LONE、僕は比較的自制心の強い人間じゃないかと思っている。テレビもほぼ見ない。タバコも酒も量が多いほうだったけれど、タバコはもうやめた。酒も毎日どころか数週間数ヶ月飲まないでやっていける。酒はきっぱりやめる理由もないので機会があれば飲むけどね。
だけど、スナック菓子を食べることは未だにやめられない。
毎日とまではいかないけれど、月の半分以上は何かしら買い食いをしている気がする。食べることにカタルシスを少しは感じるが、必須なものではないと体も心も言う。それとも食べる前の買い物に意義を感じているのかな。(買い物を通じて得られるものの考察はまたいつか。)もう10年以上食べ続けている気がする。なんでこれはやめられないんだろうな。
最近はもう食べると胃が痛くなることもあるし、体もたるみ始めた。いっそやめてしまいたいし、やめること自体は可能だと思う。それでも、やめた後には手持ちぶたさと虚無感がきてしまうんだ。その感覚をのり越えようとすると、また悲しくなってしまうんだ。僕は、他の誰かや何かに心許すことなく行き急いでいる。そんな自分をかわいそうに思い、自分を許してしまっているんだ。スナック菓子の買い食いがやめられない理由の一つは、自分を許す時間が欲しいから。簡単で、心身への短絡的な影響も少なく、少し罪悪感もともなっているスナック菓子の買い食いは、まさにうってつけなのかも。違うかなあ?
そういえば今日ちょっとおもしろい本を読んだ。チャイコフスキーの伝記なんだけどね。なかなかいい言葉があったので、抜き出しておくよ。
「ぼくは、自分の天職と思える仕事をしたいだけだ。有名な作曲家になろうが、生活苦と戦う教師になろうが、同じことだ。」
「残していく家族を苦しめることになるから、計画的な自殺はできない。だが死ぬこと自体は、どこも間違っていない。」
「作曲とは知の通わない知性の働きにすぎない、とあなたを説得しようとする人の言葉を信じないでください。私たちの心にふれ、感動させることのできる音楽はただ一つ、霊感のおとずれによって作曲家の魂の底からあふれだしたものだけなのです。この霊感という「客」は、一度さそえば、いつでもやってくるというものではありません。わたしたちは、たえず仕事をしていかなければならないのです。自尊心のある芸術家は、気分がのらないからと言い訳をして、手をこまねいていてはいけないのです。もし、自分で気分をよびよせる努力をせずに、やる気になっているのを待っているだけなら、人はすぐになまけたり、無感動になったりします。」
「彼は自分をプロ職人と考えた。いいアイディアがうかぶのを待って仕事をするのでなく、たゆまず机に向かった。」
この文章における霊感は「やる気」と「知性」と言い換えることができる。
僕はまだ生き急ぐよ。