LONE、今日はまた昔の彼女のことを思い出してしまったよ。でも今日はよかったことを思い出したんじゃなくて、悪かったことを思い出した。思えば2人だけで春を迎えた頃、そのころに僕はもう気持ちがさめていたことを思い出した。冷めていた、っていうのは正確じゃないな。あの頃の僕は、新しい生活で目に入ってくる全てのものに心奪われていた。そりゃ当然だよ。彼女はもはや好奇心の対象でなく、安らぎの場とかわっていたんだから。

別れを切り出したときの僕も、「これだけ別れる理由があるから、そして決して後悔はしない。」と思いつつ決心して言ったんだっけ。強くなろうとしていたんだ。だけど一体どうするのが一番よかったんだろうな。今でもそれは考えてしまうよ。

そういえば母校から卒業名簿の連絡が来ていた。

今の僕に、いったいどうして心宿らせる場所を求めることがあろうか。

死ぬまで走るよ。

LONE、僕は最近自分の寿命ってものを考える。

僕の人生は、まごうことなき他の人の人生よりも、寿命の期待値が低い。明日に、とまではいかなくとも、1年後、5年後、そして10年後も生きているかどうか危うい人生だ。でもだからこそ、一日一日を無駄にせず、出来る限りのことをして過ごそうとするべきなんだろう。

昔知り合いで病気にかかっている人が言っていたよ。生きている間は、精一杯何かを感じようとして、そして多くのものを伝えていきたいって。でもその人まだ生きているんだよな。人生なんて意外とこういうものなのかもしれない。死を背負うものほど、より輝くことができる。

君はこういう人生は好きかい?それとも長生きしたいほうかな?

LONE、今日もまたお酒を飲んで、スナック菓子を食べてしまったよ。もうやめられないのかな。別に体型が目に見えて醜くなっているわけではないけれど・・・。白濁の尿が出ることもあるから、体に悪いには違いないんだが。

それはそうと、今度職場の人とのみにいくことになったんだ。うちの職場はもともと飲み会なんてほとんどなかったのに、僕が入ってからもう2回目だよ。自分でいうのもなんだけど、僕はムードメーカー役を担っているように思う。もちろん逆にしらけさせることも多いけどね。昔っからそうだったんだ。場の空気を盛り上げるのが得意に見られていた。それでも心はいつも冬の水溜りのように氷がはっていて、踏めばすぐに壊れてしまうようなものだったけれどさ。

僕は本当に飲み会が好きなんだろうか。

LONE、今日は珍しく職場の人と一緒に帰ったよ。こう見えても、僕は職場では話上手で、おしゃべりだって言われるんだ。お世辞をちょっとだけ入れて言えば、終始みんなを笑わせっぱなしだったよ。それでも、そのときの僕は、「この中の誰かはうざいと思っているに違いない。」とか邪推してしまった。実際誰かが思っていると言えるし、思ってないとも言えるだろう。人の感情なんて、大概グレーだしね。楽しいもうざいも混ざっているんだよ。

なんでか今日は去年の大晦日を思い出す。去年の大晦日、僕は他の家族の家にいて、ずっと部屋に一人で閉じこもっていたっけ。別に嫌われていたわけじゃないよ。でも、やっぱり気を使ってしまった。僕はいつも人に気を使ってしまう。予防線をはらずにいられない。嫌われずにいたいから、と言うよりは、気にかけられたくないから、というのが正直なところなんだけど。

人と接する内容よりも前に、僕は人と接することそのものを意識してしまってるんだな。

LONE、僕は比較的自制心の強い人間じゃないかと思っている。テレビもほぼ見ない。タバコも酒も量が多いほうだったけれど、タバコはもうやめた。酒も毎日どころか数週間数ヶ月飲まないでやっていける。酒はきっぱりやめる理由もないので機会があれば飲むけどね。

だけど、スナック菓子を食べることは未だにやめられない。

毎日とまではいかないけれど、月の半分以上は何かしら買い食いをしている気がする。食べることにカタルシスを少しは感じるが、必須なものではないと体も心も言う。それとも食べる前の買い物に意義を感じているのかな。(買い物を通じて得られるものの考察はまたいつか。)もう10年以上食べ続けている気がする。なんでこれはやめられないんだろうな。

最近はもう食べると胃が痛くなることもあるし、体もたるみ始めた。いっそやめてしまいたいし、やめること自体は可能だと思う。それでも、やめた後には手持ちぶたさと虚無感がきてしまうんだ。その感覚をのり越えようとすると、また悲しくなってしまうんだ。僕は、他の誰かや何かに心許すことなく行き急いでいる。そんな自分をかわいそうに思い、自分を許してしまっているんだ。スナック菓子の買い食いがやめられない理由の一つは、自分を許す時間が欲しいから。簡単で、心身への短絡的な影響も少なく、少し罪悪感もともなっているスナック菓子の買い食いは、まさにうってつけなのかも。違うかなあ?

そういえば今日ちょっとおもしろい本を読んだ。チャイコフスキーの伝記なんだけどね。なかなかいい言葉があったので、抜き出しておくよ。

「ぼくは、自分の天職と思える仕事をしたいだけだ。有名な作曲家になろうが、生活苦と戦う教師になろうが、同じことだ。」

「残していく家族を苦しめることになるから、計画的な自殺はできない。だが死ぬこと自体は、どこも間違っていない。」

「作曲とは知の通わない知性の働きにすぎない、とあなたを説得しようとする人の言葉を信じないでください。私たちの心にふれ、感動させることのできる音楽はただ一つ、霊感のおとずれによって作曲家の魂の底からあふれだしたものだけなのです。この霊感という「客」は、一度さそえば、いつでもやってくるというものではありません。わたしたちは、たえず仕事をしていかなければならないのです。自尊心のある芸術家は、気分がのらないからと言い訳をして、手をこまねいていてはいけないのです。もし、自分で気分をよびよせる努力をせずに、やる気になっているのを待っているだけなら、人はすぐになまけたり、無感動になったりします。」

「彼は自分をプロ職人と考えた。いいアイディアがうかぶのを待って仕事をするのでなく、たゆまず机に向かった。」

この文章における霊感は「やる気」と「知性」と言い換えることができる。

僕はまだ生き急ぐよ。

LONE、自分の(日常の)行動決定の基準として、打算だとか論理だとか経験だとかいろいろ持ってきがちだが、

詰まるところは睡眠時間や生活スタイルなんかに踊らされているか弱いもののような気もする。

バランスよく食べてよく寝て健康的な生活を送ることこそが、望みどおりの生活を送る秘訣かもしれないな。

LONE、この世の言語を象った意思持つ人間は、すべて社会システムの渦の中に巻き込まれている。

昔は現社会の規範に則りその渦の中心へより近づくことが生きがいだと感じていたが、

そこから逸脱しつつある今、流れの緩やかなところでその渦の全体を眺めていたいと思うよ。

外国語を使うときは、なるべき脳みその違う部分を意識的に使う。

テクでなく感覚でマスターするしかないのだろう。

「世界は君なんて見ていない。 だから、世界に背を向ける必要なんてないんだ。 」


人間関係とか社会の文脈とか、自分の意識の前ではあまりたいしたものではないと。