今日までを抱いて、明日からを引き受ける。

― 不登校という時間、受験という時間、そして人生の時間 ―

 

 

朝、コーヒー豆を挽く音が静かな部屋に広がります。

三十年以上続けてきた習慣です。
ハンドドリップで湯を落とすと、粉がゆっくりとふくらみ、
小さな泡が静かに弾けていきます。

この時間だけは、誰にも急かされません。

そして私は、いつも考えます。

「今日まで」という言葉の重さについて。

人は、未来を語りたがります。

「明日から頑張る」
「次こそは大丈夫」
「これから変わる」

けれど本当に重いのは、未来ではなく過去です。

今日まで。

この四文字の中に、
その子の人生の全てが沈殿しています。

受験に失敗した日。
学校へ行けなくなった朝。
教室のドアを前にして立ち止まった瞬間。
親に言えなかった本音。
自分でも分からない焦り。

それらは消えません。

そして、消さなくていいのです。


「明日から」が苦しくなる理由

フリースクール・スプラウツには、
さまざまな背景をもつ子どもたちが来ます。

中学二年生で不登校になった子。
受験に失敗して自信を失った高校生。
ASDやADHDの特性があり、学校で生きづらさを感じてきた子。

よく耳にする言葉があります。

「明日から頑張ります」

でもその言葉の奥には、
こんな気持ちが隠れています。

「今日までの自分を、なかったことにしたい」

ここが、とても大切な分かれ道です。

明日から頑張る、という言葉が悪いのではありません。

問題は、
今日までを否定したまま未来へ行こうとすることです。

今日までを否定すると、
明日からは空回りします。

なぜなら、
過去を切り捨てた未来は、土台がないからです。


不登校の時間は、止まっていない

外から見ると、不登校の時間は止まっているように見えます。

学校に行っていない。
成績がついていない。
クラスの輪から外れている。

ですが、内側ではまったく違います。

不登校の子どもたちは、
とても濃い時間を生きています。

自己否定。
孤独。
比較。
罪悪感。
焦り。

一日は、決して空白ではありません。

むしろ、学校へ行っている子よりも、
何倍も濃い時間を過ごしていることがあります。

だから私は、急がせません。

「明日から登校しよう」
「来週から勉強を再開しよう」

そういう未来の約束よりも、
まず今日までを整理することを大切にします。

今日まで、何が苦しかったのか。
どこでつまずいたのか。
本当は何を怖れているのか。

それを一緒に言葉にしていきます。


受験という時間の重さ

受験もまた、特別な時間です。

第一志望に届かなかった生徒が、
教室で黙って座っていたことがあります。

机の上には参考書。
でも、ページは開かれない。

その子の時間は止まっていました。

周囲は進んでいます。
合格報告が飛び交い、
次の進路の話が進みます。

けれど、その子の中だけは凍っている。

私は、急ぎませんでした。

「次があるよ」
「大丈夫だよ」

そう言うのは簡単です。

けれど、まず必要なのは
今日までを抱える時間です。

悔しさ。
情けなさ。
怒り。
虚しさ。

それらを一度、全部認める。

そのあとで、ようやく
「明日から」が意味を持ちます。


メメントモリという考え方

私は、メメントモリという思想を大切にしています。

死を想え。

そう聞くと怖い言葉に思えるかもしれません。

ですが、これは絶望の思想ではありません。

むしろ逆です。

人生は有限である。
時間には限りがある。

だからこそ、
今日を軽く扱わない。

もし人生が無限なら、
今日という一日はどうでもよくなります。

けれど有限だと知るとき、
今日までが重くなる。

今日までの選択が、
かけがえのないものになります。


親御さんへ

保護者の方から、こんな相談を受けることがあります。

「このままで大丈夫でしょうか」
「将来が不安でたまりません」
「早く元に戻ってほしい」

お気持ちは、よく分かります。

けれど、「元に戻る」ことがゴールではありません。

大切なのは、
今日までをきちんと通ることです。

飛ばしてはいけない時間があります。

不登校の時間も、
失敗の時間も、
迷いの時間も。

それらは、決して無駄ではありません。

通った人にしか分からない深さが生まれます。


人生は足し算ではない

若い頃、人生は足し算だと思っていました。

経験を増やす。
知識を増やす。
実績を増やす。

けれど年齢を重ねると気づきます。

人生は減算で進みます。

できることが減る。
体力が落ちる。
選択肢が狭まる。

しかし削られることで、
本質が残ります。

余計なものが落ちて、
本当に大切なものだけが残る。

だから私は、焦らなくていいと言います。

完成を目指さなくていい。

人生は完成しません。

完成しないまま、進むのです。


今日までを抱くということ

今日までを抱くというのは、

「仕方なかった」と言うことではありません。

「全部正しかった」と肯定することでもありません。

「消さない」ということです。

うまくいかなかった時間も、
立ち止まった日も、
遠回りした経験も、

全部含めて、自分の時間だと認めること。

そこからしか、本当の明日からは始まりません。


もし今、立ち止まっているなら

急がなくていい。

比べなくていい。

無理に前向きにならなくていい。

まず今日までを抱えてください。

そして、その重みの中に立ってください。

そのとき、
明日からは自然に動き始めます。

無理に押し出すものではありません。

引き受けた人の背中に、
静かに宿るものです。


教育とは何か

聡生館でも、スプラウツでも、
私たちが大切にしていることは同じです。

「結果」よりも「土台」。

「スピード」よりも「深さ」。

学力とは、知識の量ではありません。

自分の時間を引き受ける力。

それが、本当の学力です。

今日までを抱いて、
明日からを引き受ける。

その繰り返しが、
人生をつくります。


最後に

朝のコーヒーの湯気が消える頃、
私はいつも思います。

今日までを、ちゃんと抱いているか。

そして、
明日からを引き受ける覚悟はあるか。

もし今、苦しんでいるなら。

それは、あなたが真剣に生きている証拠です。

時間は止まっていません。

ゆっくりでも、
確実に流れています。

今日までを抱いてください。

その先に、必ず明日からはあります。


🌱
by Dr.Kazushige.O
(一般社団法人 自在能力開発研究所  代表理事

 聡生館/Sprouts フリースクール代表)

1.止まったように見える時間

1月を過ぎた頃から、スプラウツにはある種の相談が増えてきます。

「朝になると身体が動かないんです」
「午後からなら行ける日もあります」
「保健室なら何とか…」

保護者の方の声は、どこか自責の念を帯びています。

「このままで大丈夫でしょうか」
「学力は取り戻せますか」
「将来はどうなりますか」

“不登校”という言葉は重い。
時間が止まり、成長が止まり、社会から取り残されるかのような印象を与えます。

しかし、私は30年以上、600名以上の子どもたちを見てきました。その現場の実感として、はっきり言えることがあります。

止まっているように見える時間こそ、設計が始まっている時間であることがある。

学校に行っていなくても、脳は止まりません。
むしろ、強い刺激から離れたことで、再構築が始まっている場合すらあります。

問題は、周囲が「止まっている」と決めつけてしまうことです。


2.“行けない”のではなく、“合っていない”

不登校の背景には、神経発達特性が関わっていることが少なくありません。

ASD(自閉スペクトラム症)
ADHD(注意欠如・多動症)

診断の有無に関わらず、傾向は存在します。

例えば、

・教室のざわめきが耐えがたい
・黒板を書き写しながら話を聞くと処理が追いつかない
・予定変更が強い不安を生む
・興味のない課題には神経的にエネルギーが出ない

これらは怠慢ではありません。
神経処理の特性です。

学校という空間は、高度なマルチタスク環境です。

聞く
書く
理解する
空気を読む
時間を守る

これらを同時に求められる場所が、万人にとって最適とは限りません。

「行けない」のではなく、「合っていない」。

この視点を持つだけで、子どもの見え方は変わります。


3.神経科学から見た不登校

前頭前野は、注意制御・作業記憶・感情調整を担います。

ADHD傾向では、ドーパミン系の活動調整の違いが指摘されています。
報酬予測の感受性の違いがあり、興味のある対象には強く反応し、興味の薄い対象にはエネルギーが出にくい。

ASD傾向では、感覚処理の違いが見られます。
音、光、触覚刺激が過敏に感じられる場合があります。

教室は刺激の集合体です。

椅子の音。
ページをめくる音。
空調の音。
周囲の動き。

一般には無視できる刺激が、特性のある子には常時ストレスになります。

慢性的ストレスは、学習効率を低下させます。

つまり、「学校に行けない」のではなく、神経系が過負荷で回避している可能性があるのです。

これは怠けではなく、防御反応です。


4.興味駆動型脳という可能性

特性のある子どもには、もう一つの側面があります。

興味のある分野には、驚くほど集中する。

レゴ。
ゲーム設計。
数学の規則性。
図鑑。
プログラミング。

一点に火がついたときの集中力は、圧倒的です。

しかし学校では、「まんべんなく」が求められます。

偏りは問題とされます。

けれど社会は、平均的な能力よりも、突出した専門性を評価する場面が増えています。

偏りは欠点ではありません。
方向性次第で、武器になります。


5.自己否定が最大のリスク

不登校そのものよりも危険なのは、

「自分はできない」という思い込みです。

比較。
叱責。
精神論。

これらは二次的自己否定を生みます。

自己否定は挑戦回避を生みます。

挑戦回避は、成長の機会を奪います。

だからこそ、環境設計が重要です。


6.再設計という教育モデル

従来の補習は「穴埋め」です。

しかし再設計は違います。

・どこで躓いたのか
・なぜ躓いたのか
・認知特性は何か
・どの順番で再構築するか

量ではなく設計密度。

週2回1時間では定着が難しいケースもあります。

必要なのは、成功体験の再構築です。

できた。
分かった。
進めた。

この感覚が前頭前野の安定につながります。


7.未就学児療育との連続性

未就学児の段階で、

・感覚特性
・視線の使い方
・注意の持続
・社会性の芽

を観察すれば、将来の課題は予測できます。

神経可塑性は生涯続きますが、早期ほど変化しやすい。

環境が変われば、回路は再編成されます。

これは希望です。


8.進路は閉ざされていない

通信制高校。
定時制。
サポート校。
大学受験。

選択肢は広がっています。

重要なのは「今どこにいるか」ではなく、

「どこへ向かう設計をするか」です。

人生は直線ではありません。

遠回りは、専門性を深める時間にもなります。


9.長期視点という冷静さ

AI時代に価値を持つのは、

構造理解力。
抽象化能力。
独自視点。

これらは、興味駆動型脳が持ちやすい特性です。

短期的な復帰だけに焦点を当てると、可能性を狭めてしまいます。

長期視点が必要です。


10.親に伝えたいこと

焦らなくていい。

沈黙は停止ではありません。

子どもは黙っている間にも、考え、守り、再構築しています。

半年の遅れは、人生の敗北ではありません。

人生は長い。

私自身も一直線ではありませんでした。

回り道は、力になります。


11.再定義

不登校を「停止」と定義しない。

ASD・ADHDを「欠陥」と定義しない。

再設計期間と定義する。

特性の出方と定義する。

定義が変われば、見え方が変わります。

見え方が変われば、対応が変わります。

対応が変われば、未来が変わります。


終章

学校に行けない。

それは終わりではありません。

止まったように見える時間。

その時間は、

神経回路の再編成時間かもしれない。
才能の方向を定める時間かもしれない。

今は、違う道を歩いているだけ。

正しく設計すれば、その道は未来につながります。

不登校は、失敗ではありません。

設計の始まりです。


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by Dr.Kazushige.O
(一般社団法人 自在能力開発研究所 代表理事

 聡生館/Sprouts フリースクール代表)

― 不安を抱える保護者の方へ

「落ち着きがないのは、発達特性でしょうか」
「このまま普通学級で大丈夫でしょうか」
「今は困っていないけれど、将来が不安です」

未就学児や小学校低学年のお子さんを持つ保護者の方から、こうしたご相談をいただくことが増えています。

ASD(自閉スペクトラム症)
ADHD(注意欠如・多動症)
LD(学習障害)

という言葉を耳にする機会も増えました。

インターネットには情報が溢れています。
しかし情報が増えるほど、不安も増えてしまう。

けれど、まずお伝えしたいことがあります。

困ってから相談するのではなく、困らないために相談できる場所があること。

それがスプラウツです。


第1章 未就学児期は「診断」よりも「設計」

ASDやADHDという言葉は、医学的診断名です。

しかし、未就学児~低学年の段階では、

・発達のばらつき
・脳の成熟差
・気質の違い

が非常に大きい時期でもあります。

特に前頭前野(実行機能を司る部位)は、まだ発達途上です。

この時期に見られる

✔ 落ち着きのなさ
✔ 衝動性
✔ 感情の爆発
✔ 切り替えの弱さ

は、必ずしも障害とは限りません。

重要なのは、

今、何が弱く、何が強みかを見極め、環境を設計すること。

診断よりも先に、
「支え方」を整えることが未来を変えます。


第2章 中学年で表面化する4つの壁

小学校3~4年生は発達の転換点です。

① 抽象思考が始まる
② 学習量が急増する
③ 友人関係が固定化する
④ 自己評価が形成される

このとき、土台が弱いと

・文章題が極端に苦手
・音読はできるが理解が浅い
・友達関係で孤立
・「自分はダメだ」と言い始める

という形で現れます。

特にASD傾向のある子は、

・暗黙のルール理解
・曖昧な指示の処理

が難しくなります。

ADHD傾向のある子は、

・ワーキングメモリ負荷
・持続注意

で困りやすくなります。

LD傾向がある場合、

・読み書きの処理速度
・音韻認識

が学習量増加に追いつかなくなります。

これらは突然起きるのではありません。

低学年期の“見えにくい負荷”が、見える形になるだけです。


第3章 脳発達から見る「整えるべき力」

スプラウツでは、脳発達の視点を重視します。

特に重要なのは以下の5つです。

① 実行機能

計画・抑制・切り替え。

② ワーキングメモリ

情報を保持しながら処理する力。

③ 感覚統合

刺激の過敏・鈍麻への配慮。

④ 情動調整

感情の波を扱う力。

⑤ 愛着の安定

安心できる関係性。

これらが整うと、学力は後から伸びます。

逆に、ここが不安定だと先取り学習は崩れます。


第4章 「我慢」ではなく「扱い方」

社会性は我慢では育ちません。

・怒ってはいけない
・泣いてはいけない

ではなく、

「どう怒りを扱うか」
「どう気持ちを言葉にするか」

を練習する時期です。

ASDやADHD傾向のある子は特に、

感情の処理速度が周囲と違うことがあります。

叱責ではなく、構造化。

否定ではなく、翻訳。

これが支援の基本です。


第5章 スプラウツの支援の特徴

小金井市のスプラウツでは、

・個別学習支援
・療育的アプローチ
・少人数環境
・発達特性への具体的配慮

を統合しています。

例えば、

✔ 視覚支援の活用
✔ 手順の明確化
✔ 刺激量の調整
✔ スモールステップ設計

これらを日常の中で自然に行います。

診断がなくても相談可能です。

むしろ、診断前の段階でこそ価値があります。


第6章 保護者の不安は「早い」ほど軽くなる

「様子を見ましょう」

と言われ続けて、不安が積み重なるケースがあります。

しかし、

早期に環境を整えれば、
将来の二次障害(不登校・自己否定感)を防げます。

相談することは、
「問題がある証拠」ではありません。

子どもの未来を守る行動です。


第7章 安心できる場所があるということ

保護者の方が一番欲しいのは、

専門知識ではなく、
「大丈夫ですよ」と言える根拠のある存在。

スプラウツは、

・教育現場30年以上の経験
・発達支援の視点
・個別対応

を土台に、
一人ひとりを見ています。

小金井市で、

ASD・ADHD・発達特性に不安がある
未就学児・小学校低学年のお子さんをお持ちの方へ。

まずは話してみてください。

困ってからではなく、
困らないために。

未来は、静かな土台から育ちます。


🌱
by Dr.Kazushige.O
(一般社団法人 自在能力開発研究所 代表理事

 聡生館/Sprouts フリースクール代表)

最近、スプラウツへのお問い合わせが増えています。

フリースクールを探しているご家庭。
長い不登校の時間をどう受け止めればよいのか、迷いながら連絡をくださる保護者の方。
そして、体験に足を運んでくれる子どもたち。

入会してくれる生徒さんも、少しずつ増えてきました。

本当にありがたいことです。

けれど私は、
「人数が増えている」という事実よりも、
一人ひとりの“その瞬間”のほうが、ずっと大切だと感じています。

スプラウツに初めて来る子どもたちは、
みんな何かを抱えています。

そして、その多くは、
言葉になっていません。


言葉にならない言葉

体験に来た子どもは、必ずしも多くを語りません。

「よろしくお願いします」と小さな声で言う子。
ほとんど何も話さず、視線を机に落としたまま座る子。
無表情のまま部屋を見渡す子。
逆に、必要以上に明るく振る舞う子。

けれど私は思うのです。

本当に大切なのは、
声に出る言葉よりも、声に出ない言葉なのではないか、と。

視線の揺れ。
椅子に腰かけた瞬間の緊張。
机に置いた手の力の入り具合。
呼吸の浅さ。
声のトーン。
沈黙の長さ。

それらはすべて、「ことば」です。

言葉以前のことば。

子どもは、言語化できないだけで、
常に何かを発しています。

その微細なサインを、
私たちは受け取りたい。

そして、運よく、
ふっと笑みをこぼしてくれた瞬間。

あの一瞬は、何よりも尊い。

「ああ、少しだけ安心してくれたのかもしれない。」

そう感じられる時間は、
この仕事を続けてきた30年以上の中でも、
変わらず胸を打つ瞬間です。


不登校という時間の重さ

不登校は、単なる“登校していない状態”ではありません。

それは、
心が揺れ続けた時間であり、
傷つき続けた時間であり、
孤独と向き合い続けた時間でもあります。

学校に行けなくなるまでには、
必ず過程があります。

小さな違和感。
小さな傷。
小さな「もう無理かもしれない」。

それが積み重なり、
ある日、限界を超える。

周囲からは突然に見えても、
本人の中では長い葛藤の末なのです。

だからこそ、
スプラウツに来る子どもは、
すでに相当なエネルギーを使い切っています。

言葉が出ないのは、当然です。

語れる余力が、もう残っていないこともある。

だから私たちは、
“聞き出す”ことよりも、
“感じ取る”ことを大切にしています。


心と心は、まっすぐな直線か

私は時々、こんなことを考えます。

心と心。
言葉と言葉。

それは、まっすぐな直線なのかもしれない、と。

言葉で気持ちを伝える。
相手が言葉で返してくれる。

それは、一直線のやり取りです。

けれど、不登校の子どもたちは、
必ずしもその直線の上に立てるわけではありません。

言葉が出ない。
言葉を選べない。
そもそも、話したくないこともある。

だからこそ、
もう一本の線が必要になる。


言葉と心を結ぶ“対角線”

私はそれを、対角線のようなものだと感じています。

言葉と言葉を結ぶ直線。
心と心を結ぶ直線。

そして、
言葉と心を結ぶ、斜めの一本。

この一本があるかどうかで、
関係性の強さはまるで違ってきます。

建物で言えば、
耐震性を高めるための「筋交い」のようなもの。

普段は意識されない。
目立たない。
けれど、揺れたときにこそ、その存在が分かる。

子どもたちの心は、
不安で揺れています。

自信を失った時間。
否定された経験。
理解されなかった記憶。

その揺れを支えるのは、
正論でも、励ましでもありません。

「ちゃんと見ているよ」

という、静かなまなざしです。

そのまなざしが、
対角線となり、
関係を支えるのです。


表情が語る変化

スプラウツには、さまざまな背景を持った子どもが来ます。

長期不登校の子。
教室に入れなくなった子。
発達特性を抱える子。
人との距離感がつかめない子。

最初はほとんど目を合わせてくれなかった子が、
数週間後に、自分から話しかけてくれるようになる。

最初は机に突っ伏していた子が、
ある日、問題を解いたあとに小さくガッツポーズをする。

最初は声が震えていた子が、
ある日、自分の意見をはっきり言う。

その変化は、派手ではありません。

けれど、確実です。

それは、
心と心を結ぶ対角線が、
少しずつ強くなっている証です。


保護者の“声に出ない言葉”

体験にいらっしゃる保護者の方も、
また多くを抱えています。

「この子がどうなるのか不安で…」

その一言の奥には、

・私の育て方が悪かったのではないか
・将来、自立できるのだろうか
・社会に出られるのだろうか
・このまま取り残されるのではないか

そんな想いが重なっています。

私は、
その不安を否定しません。

不安になるのは、
本気で子どもを思っているからです。

だからこそ、
保護者の“声に出ない言葉”も、
私たちは受け止めたい。

スプラウツは、
子どもだけの場所ではありません。

家庭ごと支える場所でありたい。


呼応する瞬間

言葉と言葉。
心と心。
そして、言葉と心。

それらがふっと呼応する瞬間があります。

何気ない一言に、
子どもの目が変わる瞬間。

沈黙のあとに、
小さな本音がこぼれる瞬間。

そのとき、
対角線が確かに張られている。

無理やりではない。
強制でもない。

自然に、静かに、
結ばれていく線。

その瞬間を、
私は何よりも大切にしています。


フリースクールという存在意義

今、フリースクールの必要性は確実に高まっています。

学校だけが唯一の選択肢ではない。

けれど、
“居場所”という言葉だけでは足りない。

ただ居られるだけではなく、
少しずつ前を向ける場所でありたい。

心を守りながら、
学びも止めない。

自信を回復しながら、
未来も設計する。

それがスプラウツの役割です。


揺れても崩れない場所

スプラウツは、
安心して揺れていい場所です。

揺れても、崩れない。

そのために、
私たちは対角線を張り続けます。

問いかけすぎない。
急かさない。
比較しない。

その代わりに、

見守る。
信じる。
支える。

それが、私たちの姿勢です。


これから出会う子どもたちへ

問い合わせが増えている今、
私は改めて思います。

必要とされているのは、
場所そのものではなく、
関係性なのだと。

言葉にならない言葉を聴くこと。
揺れを支える一本の線になること。

これから出会う子どもたちとも、
静かな呼応を重ねていきたい。

焦らなくていい。
今は立ち止まっていてもいい。

けれど、
一人ではなくていい。

そのことだけは、
伝え続けたいと思っています。


🌱
by Dr.Kazushige.O
(一般社団法人 自在能力開発研究所  代表理事

 聡生館/Sprouts フリースクール代表)

若い頃、人はよく語ります。

将来の夢を語り、
理想を語り、
「自分はこう生きる」と宣言する。

私もそうでした。

教育とは何か。
人はどうすれば伸びるのか。
どんな指導が正しいのか。

理論を整え、言葉を重ね、
自分の考えをはっきりさせようとしていました。

でも、年を重ねると、少しずつ変わっていきます。

人生は、そんなに簡単に語れるものではないと分かってくるからです。

成功したと思った出来事も、
失敗だと思った出来事も、
時間が経つと、どちらも自分を形づくる一部になっている。

「あれが正しかった」とも、
「あれが間違いだった」とも、
簡単には言えなくなるのです。


私は最近、あまり人生を語らなくなりました。

人生とは何か、と問われても、
今はまだ答えを出さなくていいと思っています。

なぜなら、
人生の答えは、最後の最後にしか語れないものだと感じているからです。

メメントモリ。
人はいつか死ぬ。

この言葉を本気で受け止めるようになってから、
私は「今、結論を出す」ことをやめました。

語るよりも、
生きることを選ぶようになったのです。


毎朝、私は豆を挽いてコーヒーを淹れます。
三十年以上続く習慣です。

湯気が立ち上るカップを前に、
今日という一日が始まることを静かに受け入れる。

そこに大きな決意はありません。
壮大な人生論もありません。

ただ、今日を丁寧に生きようと思うだけです。

教室でも同じです。

受験前で緊張している子。
学校に行けなくなり、言葉を発しない子。
自分の将来が見えず、俯いている子。

その隣に座りながら、私は思います。

今、この子に必要なのは、
「人生を語る大人」ではなく、
「一緒に今日を生きる大人」なのではないか、と。


不登校のお子さんをお持ちの保護者の方は、
きっと何度も考えたはずです。

「このままでいいのだろうか」
「将来どうなるのだろうか」

未来を考えない日はありませんよね。

でも、未来は、今日の延長線上にしかありません。

人生を一気に語ろうとすると、
重たくなりすぎます。

けれど、
今日一日を生きることなら、
今この瞬間なら、
何とかなるかもしれない。

私はそう思っています。


若い頃、ある歌を聴きながら、
「こう生きたい」と強く思ったことがあります。

今でもその曲を聴くと、
胸の奥が少し揺れます。

けれど今は、
歌詞よりも、旋律の静けさに心を預けるようになりました。

言葉は減り、
沈黙が増える。

それでも、前に進んでいる。

それでいいのだと思っています。


人生を語らず。

でも、諦めているわけではありません。

むしろその逆です。

最後の最後に、
「これが私の人生だった」と静かに言えるように、
今はただ、目の前の一人に向き合う。

それだけです。

もし今、
お子さんのことで悩んでいるなら、
無理に「人生の答え」を出さなくて大丈夫です。

まずは今日をどう過ごすか。
今日をどう支えるか。

そこから一緒に考えていければと思っています。

人生は、語るよりも、
積み重ねるものなのかもしれません。

そして、その積み重ねの場が、
安心できる居場所であることが何より大切です。


もし「うちの子も当てはまるかも」と感じられたら、
一度、気軽にご相談ください。

大きな結論を出す必要はありません。
まずは今日のことから、一緒に整理していきましょう。


🌱
by Dr.Kazushige.O
(一般社団法人 自在能力開発研究所 代表理事

 聡生館/Sprouts フリースクール代表)