今日は明るい話題にするつもりでしたが、予定を変更します。
ヒークン様の記事より
「日本が悪い」とか「日本人が悪いことをした」という歴史認識はおかしいと言う、いわゆる”自虐史観”と呼ばれるものがあります。
そもそも、そんな歴史認識自体がおかしい。
なぜなら良いことも悪いこともあるのが人間であり、国の歴史だからです。「悪い面」しか見えないのは、あくまでその個人の問題であり、一般化すべきではありません。
これは、「自虐史観」ではなく、「自虐妄想」 と呼ぶべきです。
そのような人達は、学生時代に「歴史」が苦手だったのか、あるいは興味がなかったのかもしれません。
いずれにせよ、「無知」が背景にあると思われます。
だからこそ、大人になって、アヒルの子のように”初めて見た”衝撃で鵜呑みにしてしまい、「これが真実だ」などと大袈裟に騒ぎ立てるのでしょう。
「皇紀2600年」など、戦前の国家主義時代ならともかく、戦後、世界史を習っていれば、恥ずかしくて公言できないはずです。
「国の歴史=国家の歴史」だという固定観念があるため、視野狭窄に陥ってしまうのです。
・歴史を検証し、ありのままを受け入れる。
・そこから教訓を学び、未来につなげる。
これは「自虐」ではなく「自省」であり、人類普遍の価値のある行為です。
「南京虐殺」については、作家・百田尚樹氏の認識ミスです。
さぶろう様ブログより
現在の中国の主張が「誇張」であっても、「事実無根」とは言えないことが分かるでしょう。
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次に、指摘したいのは、日本人、あるいは、日本人の集団ととらえれば、歴史上、立派な人がたくさんいたこと。
ヒークンさんの記事でおなじみの、高杉晋作や河井継ノ助もそうですが、私の尊敬する、上杉鷹山や山田方谷、西郷隆盛など、幕末だけでも大勢います。
先の大戦でも、零戦の設計者・堀越二郎や、中島飛行機の創業者・中島知久平など、世界に誇る技術者が大勢いました。
彼らの話を、知れば知るほど、「日本には、こんな凄い人がいたんだな」と、日本人としての誇りが持てるでしょう。
しかし残念ながら、どの時代にも、どの国にも、愚かな人間がいます。時として、そのような人物が権力の座に就く場合があります。
偉人や英雄がいれば、奸臣や守銭奴がいるように、国や政府も、権力者が誰かによって”過ちを犯す”ことがあります。我が国だけは例外だ、ということはありません。
したがって、「国や政府が絶対正しい」と盲信することは危険なのです。
では、「日本は正義の国だ
」ということにしたいのは、一体誰なのでしょう?
それは、現在、政権の中枢にいる人たち、あるいは、支持団体です。
「日本は正義の国なのだから、国民は愛国心を持つべきで、国民は国に奉仕すべき存在である。これに反対するのは非国民であ~る。」
参照:戦争プロパガンダ
為政者にとって、これほど好都合な国民統制はありません。
どんな仕打ちをしても、愛国心を盾に反発を抑えられます。
江戸時代の”五人組”のように、国民同士で監視させれば万全です。
「お国のために命を捧げるのは尊いことだ」
国家に対して、大きな権威を与えた明治政府は利口でした。
日本人は太古の昔から”権威に弱く、従順な特性”を持っているので、非常に管理しやすいのです。
ここまでくると、個人の力では太刀打ちできません。
国家対個人では、もはや勝ち目がないのです。
どれほど、国家が間違った方向へ進もうが、もう後戻りできません。
「国家を神格化し、国家への忠誠を誓わせる」
これは、戦前の日本だけではなく、
同じことが、ドイツ第三帝国のナチスでも行われていました。
為政者の考えることは、いつの時代も同じなのです。
私たち国民は、「愛国心」に対し、警戒感を持つべきです。
「日本民族は優秀なのだ」という驕りは、排外主義に陥ります。また、そう言い聞かせても、決して自分自身の価値が上がるわけではありません。
偏狭なナショナリズムは、外交の選択肢を減らしてしまい、その結果、国益を損ないます。
国民一人ひとりが、しっかりとアイデンティティを持つべきです。国頼みではなく、自分自身のものです。
ソチ五輪を観て、多くの国民が選手達に拍手を送りました。その対象は、あくまで「個人」であって、「国家」ではなかったはずです。
国=国家ではなく、日本人一人ひとりの歴史としてとらえる視点を持てば、「愛国心」という”邪(よこしま)な”ものに惑わされることなく、日本という国に誇りを持てるようになるのです。
最後に。
日本の歴史は、過去だけではありません。
私達もいずれ、歴史の1ページになるのです。