「~原告団だより~ 号外」(福島・2014.2.25.) | For Our Future since 11 March 2011

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~原告団だより~ 号外

2014年2月25日
避難者訴訟原告団 事務局長 金井直子 

【無念の自死】

川俣町山木屋地区の広域農道(福島県HPから、2008.7.)



本日、福島地方裁判所本庁に行って来ました。

我が「福島原発被害弁護団」が初めての「本人尋問」をするという裁判をどうしても傍聴したくて出かけました。

皆さんも記憶にあると思います。

震災原発事故による避難生活のあげくに心のバランスを崩し、ついには焼身自死してしまった川俣町山木屋の女性がいました。その女性のご主人が、辛くて苦しいご自分の無念の思いを、勇気をふりしぼって裁判所の法廷で述べたのです。尋問と言う形式で、弁護団(主に深井弁護士と向川弁護士)が質問を投げかけ、それに答えるという方法でした。原告となったご主人は、生前の奥様の様子を詳細に記憶をたどりながら話されました。

生前の奥様は、同じ山木屋の女性。働き者で3人のお子さんにも恵まれました。夫婦で農場に勤め、同じ山木屋の仲間たちと広い庭でのバーベキューを楽しみ、カラオケルームも備えた自慢の我が家を平成12年に新築。本当に幸せな日々を送っていました。

そんな生活が、あの悪夢の原発事故により全て奪われてしまいました。政府の避難指示が出されて強制的に自宅を追われ、福島市内で慣れないアパート暮らしが始まりました。そして奥様の様子が少しづつ変わっていきました。

家の中にばかりいるので「散歩に行こう」「買い物に行こう」と誘っても、奥様は「避難者だと思われてジロジロ見られるから嫌だ」「田舎育ちで洋服もそれなりだから外に出たくない」と言い、やっと買い物に行っても「私は何を買ったら良いのかわからないから、お父さんが選んで」とばかり言うようになったそうです。そして何かにつけて泣きじゃくるようになっていったそうです。

そして2011年の7月1日、少しでも元気づけようと思い切って山木屋の自宅に一時帰宅した際、ご主人が目を離したすきに物置にあった燃料用のガソリンをかぶって、大好きな自宅の庭の柳の木の下で焼身自死してしまったそうです。

私は、途中から涙が止まらなくなりました。本当に気の毒で仕方ありませんでした。ご主人もどんなに無念だったことでしょう。そして奥様の苦しみは語るには辛すぎる内容でした。

これが原発事故避難関連死であることは明白です。間違いありません。

次回 4月15日(火)午後1時 福島地方裁判所206号   

多くの傍聴参加のご支援をお願いいたします。