ニート、引きこもり、子ども部屋中年。今では立派な社会問題となっている働かない、働けない人々の存在ですが、これらの存在に未だ名称すらついていない時代から注目し、漫画に仕上げた先生がいました。

 風刺的なブラックユーモアの名手、藤子不二雄Ⓐ先生です。就活生は今頃もっぱら就活に明け暮れ、今すぐにでも内定を手に入れんと必死になっている頃でしょうが、就職活動期というのは一生の中のほんのほんの短い準備期間にすぎません。本当に大切なのはそれからです。

 勿論そのために優良企業に、少しでも自分に合った仕事に就かなくてはいけませんから、就活だって十分本番です。しかし実際就活をやって思いましたが、形式化や就活支援サービスの発達により就職のプロセスも、もはや単なる試験の一巻のようになってしまいました。となると社会という荒波に乗る為の心づもりは全く別の形で育む必要があるのではないでしょうか。

 

 本作の主人公、坊一郎は親から愛情いっぱい育てられた穏やかでぼんやりした青年です。ぼんやりこそしていますが、学歴は中々優秀で、いい大学に出てそのままいい企業の内定を取っています。万歳!羨ましいくらい順風満帆です。

 …しかし以前取り扱った『ハッピーピープル』の一話、「僕の人生チィパッパ」(一日一短編No.115)を思い出すと、ここまで順風満帆でも、上司との人間関係トラブルでつらい思いをするかもしれません。過保護な坊一郎の母親ではありませんが、ぼんやりした坊一郎を見ると不安になってきます。さあ、坊一郎初めての出勤です。

 満員電車、スタスタと機械か何かのように会社に向かうビジネスマンたちの波にすっかり置いていかれてしまう坊一郎。会社の前にまで来ましたがどうしても社内に入ることができません。ここの坊一郎の気持ち、わからない人にはとんとわからないでしょうが、逆に分かる人には痛いほど分かるのではないでしょうか。入り口付近をうろうろしているところを警備員に怪しまれ、声をかけられた坊一郎はたまらず会社に背を向けて逃げ出してしまいます。


 ほんの少しです。ほんの少しだけ、不安に打ち勝って敷居を跨げたら、そこからはもう日常になって後はするすると入れるようになったはずです。そしてそこから、また苦労だったり努力だったりをしていくことになるはずだったのです。

 しかしもう取り返しは尽きません。厳密には今からならまだ初日遅刻という悪印象を持たれるくらいで済みます。それくらい『クッキングパパ』の田中だってやっています。ですが、坊一郎のメンタルでこれをこなすことはできないでしょう。言い方は悪いですが完璧に社会に敗北しました。社会に負けたのか、自分に負けたのか。ここから坊一郎は会社からの連絡で親にばれるまでの3日ほど出勤するふりを続け、公園や電車の中で弁当を食べます。初出勤(できていない)の日、家族が大喜びで出迎え、スキヤキを振る舞ってくれているのが泣かせます。

 

 このブログでは度々取り上げたことですが、本当に社会というものは複雑なくせに絶対的な力を持っていて非常に冷酷です。冷酷というより機械的というべきでしょうか。それにばっちりはまり込んで生活することがどれだけ大変なことか。多様性だとか個性を大切にだとか言われていますが、結局は社会の範疇でのことです。複雑で強力なうえ変動的だなんていよいよ乗りこなすことがひたすらに困難ではないでしょうか。

 坊一郎はその後、医者から「働く事ができない心の病気を患っている」と診断され引きこもりになります。ほんの少し、タイミングがつかめなくて一度のミスをしてしまった坊一郎はいよいよ再起不能になります。社会から完璧につまはじきにされました。

 私も他人事ではありません。人間が社会に立つための一本の柱、その軸を折らないように注意を払って生きていかなくてはいけないのです。勿論社会が悪い、坊一郎可哀そうといいたいわけではありません。悪いのは九割がた坊一郎です。それでもやっぱり社会で生きるのは難しいと感じずにはいられない現状の私です。

 

(出典:『藤子不二雄Ⓐブラックユーモア短篇集 3』藤子不二雄Ⓐ 中央公論社 1995年8月)