Do your best and it must be first class

この言葉を遺した人物として知られているのが、
ポール・ラッシュ です。

この言葉は、一見すると、とても厳しい言葉に聞こえるかもしれません。
「最善を尽くせ」
「しかも一流であれ」

今、心が疲れている子どもや、
学校に足が向かなくなっている子どもに向けて語るには、
少し強すぎる言葉のようにも感じられます。

けれど私は、スプラウツの現場で子どもたちと向き合う中で、
この言葉ほどやさしく、そして深い言葉はないのではないか、
そう思うようになりました。


「一流であれ」という言葉が、重く感じられる理由

不登校や登校しぶりの相談を受けていると、
多くの子どもたちは、すでに心のどこかで
「自分はだめだ」
「自分はできない」
という感覚を抱えています。

その状態で「一流になれ」と言われたら、
どう感じるでしょうか。

おそらく、
「自分には無理だ」
「どうせ期待されていない」
と、さらに心を閉じてしまうかもしれません。

だからこそ、ここで一度立ち止まって、
ポール・ラッシュの言う “first class” とは何だったのか
を、丁寧に考えてみたいのです。


first class とは、結果のことではない

スプラウツに通ってくる子どもたちの多くは、
決して「怠けて」いるわけではありません。

むしろ、
・人一倍気を遣ってきた
・期待に応えようとしてきた
・頑張り続けて、疲れてしまった

そんな背景をもつ子が、とても多い。

もし first class
「成績が良いこと」
「人より優れていること」
を意味しているのだとしたら、
この言葉は、多くの子どもたちを救うどころか、
さらに追い詰めてしまうでしょう。

けれど、ポール・ラッシュの歩みをたどると、
彼が大切にしていたのは、競争や選別ではありませんでした。

彼が見ていたのは、
一人ひとりが、自分の立っている場所で、誠実に生きているか
という一点だったのではないかと思うのです。


Do your best とは、「今の自分を否定しない」こと

スプラウツの現場では、
「今日はここまでしかできなかった」
「何もする気が起きなかった」
そんな日が、決して珍しくありません。

でも、それは「後退」ではありません。

心が回復していく過程は、
一直線ではなく、
波のように上下しながら進んでいくものだからです。

Do your best とは、
限界まで頑張ることではありません。

それは、
その日の自分の状態を正確に感じ取り、
その範囲で、ほんの一歩だけ前に出てみること
です。

・今日は教室に来られただけで十分
・今日は話を聞くだけで精一杯
・今日は何もできなかったけれど、来ようとした

それらすべてが、その日の best です。


勉強以前に、必要なものがある

学校に行けなくなった子どもたちは、
よく「勉強が遅れていること」を心配されます。

もちろん、学習の再構築は大切です。
けれど、それ以上に大切なものがあります。

それは、
「自分はここにいていい」という感覚です。

この感覚がないまま、
勉強だけを積み上げようとしても、
心はなかなかついてきません。

スプラウツでは、
勉強を始める前に、
まずこの土台を整えることを大切にしています。


考えることを、取り戻す

多くの子どもたちは、
学校生活の中で、いつの間にか
「考えること=苦しいこと」
になってしまっています。

・間違えると怒られる
・遅れると置いていかれる
・正解できない自分が恥ずかしい

そんな経験が重なると、
人は自然と、考えることそのものを避けるようになります。

だからスプラウツでは、
「正解」を急ぎません。

それよりも、
「どう思った?」
「どこで止まった?」
という問いを大切にします。

考えることを、
もう一度「安全な行為」に戻すためです。


first class の学びは、とても静かに育つ

スプラウツでの変化は、
外から見ると、とても小さなものです。

・表情が少し柔らいだ
・自分から話し始めた
・ノートを開く時間が増えた

けれど、それらはすべて、
心の中で何かが動き始めた証です。

first class の学びとは、
派手な成果ではありません。

自分の内側の動きを、
自分で感じ取れるようになること。

それができるようになると、
学びは、もう壊れません。


受験や進路は、その先にある

スプラウツに通う時間は、
人生の「立て直しの時間」でもあります。

ここで取り戻すのは、
成績だけではありません。

・自分の感情を感じる力
・分からないことを抱えていられる力
・すぐに答えが出なくても、立ち止まれる力

これらは、
どんな進路を選ぶとしても、
必ず支えになります。


最後に

もし今、
お子さんが動けなくなっていたとしても、
それは失敗ではありません。

それは、
これまで無理をしてきた証かもしれないし、
これから立て直すための準備期間かもしれません。

ポール・ラッシュの言葉は、
そんな時間を生きている子どもたちに、
こう語りかけているように思います。

「あなたの場所で、
あなたのペースで、
あなたなりの最善を尽くせばいい」

それが、
first class の生き方なのだと。


🌱
by Kazushige.O
(一般社団法人 自在能力開発研究所 代表理事/

     聡生館&Sprouts フリースクール代表)

1.「このままで大丈夫でしょうか」という問いから

不登校や登校しぶりについてご相談を受けていると、
多くの保護者の方が、同じ言葉を口にされます。

「このままで大丈夫でしょうか」
「いつになったら動き出すのでしょうか」

その声には、深い不安があります。
そして同時に、子どもを思う切実な願いがあります。

何かを怠っているのではないか。
このまま時間だけが過ぎてしまうのではないか。
取り返しのつかないことになるのではないか。

そう感じてしまうのは、無理もありません。

社会は、
「動いていること」
「前に進んでいること」
を前提にできています。

学校に行く。
授業を受ける。
成績を積み上げる。
進路を決める。

その流れから一度外れてしまうと、
まるで時間が止まってしまったかのような感覚に陥ります。

けれど、私たちはここで、
一度立ち止まって考えてみる必要があるのかもしれません。

本当に、子どもは「止まっている」のでしょうか。


2.動かないのではなく、吹いていないだけ

子どもが動けなくなったとき、
大人はつい、原因を探そうとします。

怠けているのではないか。
甘えているのではないか。
意志が弱いのではないか。

けれど、スプラウツに通ってくる子どもたちを見ていると、
そうした言葉が、どれほど現実から離れているかを感じます。

多くの子どもは、
動けなくなるまでに、
すでに相当なエネルギーを使い果たしています。

・頑張らなければならない
・期待に応えなければならない
・迷惑をかけてはいけない

そうやって、自分を追い込み続けた結果、
心と身体が「これ以上は無理だ」と
ブレーキをかけている。

それは逃げではありません。
壊れないための、最後の防衛反応です。

だから、動けない状態を
「問題」として片付けてしまうと、
本当に大切なものを見落としてしまう。

ここで思い出したい言葉があります。

風は、好むところへ吹く。

風は、無理に起こすものではありません。
必要だからといって、
こちらの都合で吹いてくれるわけでもない。

ただ、
吹くべき場所に、
吹くべきときに、
自然に吹く。

子どもの「動き出し」も、
それにとてもよく似ています。


3.風を起こそうとすると、何が起きるか

子どもが動けないとき、
大人はどうしても「何とかしよう」とします。

声をかける。
目標を示す。
計画を立てる。
成功例を見せる。

それ自体が悪いわけではありません。
けれど、その背景に
「早く動いてほしい」という焦りがあると、
その関わりは、子どもにとって重荷になります。

「まだなの?」
「そろそろ動かないと」
「このままでいいの?」

一つ一つは、心配から出た言葉です。
けれど、それを受け取る子どもは、
こう感じてしまうことがあります。

―― 動けない自分は、ダメなんだ。
―― 期待に応えられていない。
―― 早く変わらなければならない。

そうして、
本来は回復に向かうはずだったエネルギーが、
再び自己否定に使われてしまう。

風は、
追いかけられると、
逃げてしまいます。


4.動けない時間に、何が起きているのか

外から見ると、
子どもが家で過ごしている時間は、
「何もしていない」ように見えるかもしれません。

けれど、内側では、
実に多くのことが起きています。

・これまでの自分を振り返る
・無理をしてきた部分に気づく
・自分が何に傷ついていたのかを感じ直す
・「どう生きたいか」を、言葉にならない形で探る

これらは、とても静かで、
とても時間のかかる作業です。

しかも、
他人からは見えません。

だから、
「止まっている」と誤解されやすい。

しかし実際には、
この時間がなければ、
次の一歩は生まれません。

風が吹く前には、
必ず「静まり」があります。


5.風が吹く場所には、共通点がある

スプラウツで子どもたちと関わっていると、
「風が吹く場所」には、
いくつかの共通点があることに気づきます。

それは、

・安全であること
・評価されないこと
・比較されないこと
・急かされないこと
・失敗しても、戻ってこられること

こうした条件が整ったとき、
子どもは少しずつ、
自分の感覚を取り戻していきます。

最初は、
ただ座っているだけかもしれません。
ただ話を聞いているだけかもしれません。

それでも、
「ここにいていい」という感覚が育つと、
ある日、ふとした瞬間に、
風が動き始める。

・自分から話し始める
・興味のあることを口にする
・何かをやってみたいと言い出す

それは、とても小さな変化です。
けれど、確かに「風が吹いた」瞬間です。


6.スプラウツは、風を待つ場所

フリースクール・スプラウツは、
子どもを「変える」場所ではありません。

目標に向かわせる場所でも、
正解を与える場所でもありません。

私たちが大切にしているのは、
風が吹いても大丈夫な場所であり続けることです。

吹かなければ吹かないでいい。
吹いたら、受け止める。
強く吹いたら、折れないように支える。

それだけです。

何かをさせることよりも、
何かを「させないでいられる」ことの方が、
実はずっと難しい。

けれど、その難しさを引き受けることが、
私たち大人の役割なのだと思っています。


7.待つという行為の誤解

「待つ」と言うと、
放置しているように聞こえるかもしれません。

けれど、
本当の意味で待つことは、
とても能動的な行為です。

・子どもを観察する
・小さな変化を見逃さない
・不安を大人が引き受ける
・結果を急がない

これは、簡単なことではありません。

けれど、
この姿勢があるとき、
子どもは初めて、
自分のタイミングで動き出すことができます。


8.風は、必ずしも早くは吹かない

最後に、
お伝えしたいことがあります。

風は、
必ずしも早くは吹きません。

吹かない時間が長いほど、
不安になるのは当然です。

けれど、
吹いていないからといって、
その子がダメなのではありません。

ただ、
まだ吹いていないだけかもしれない。

そして、風は、
「正しい場所」ではなく、
**「安心できる場所」**で吹く。

スプラウツは、
その場所でありたいと思っています。


🌱
by  Dr. Kazushige.O
(一般社団法人 自在能力開発研究所 代表理事

    聡生館/Sprouts フリースクール代表)


 

フリースクールで日々子どもたちと関わっていると、
「心の揺らぎ」という言葉が、とても現実的な重みをもって迫ってきます。

今日は元気に話していたのに、
翌日はほとんど言葉を発しない。
昨日は「やってみたい」と言っていたことが、
今日は「もう無理」と感じられてしまう。

こうした変化は、フリースクールに通う生徒たちにとって、
決して特別なものではありません。
むしろ、心の揺れ幅が大きいことは、
フリースクール生に共通して見られる特徴のひとつだと感じています。

ただし、ここでひとつ、大切なことを最初に言っておきたいと思います。
それは――
心が揺らぐこと自体は、決して「悪いこと」ではない
ということです。

むしろ、心が揺れるということは、
外の世界を感じ取り、出来事を受け止め、
自分なりに意味づけをしようとしている証でもあります。

問題は、
揺れることそのものではなく、
揺れたあとに、戻ってこられる場所がないこと
なのではないかと思うのです。


心に「柱」が立ちにくいという感覚

フリースクール生と向き合っていると、
しばしばこんな印象を受けます。

それは、
心の中に、拠りどころとなる「柱」が立っていない、あるいは非常に細い
という感覚です。

ここで言う「柱」とは、
価値観や信念、
自分なりの判断基準、
「こういう時は、こう考えてもいい」という内側の指針のことです。

たとえば、

  • うまくいかないことがあったとき

  • 人の言葉に強く影響を受けたとき

  • 失敗や拒否を感じたとき

そうした場面で、
心の中に一本でも太い柱が立っていれば、
人はそこに体重を預けることができます。

「今はつらいけれど、全部が否定されたわけではない」
「できなかった自分=価値がない、ではない」
「今日はダメでも、明日は違うかもしれない」

こうした“踏みとどまる感覚”は、
心の柱が支えてくれるものです。

しかし、多くのフリースクール生は、
この柱を立てることがとても苦手です。

それは、
意志が弱いからでも、
甘えているからでもありません。

むしろ、
これまでの経験の中で、柱を立てる機会そのものが与えられてこなかった
という側面が大きいように思います。


そもそも、人は簡単に柱を立てられるのか

ここで視点を少し広げてみたいと思います。

心に柱を立てることは、
フリースクール生だけにとって難しいことなのでしょうか。

私は、そうは思いません。

大人になっても、
社会的に「うまくやっている」ように見える人でも、
実は一本の柱にすがるようにして生きている人は少なくありません。

  • 評価される自分

  • 役に立つ自分

  • 成果を出す自分

そうした「条件付きの柱」は、
うまく機能している間は、とても強そうに見えます。

けれども、
ひとたびそれが揺らいだとき、
心は一気に不安定になります。

仕事での失敗、
人間関係の変化、
体調や環境の変化。

一本の柱にすべてを預けていると、
それが折れた瞬間、
心全体が崩れてしまうのです。

つまり――
心に柱を立てることが難しいのは、人間共通の課題
だと言えるのではないでしょうか。


一本の柱では、なぜ危ういのか

「心に一本、太い柱を持とう」

こうした言葉は、一見すると前向きで力強く聞こえます。
しかし、私はこの考え方に、少し慎重でいたいと思っています。

なぜなら、
一本の柱にすべてを託すことは、とても危ういからです。

たとえば、

  • 「勉強ができる自分」

  • 「学校に行ける自分」

  • 「期待に応えられる自分」

こうした柱は、
状況によって簡単に折れてしまいます。

そして、その柱が折れたとき、
人は自分自身を丸ごと否定されたように感じてしまう。

フリースクールに通う生徒の中には、
まさにこの経験を重ねてきた子どもたちが多くいます。

「これができなければ、居場所がない」
「これを失ったら、価値がない」

そうした感覚は、
心の揺れ幅をさらに大きくしてしまいます。


折れても残る柱を、いくつ持てるか

そこで、私が大切にしたいと考えているのが、
「柱は一本でなくていい」という視点です。

むしろ、

  • 一本が折れても、まだ残っている

  • 二本、三本が、ゆるやかに支え合っている

そんな状態こそが、
現実的で、しなやかな心のあり方なのではないでしょうか。

たとえば、

  • 今日は何もできなかったけれど、ここに来た自分

  • 勉強は進まなかったけれど、人と話せた自分

  • 元気ではないけれど、生きている自分

こうした小さな柱は、
一本一本は細くても、
複数あることで、心全体を支えてくれます。

重要なのは、
「完璧な柱」を立てようとしないことです。

むしろ、
揺れながらでも立ち続ける、
折れてもまた立て直せる、
そんな柱を、少しずつ増やしていくこと。


柱は「教え込む」ものではない

ここで、教育に関わる立場として、
とても大切だと思っていることがあります。

それは、
心の柱は、外から押し込んで立てるものではない
ということです。

「こう考えなさい」
「前向きになりなさい」
「もっと自信を持ちなさい」

こうした言葉は、
善意から発せられることがほとんどです。

しかし、
心の柱は、指示や説得で立つものではありません。

柱は、

  • 自分で考え

  • 自分で感じ

  • 自分で確かめた経験

その積み重ねの中で、
いつの間にか立っているものです。

だからこそ、
フリースクールという場の役割は、
「正解の柱を与えること」ではなく、
柱が育つ時間と空間を守ることなのだと思います。


揺らぎの中にいる時間を、否定しない

心が揺れているとき、
本人はとても苦しいものです。

「このままでいいのだろうか」
「ずっとこの状態が続くのではないか」

そうした不安は、
周囲の大人にも伝わってきます。

けれども、
揺らぎの時間を無理に終わらせようとすると、
かえって柱は育ちません。

揺れているということは、
まだ心が動いているということ。
まだ、感じる力が残っているということ。

その時間を、

  • 急かさず

  • 評価せず

  • 比較せず

そっと見守ること。

それ自体が、
「ここにいていい」という、
とても大切な柱になります。


心の柱は、静かに、確かに育つ

柱は、ある日突然、完成するものではありません。

気づいたら、
「前より少し、揺れにくくなっている」
「前ほど、自分を責めなくなっている」

そんな小さな変化の積み重ねが、
柱を太くしていきます。

フリースクールで過ごす時間は、
そのための時間でもあります。

何かを「できるようになる」ことよりも、
折れても、また立て直せる感覚を身につけること

それは、
学校に戻るためだけの力ではなく、
生きていくための力です。


おわりに ― 揺れながら、生きていくということ

心が揺れることは、
人として自然なことです。

揺れない心を目指す必要はありません。

大切なのは、
揺れたときに、戻ってこられる場所があること。
一本折れても、まだ支えが残っていること。

フリースクール・スプラウツは、
そんな柱が、少しずつ育っていく場所でありたいと思っています。

今日も揺れながら、
それでも、生きている。

その事実そのものが、
すでに一本の柱なのだと、
私は信じています。


🌱
by Dr.Kazushige.O
(一般社団法人 自在能力開発研究所  代表理事

   聡生館/Sprouts フリースクール代表)

「このままで大丈夫なのでしょうか」

スプラウツにご相談に来られる保護者の方から、最も多く聞かれる言葉です。
学校へ行けなくなったわが子を前にして、
何を信じ、何を待ち、何をすればよいのか分からなくなってしまう。
その不安は、とても自然なものだと思います。

最近では、教育の世界でも「AI」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。
AI教材、オンライン学習、AIによる個別最適化。
「学校に行けなくても、AIで学べばいいのではないか」
そんな声を聞くこともあります。

確かに、知識を得るという意味では、
AIは非常に優れた道具です。
自分のペースで、誰にも責められず、
効率よく学習を進めることができます。

けれども、
不登校という状態にある子どもたちに、今本当に必要なものは何なのでしょうか。

今日は、
「知識」ではなく
「心の回復」
という視点から、改めて教育について考えてみたいと思います。


不登校は「怠け」でも「失敗」でもない

まず、最初にお伝えしたいことがあります。

不登校は、
怠けでも、甘えでも、失敗でもありません。

多くの子どもたちは、
限界まで頑張った末に、動けなくなっています。

  • 周囲に合わせようとし続けた結果

  • 失敗を繰り返し、自己否定が積み重なった結果

  • 安心できる場所が見つからなかった結果

ある日突然、学校に行けなくなったように見えても、
その前には、必ず長い「無理」があります。

不登校とは、
心と身体が発している「これ以上は無理です」というサインなのです。


動けなくなったとき、必要なのは「次の目標」ではない

保護者の方は、どうしても考えてしまいます。

  • いつ復学できるのか

  • 勉強は遅れないだろうか

  • このまま引きこもってしまうのではないか

そのお気持ちは、痛いほど分かります。

しかし、子どもが動けなくなっているとき、
「次にどうするか」「どう立て直すか」を急いでしまうと、
かえって回復を遠ざけてしまうことがあります。

なぜなら、
エネルギーが枯渇している状態では、前向きな選択はできないからです。

まず必要なのは、
心と身体のエネルギーを回復させる時間です。


心の回復は「教えられて」起こるものではない

ここで大切なのは、
心の回復は、
誰かに「こうしなさい」と言われて起こるものではない、ということです。

  • 頑張れば元気になる

  • 考え方を変えれば動ける

  • 前向きになれば学校に行ける

こうした言葉は、正論かもしれません。
けれど、心が疲れ切っているときには、
その正論が、さらに自分を責める材料になってしまいます。

心は、
安心できる関係性の中で、自然に回復していくものです。


face to face の関わりが持つ力

スプラウツでは、
face to face の関わりをとても大切にしています。

face to face とは、
単に「対面で教える」という意味ではありません。

  • 表情を見る

  • 声のトーンを感じる

  • 沈黙の時間を共有する

  • 言葉にならない気持ちを待つ

そうした 人と人との間に生まれる空気を含めた関わりです。

子どもは、
「何を言われたか」よりも、
「どう向き合われたか」を、敏感に感じ取ります。


AIにはできないこと

AIは、とても優秀です。
知識も、情報も、整理された答えも、すぐに提示してくれます。

けれど、AIにはできないことがあります。

それは、
**「その子の沈黙に、意味を見出すこと」**です。

不登校の子どもたちは、
自分の状態をうまく言葉にできないことが多くあります。

  • 何がつらいのか分からない

  • どうして行けないのか説明できない

  • 話そうとすると涙が出てしまう

その沈黙を、
「まだ話せない状態なんだな」と受け止め、
急かさず、評価せず、待つ。

これは、
人と人との関係性の中でしかできません。


「何もしない時間」に意味がある

スプラウツでは、
一見すると「何もしていない時間」があります。

勉強をしない日もあります。
何も話さない時間もあります。

けれど、その時間は、決して無駄ではありません。

  • 安心できる空間に身を置く

  • 誰にも否定されない

  • 何者かにならなくていい

そうした経験が、
少しずつ心を緩めていきます。

心が回復し始めると、
自然と、
「何かやってみようかな」
という気持ちが芽生えてきます。


学びは、心が動いてから始まる

私たちは、
「勉強ができるようになる前に、心が動く必要がある」
と考えています。

心が閉じたままでは、
どれほど良い教材があっても、学びは入ってきません。

だからこそ、スプラウツでは、
学習以前に、
**「安心して存在できること」**を大切にしています。


不登校という時間が教えてくれること

不登校は、
人生において、決して無駄な時間ではありません。

むしろ、
自分の心と向き合う、大切な時間になることがあります。

  • 何が苦しかったのか

  • 何を我慢してきたのか

  • 自分はどう在りたいのか

それを、急がず、比べず、整理していく。
その過程そのものが、学びです。


保護者の方へ

最後に、保護者の方へお伝えしたいことがあります。

「何もできていない」と感じる日があっても、
それは決して後退ではありません。

お子さんが、今日も生きていること。
今日も存在していること。
それ自体が、回復のプロセスの一部です。

どうか、
「早く元に戻さなければ」と思い過ぎないでください。

回復には、その子の時間があります。


スプラウツという場所

フリースクール・スプラウツは、
「学校の代わり」でも
「治す場所」でもありません。

心を休ませ、回復させ、
その子自身のペースを取り戻す場所
です。

AIが発達しても、
どれほど社会が便利になっても、
人が人として回復するためには、
人との関わりが必要です。

私たちは、
その関わりを、これからも大切にしていきます。


🌱
by Kazushige.O
(一般社団法人 自在能力開発研究所 代表理事/

 聡生館&Sprouts フリースクール代表)

新しい年を迎えると、
多くの人が「今年こそは」と言葉にします。
けれど、その言葉が心の奥まで届くことは、案外少ないものです。

気持ちはある。
思いもある。
それでも、なぜか前に進めない。
あるいは、進もうとすると、心や体が止まってしまう。

スプラウツに関わる子どもたち、
そして保護者の方とお話ししていると、
そんな感覚を抱えている方がとても多いことに気づきます。


「止まってしまった時間」を抱えたままで

不登校という状態は、
単に「学校に行っていない」という事実だけでは語れません。

・朝が来ることがつらい
・外に出るのが怖い
・人の声に、体が反応してしまう
・自分がどこにいるのか分からなくなる

こうした状態は、
本人の努力不足や甘えで起きているものではありません。

多くの場合、
時間の流れが、どこかで止まってしまったのです。

周囲はどんどん進んでいく。
学年は上がり、季節は巡り、
同年代の子どもたちは先へ先へと進んでいく。

その一方で、
自分だけが取り残されているような感覚。
焦りと不安、そして強い自己否定。

この状態で「さあ、前を向こう」と言われても、
それはあまりにも酷なことです。


メメント・モリという言葉

ここで一つ、
「メメント・モリ」という言葉について触れたいと思います。

ラテン語で
「死を想え」という意味を持つこの言葉は、
どこか重く、怖い印象を与えるかもしれません。

けれど、私がここで使いたいメメント・モリは、
決して恐怖を与えるための言葉ではありません。

それは、

人生には限りがある
だからこそ、今という時間が尊い

という、とても静かで、
本来はとても優しい視点です。


「生き直し」は、前に進むことではない

スプラウツに来る子どもたちに対して、
私たちは「早く元に戻そう」とは考えていません。

なぜなら、
元に戻る必要はないからです。

ここで必要なのは、
「やり直し」ではなく、
**「生き直し」**です。

生き直しとは、
無理に前に進むことではありません。

・立ち止まること
・休むこと
・振り返ること
・感じ直すこと

そうした時間を、
自分に許してあげることから始まります。


メメント・モリは「今を生きていい」という許可

メメント・モリという言葉を、
不登校の文脈で捉え直すと、
その意味は大きく変わります。

「人生には限りがある」
だから、

・今、無理をしなくてもいい
・今、立ち止まってもいい
・今、回復に時間を使っていい

という許可になるのです。

時間は、取り戻すものではありません。
今ここから、使い直すものです。


学びは、学校だけにあるものではない

スプラウツでは、
「勉強ができるようになること」だけを目的にはしていません。

もちろん、学習は大切です。
けれど、それ以上に大切なのは、

・自分の気持ちに気づくこと
・安心できる空間を持つこと
・人との関係を、少しずつ結び直すこと

こうした力です。

これらは、
教科書には載っていません。
けれど、人生を生きていく上で、
欠かすことのできない力です。


親御さんへ

もし、今この記事を読んでいる親御さんがいたら、
どうか自分を責めすぎないでください。

「もっと早く気づいてあげればよかった」
「育て方が悪かったのではないか」

そう思ってしまう気持ちは、とても自然です。
けれど、子どもは、
親の失敗の結果として存在しているわけではありません。

子どもには、
その子なりの時間があります。

そして、
その時間を守ってあげられる存在がいることが、
何よりの支えになります。


生き直しの学びは、とても静かに始まる

生き直しの学びは、
大きな決意や、劇的な変化から始まることは、ほとんどありません。

・今日はここに来られた
・少し笑えた
・誰かの話を聞けた
・自分の気持ちを言葉にできた

そうした、小さな出来事の積み重ねです。

メメント・モリは、
「人生は短いから急げ」という言葉ではありません。

「人生は有限だから、丁寧に扱っていい」
というメッセージです。


最後に

もし今、
「このままでいいのだろうか」と感じているなら、
その感覚は、あなたが生きている証拠です。

止まってしまった時間があるなら、
そこから、静かに生き直せばいい。

メメント・モリからスタートする学びは、
決して重い学びではありません。

それは、

今日という一日を、
自分の時間として使っていい

そう、自分に語りかけるところから始まります。

スプラウツは、
その時間を一緒に過ごす場所でありたいと、
そう思っています。


🌱
by Dr. Kazushige.O
(一般社団法人 自在能力開発研究所 代表理事

   /聡生館&Sprouts フリースクール代表)