『整合性皆無』
”おじいの魔法の国”こと「サザンアイランド」売却の片棒を担ぎ、
純たちの必死の努力を帳消しにした張本人こそが愛ママだ。
純母の病気により、宮古島への帰郷を検討している最中に「和解」などあり得ない。
今まで何事もなかったかのように、お互いの子供を誉め合うシーンには、さすがに無理やり過ぎ。
純のことをゴキブリ扱いし、「死ねばよかった」とまで言い切っていた愛ママ。
純母も、イトシを、「一緒にいたら不幸になる」「お願い別れて」と大晦日まで言っていたはずだ。
痴呆症の純母はともかく、なぜ愛ママ側に「良心の呵責」がないのか?
一言でも良いから、心から詫びるシーンが必要だった。
番組最終盤に向かって、”何が何でも大団円にしなければ”という制作側の焦りが見える。
前半、キャラクターをことごとく崩壊させたため、ドラマそのものが破綻しているのは誰でも分かる。
しかし整合性を無視し、突然「~なこと」「~な人」にしたところで、視聴者の目は誤魔化せない。
脚本家のただの思い付きで後付けされた「イトシの超能力」にせよ、
各所で都合良くキャラがコロコロと変わるせいで、「素人脚本」と疑われてしまうのだ。
時間稼ぎのための「小芝居」や、取ってつけたような「幼少時の回想」を入れるくらいなら、
最初からきちんとストーリーを組み立て、「人物感情の変化」の描写に力を入れるべきだった。
今日のヤフみん感から(一部改編)でした~(・∀・)
ちなみにワテの過去投稿はこちら↓↓↓
http://tv.yahoo.co.jp/s/review/personal/ZJJCN3XTYV6E7MJZPOIWMTTCVQ/
もう目茶苦茶。デタラメ過ぎて何がなんだかワカラン世界に。。。( ̄▽ ̄;)!!
こういうのを、 茶番劇 と呼ぶんですよ!という典型だよね (´・ω・`)
いくら御用評論家や批評家たちが、あれこれこねくりまわして”斬新だ”などと賞賛しても、
一素人の、ワテの批判の方が、よほど的を得ているでしょ。。。
あかんもんはあかん!ダメなものはダメ!とはっきり言わせてもらう!!(`・ω・´)
今日は、純母と愛ママが、”何故か突然” 和解 して 歓談 する という異常現象が起こった。
これを、不自然と感じない貴方は、かなり危険です!(`・ω・´)
理由は上のヤフみん感を参照。
この二人、純愛結婚式ドタバタ騒動以来、面談どころか電話連絡すらしていない。
お互いの子息に対し、強烈な”嫌悪感”を抱いているのだから当然だ。
ところが、ドラマ内では・・・
ごく普通の家庭のように、「良い息子だ」「優しい娘」と互いの子供の話で和んでいるという。。。
あるわけねージャン、そんなもん Σ(・∀・;)
マリヤと鉄矢夫妻との同居もそうだった。
結婚式をぶちこわし、正と一緒に逃げるマリヤは「クソ親父!」と叫んでいた。
駆け落ちした正とマリヤだったが、いつの間にか狩野家に戻り、しれっとホテルを手伝っていた。
人としての感情はないのか?こいつらは Σ(・∀・;)
一度でも強烈な言葉を吐くと、なかなか元に戻せなくなるのが人間関係というもの。
なかには、その一言で「人間不信」になる場合もある。
「死ねばいいのに」とか、「ぶっ殺したい」とか、
「(子供を)おろして」「生まれてこなければ良かったのに」といった”命の尊厳”に関わることは、
特に悪質だと考える。
自身の経験でも、こういった台詞は耳にしたことがないが、
もし自分が言われたとすれば、強烈なトラウマになるだけでなく、おそらく生涯、完全に相手を許すことはないだろうと思う。
世の中には、”言ったらお終いになる言葉が存在する” と思っているから。
ここで、沖縄の格言を紹介しよう。
●命(タチ)どら宝・・・命が一番大切な宝
●行違(イチャリ)ば兄弟(チョーデー)・・・すれ違った人はみな兄弟(出会いを大切に)
●家習(ヤーナレー)る外習(フカナレー)・・・家での行動が外でも出てしまうから気をつけなさい
●言葉銭使・・・言葉は、お金と同じように大切に遣いなさい
ああ、沖縄の大らかさ、親しみやすい県民性が伝わる素晴らしい言葉だ。(´▽`) ホッ
その沖縄(宮古島)を舞台にしながら、なぜこういう部分を取り入れなかったのか?
むしろ”真逆”のようなドラマを平気で作ってしまうところに、NHKの良識のなさ、取材不足、地方無視の姿勢が見て取れる。
大阪の扱いも酷いけどね。。。(´・ω・`);;