(日本国憲法・前文)
『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』
~~終わり~~
この条文は私達日本国民の誇りであり、精神的支柱であります。
それを踏まえたうえで、先の大戦についての歴史認識は以下の通りです。
1.先の大戦は「自衛戦争」とは言えない
2.「従軍慰安婦」は存在した
3.中国大陸での虐殺行為はあった
残念ながら、疑う余地のない事実です。
したがって、これらを否定するのは、「国家主義史観」と呼ぶべきでしょう。
史実に背を向け、ひたすら自国を正当化し、美化する。
そんな偏狭なナショナリズムが、「愛国心」であるとは思えません。
ありのまま、全てを受け入れる勇気を持つこと。
そのうえで自国と他国の共存共栄、世界平和を希求すること。
それこそが憲法の謳う、普遍的な「愛国心」だと確信します。
まず、国家ありきではありません。
国民一人ひとりの集合体が、国家であり、
国家の歴史とは、すなわち、「国民の歴史」なのです。
自国の歴史や文化は大切です。
先人達の貴重な遺産であり、大いに尊重すべきです。
しかし、歴史に囚われ過ぎるのは本末転倒です。
未来は、今を生きる我々の手で切り開くものです。
わたしたち自身も、歴史の一ページなのですから。