要な材料を集め、人為的にそれらを正確な構造に組み立てたとしても、それで命が吹き込まれ、動き出すというものじゃない。
根源的なものが足りないのだ。
そこで、哲学(神さまではなく)の話になる。
生命づくりには、議論すべきふたつの面があり、それはすなわち、生命「体」という物質的な側面と、もう一面は遺伝子というおよそオカルトな問題だ。
生命「体」とは、要するにこの世界における営みを引き受ける箱であり、具体的で実用的な物理上の存在だ。
一方の遺伝子とは・・・ここでは遺伝情報の総体という意味で「ゲノム」という言葉を使うが、こちらはその箱の中に据えられた命令系統の部分で、哲学上の抽象的観念とでも言いたくなるようなやつだ。
DNAはモノだが、ゲノムは情報そのものなんだ。
これはもちろん観念でも幻想でもなく、事実としてそこに「在」って、実際に物質面(肉体)を司ってもいる。
が、意識や考えや自己の認識という脳の働きでもない。※1
ここをごっちゃにしてはならない。
「あなたという自覚」と「あなたをつくり上げてるゲノム」は、別モノと言っていい。
生命(あなた)は、突き詰めれば、ゲノムという形なき情報の命ずるところによって物質を構成させられ、行動を操作される機械だ。
ゲノムは、あなたという意識(意識というあなた、と言ったほうがいいかもしれない)の上層に在り、地上の生命全体をその歴史上に渡って支配しつづける、世界の総体意思のようなどでかいメカニズムなんだ。
われわれはこの物語において、(デオキシリボ)核酸という物質から遺伝と増殖を実現しようと試みてきた。
しかし、遺伝物質をつくるのはまさにその中に収まるゲノムなんである、という「卵が先かニワトリが先か?」のパラドクスを解決する必要がある。
つづく
※1 これらは純粋に物理的な現象だ。
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16・ダーウィン進化、って
ようやく性能を得たからだだが、せっかくつくり上げたところで、あっけなく壊れ、滅形し、崩壊し、霧散し・・・何度も、何度も、何度も、生まれては消え去っていった。
それは彼ではなく、からだをつくり上げることに成功した彼の仲間たちが、だ。
その淘汰の結果、彼が残った。
最も生き残るにふさわしい、彼のからだのみが。
だからと言って、彼にはなにができるわけでもない。
ただエネルギーをつくり、そのエネルギーをまたエネルギーをつくるという作業に当てる、自転車操業だ。
ところが、投入したエネルギーは、投入した以上の仕事を決してせず、つまり等量のエネルギーをつくり出すことができない。
エネルギーに仕事をさせると、必ず再利用不能な熱のロスをつくり、これが熱力学の第一法則が言うところの、エントロピーの増大となる。
このロス分を彼は、外からのエネルギーでまかなう必要がある。
チムニーに身を寄せてる間は、周囲に満ちた電子の流れを利用すればいい。
しかし、彼はそのぬるい立場から独立をしたかった。
自分のことは自分でやる、という、これまた生命体としての根源的な突き動かしがあった。
そして彼は、やってのけた。
無限に近いほどのおびただしい実験をくり返し、役立たない方法を捨て去って、ついに最後に残った最善の方法論を採用した。
新陳代謝・・・すなわち、エネルギーの足りない分を補うだけの物質を外界から得、内部で利用可能な状態にまるめて用いる、という補完方法にたどり着いたんだ。
摂取と排泄。
が、実はこれまた彼が自覚してやったことじゃない。
自然による自律的な営みの結果として起こった、最古のダーウィン進化だ。
15・創発、って
彼は起動したが、実はこのお話が語るところのそこまで洗練されてたわけじゃなかった。
リン脂質はもっと先の世に発明されるものだし、エネルギーとして活用する元気玉もATPなんて強力なものじゃなく、もっと粗末で簡素なものだった。
RNAの機構は取り込んだが、こいつで自分のコピーをつくるなんて高等な仕事は、まだまだ望むべくもない。
だけど彼は、生命体としての最低限の体裁を整えた。
たまたま材料がそろい、体内で各部位が噛み合って連動しはじめたからには、この活動をつづけようという根源的なものに突き動かされた。
特筆すべきは、彼の後ろ盾に、神さまの類などいなかったことだ。
もしも神さまがいたら、その奥に神さまをつくるべき絶対者が必要となり、さらにその絶対者をつくるべき超越者が必要となり、その超越者をつくるべき何者かが・・・という無限後退が発生する。
そんな何者かが最後の最後に存在するとしたら、それは自然の摂理そのものだ。
自然が神さまを・・・いや、その先にいる彼をつくる以上、神さまと絶対者と超越者とその他中間管理の何者かはなきものとして取っ払ってよろしい理屈となる。
そんなわけで、彼は神さまの力を借りず、自然の法則によって脈動をはじめたんだった。
ここには「創発」という、自然が定めたイレギュラーな力が絡んでくる。※1
温度によって固体が液体になり、液体が気体になり、あるいは固体がいきなり気化することを「相転移」というが、そうした階層を上ることによって起きる激変現象が彼の身に起こったわけだ。
つまり彼の肉体は、単純な部位の働きの総和じゃなく、局所における特徴的要素の相互作用によって複雑な組織化がなされ、足し算でなく相乗したような効果が発揮されたために、物体から生命体へと跳躍を遂げたんである。
彼が集め、適切に編み上げ、総合させた物質塊は、無機的な素材からホップし、ステップし、ジャンプをして、生理というステージにまで到達したんだった。
つづく
※1 まさにこの点を、宗教者は「神さまが起こした奇跡」と呼ぶわけだが、なんてことはなく、神さまとは自然そのものなのだ。あらゆる宗教は、自然の力を擬人化して神さまという存在を立ち上げることに利点と納得「感」を見いだしたにすぎず、またあらゆる宗教はそれを悪用して人々をコントロールし、お金を儲ける。神さまとは、正解の意味でも俗悪な意味でも、システムそのものなのだ。
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