今日までを抱いて、明日からを引き受ける。
― 不登校という時間、受験という時間、そして人生の時間 ―
朝、コーヒー豆を挽く音が静かな部屋に広がります。
三十年以上続けてきた習慣です。
ハンドドリップで湯を落とすと、粉がゆっくりとふくらみ、
小さな泡が静かに弾けていきます。
この時間だけは、誰にも急かされません。
そして私は、いつも考えます。
「今日まで」という言葉の重さについて。
人は、未来を語りたがります。
「明日から頑張る」
「次こそは大丈夫」
「これから変わる」
けれど本当に重いのは、未来ではなく過去です。
今日まで。
この四文字の中に、
その子の人生の全てが沈殿しています。
受験に失敗した日。
学校へ行けなくなった朝。
教室のドアを前にして立ち止まった瞬間。
親に言えなかった本音。
自分でも分からない焦り。
それらは消えません。
そして、消さなくていいのです。
「明日から」が苦しくなる理由
フリースクール・スプラウツには、
さまざまな背景をもつ子どもたちが来ます。
中学二年生で不登校になった子。
受験に失敗して自信を失った高校生。
ASDやADHDの特性があり、学校で生きづらさを感じてきた子。
よく耳にする言葉があります。
「明日から頑張ります」
でもその言葉の奥には、
こんな気持ちが隠れています。
「今日までの自分を、なかったことにしたい」
ここが、とても大切な分かれ道です。
明日から頑張る、という言葉が悪いのではありません。
問題は、
今日までを否定したまま未来へ行こうとすることです。
今日までを否定すると、
明日からは空回りします。
なぜなら、
過去を切り捨てた未来は、土台がないからです。
不登校の時間は、止まっていない
外から見ると、不登校の時間は止まっているように見えます。
学校に行っていない。
成績がついていない。
クラスの輪から外れている。
ですが、内側ではまったく違います。
不登校の子どもたちは、
とても濃い時間を生きています。
自己否定。
孤独。
比較。
罪悪感。
焦り。
一日は、決して空白ではありません。
むしろ、学校へ行っている子よりも、
何倍も濃い時間を過ごしていることがあります。
だから私は、急がせません。
「明日から登校しよう」
「来週から勉強を再開しよう」
そういう未来の約束よりも、
まず今日までを整理することを大切にします。
今日まで、何が苦しかったのか。
どこでつまずいたのか。
本当は何を怖れているのか。
それを一緒に言葉にしていきます。
受験という時間の重さ
受験もまた、特別な時間です。
第一志望に届かなかった生徒が、
教室で黙って座っていたことがあります。
机の上には参考書。
でも、ページは開かれない。
その子の時間は止まっていました。
周囲は進んでいます。
合格報告が飛び交い、
次の進路の話が進みます。
けれど、その子の中だけは凍っている。
私は、急ぎませんでした。
「次があるよ」
「大丈夫だよ」
そう言うのは簡単です。
けれど、まず必要なのは
今日までを抱える時間です。
悔しさ。
情けなさ。
怒り。
虚しさ。
それらを一度、全部認める。
そのあとで、ようやく
「明日から」が意味を持ちます。
メメントモリという考え方
私は、メメントモリという思想を大切にしています。
死を想え。
そう聞くと怖い言葉に思えるかもしれません。
ですが、これは絶望の思想ではありません。
むしろ逆です。
人生は有限である。
時間には限りがある。
だからこそ、
今日を軽く扱わない。
もし人生が無限なら、
今日という一日はどうでもよくなります。
けれど有限だと知るとき、
今日までが重くなる。
今日までの選択が、
かけがえのないものになります。
親御さんへ
保護者の方から、こんな相談を受けることがあります。
「このままで大丈夫でしょうか」
「将来が不安でたまりません」
「早く元に戻ってほしい」
お気持ちは、よく分かります。
けれど、「元に戻る」ことがゴールではありません。
大切なのは、
今日までをきちんと通ることです。
飛ばしてはいけない時間があります。
不登校の時間も、
失敗の時間も、
迷いの時間も。
それらは、決して無駄ではありません。
通った人にしか分からない深さが生まれます。
人生は足し算ではない
若い頃、人生は足し算だと思っていました。
経験を増やす。
知識を増やす。
実績を増やす。
けれど年齢を重ねると気づきます。
人生は減算で進みます。
できることが減る。
体力が落ちる。
選択肢が狭まる。
しかし削られることで、
本質が残ります。
余計なものが落ちて、
本当に大切なものだけが残る。
だから私は、焦らなくていいと言います。
完成を目指さなくていい。
人生は完成しません。
完成しないまま、進むのです。
今日までを抱くということ
今日までを抱くというのは、
「仕方なかった」と言うことではありません。
「全部正しかった」と肯定することでもありません。
「消さない」ということです。
うまくいかなかった時間も、
立ち止まった日も、
遠回りした経験も、
全部含めて、自分の時間だと認めること。
そこからしか、本当の明日からは始まりません。
もし今、立ち止まっているなら
急がなくていい。
比べなくていい。
無理に前向きにならなくていい。
まず今日までを抱えてください。
そして、その重みの中に立ってください。
そのとき、
明日からは自然に動き始めます。
無理に押し出すものではありません。
引き受けた人の背中に、
静かに宿るものです。
教育とは何か
聡生館でも、スプラウツでも、
私たちが大切にしていることは同じです。
「結果」よりも「土台」。
「スピード」よりも「深さ」。
学力とは、知識の量ではありません。
自分の時間を引き受ける力。
それが、本当の学力です。
今日までを抱いて、
明日からを引き受ける。
その繰り返しが、
人生をつくります。
最後に
朝のコーヒーの湯気が消える頃、
私はいつも思います。
今日までを、ちゃんと抱いているか。
そして、
明日からを引き受ける覚悟はあるか。
もし今、苦しんでいるなら。
それは、あなたが真剣に生きている証拠です。
時間は止まっていません。
ゆっくりでも、
確実に流れています。
今日までを抱いてください。
その先に、必ず明日からはあります。
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by Dr.Kazushige.O
(一般社団法人 自在能力開発研究所 代表理事
聡生館/Sprouts フリースクール代表)