1993年・初春


the BIG JET MOUSE解散後・・・
次はナニをしようか?と。

ナニをしようか?つーかドコに入ろうか?つーか誰とバンドやろうか?

と思案していた。
なぜなら、俺はこの頃はまだ作詞・作曲出来なかったからだ。

安易な考えで、『サトーの後釜として、マーガレッツでドラムでもやっか?』などとも考えてみたが、マーガレッツのドラムには、本八幡あたりで活動していた『アグッレシブ・ティーンネイジ・ファンクラブ』というバンドのコバって奴が入る事に決まったので無理。と言うか,そもそも俺はドラムなんか叩けないじゃないか・・・。
雑誌のメン募みてもイイのが居ない・・・。

あ、余談ではあるが、アグッレシブのボーカル・アライ君は、現在『the DiSCLAPTiS』というパンクバンドをやってる。精力的に活動中なので嬉しく思う。


さてどうしましょう?
やりたいのは、やっぱりスワンキーズみたいな九州パンクっぽいバンドだ。
地方色というか、ちょっとダサカッコイイ感じのバンドがやりたかった。
考えた末出た答えが、『メンバーが揃ってるバンドでも、ベースを追い出して俺が入ればイイんじゃねぇか?』という姑息な手段だった。

じゃ、千葉のビジブル・ファッカーに入りてぇな。

ビジブル・ファッカーは、千葉ハードコアシーン全盛の頃から『ブットバーズ』や『よじむ』という名で活動しており、R&Rをベースにしたパンクで、なんともカッペ臭い感じがカッコ良かった。
九州パンクに影響うけてる点もイイ。
博多のスワンキーズというより、佐賀のスパンキーボーイズっぽい感じ。
初めて観た時は『うわぁ・・・千葉のヤンキーパンクだ!田舎くせー』などと思った。

しかし、ベースを追い出すなんて簡単に言ってみたけれども、実はかなりビビっていた。
ナゼならその時のビジブルのベーシストは元・狂人病の紅一点・キムことキムラさんだったのだ。

キムラさんの事は、一方的に知っていたけども、話をした事は一度もナイ。
いくら女だといっても、千葉の凶悪パンクバンド・狂人病のメンバーだった人だ。

俺、狂人に『すんません、ベース俺やるんであんた辞めて下さい』って言うのかよぉー!?
つーか狂人病の人って事は、頭おかしくなる病気に感染してる人って事でしょ?
そんな人に話し通じんのかよ・・・?

と、怯えた。
しかし、今こそ土俵際の勝負。
ここで踏ん張らなければ、俺に明日はない。

まず、ボーカルのカサイに電話を掛け、『俺、ビジブルでベースやりてぇんだけど』と相談してみた。
カサイは『お!イイねぇ~!』などと好感触。
しかし、キムラさんの件については『あぁ、じゃそれは本人同士で相談して、キムラさんは千葉のパルコで働いてっからさ。行ってみれば?』となんとも放任主義な返答。

上等じゃねぇの!
やってやろうじゃねぇーの!

マジで2~3発殴られる覚悟で千葉に向かった。
キムラさんが働いてる店に行ってみると

いた・・・。

キムラさんは、なかなかキュートな女性で、可愛らしい顔をしている。
しかし本当の姿は『狂人キム』だ。 油断ならねぇ。
俺は一つ深呼吸し、気合を入れてキムラさんに近づいた。

すんませんキムラさん・・・
俺、ビジブルでベースやりたいんで、キムラさん抜けてもらえないっすか・・・?
なーんちゃって・・・ハハハ・・・

キムラさんは狂人キムに豹変し、俺は便所でシメられた。

と言うのは嘘で、キムラさんは 『うん、いいよ!』の一言であっさり承諾。
なんだか『その方が助かるわ!』みたいなニュアンスだった・・・。

なんだよ!
これならわざわざ亀戸から45分も電車乗って千葉まで来る事なかったじゃん!
電話一本で済んだんじゃねぇの!?


こうして、俺は無事、五体満足な体でビジブルファッカーに加入する事が出来た。
ちょっと複雑な気分だったが、またバンドやれる事が嬉しかった。





成り下がり
狂人病・アルバム『復活』の裏ジャケ
向かって右端の赤い髪した男だか女だか分かんない人が狂人キムだ!!







1992年・秋


よっしゃ、やんべ!

張り切る俺。
久し振りに、フライヤーなんか作って活気づけようじゃねーの!

って事で描いたのがこれ↓

成り下がり

これがBig jet mouseの最後のフライヤーだ。

では、記憶を辿ってみましょう。

この頃、俺は前のバンドのメンバー(ヒラノとトガワくん)と一回会った。
ヒラノには貸してたCDを返しにもらいに奴の家に行った時。


おう、元気?バンドやってんの?


いや、一回ライブやったきりもうやってない


あっそ、これ俺らのデモテープ、聴いてみてよ


俺は自信満々でヒラノにビッグジェットマウスのデモテープを渡した。

ヒラノの反応は薄かった。

そして、他に会話もなく、俺はタバコを一服して帰る事にした。


じゃ、またな。オマエもバンドがんばれよ


あぁ・・・


お互い淡々としてた。

良くも悪くも、僅か一年の間にお互い変わってしまったのを感じた。

トガワくんとは、小岩のスタジオMの近くで偶然会った。
その時、俺は一緒に居た女の子とふざけながら歩いていた。

すると、ガードレールに腰掛けたカップル(古い表現か?)が不思議そうな顔をしてコッチを見ている。
近くに行ったらトガワくんだった。


トガワくんとは、バンド解散後、一度も会ってなかったし、誰に聞いても音信不通だって言っていたので、ちょっと気になっていた。
当時、船橋のデパートの屋上からパンクっぽいカップルが飛び降り自殺した事件があったが、一瞬『これトガワくんじゃねーだろうな!?』と心配した事もあった。

この時、俺はかなりハイテンションだった、たぶん酔っ払ってたのだろう。

おう!トガワくんじゃん!ひさしぶりー!


あぁ、ひさしぶり・・・


なにやってんの!?バンドはやってんの!?あっそ、やってねーんだ?俺やってるぜ!千葉あたりじゃちょっとした顔だぜ!今度来てよ!じゃ、また!

あぁ、じゃあね・・・

矢継ぎ早に言葉を発し去ってゆく俺。

彼の目には、かなり感じの悪い奴に映ったであろう。
見返してやるなんて気持ちはもうないつもりだったが『バンドをやってない』という言葉を聞いた途端『勝った!』といった気持ちになっていた。


本当に、この頃の俺はチイサイ。
人のフンドシで横綱気取りだ。

そして、バンドの方は?といえば。
ライブはそれなりに好調だった、お客さんもそこそこに入る様になっていた(以前よりは)。
しかし、メンバーの仲はかなりビミョーな事になっていた。

このフライヤーのライブ日程から推測すると、1992年の11月10日の事だと思われる。
ライブ終了後、いつもの様に打ち上げに行くのかと思っていたら、俺を除くメンバーは帰ると言い出した。

じゃあ俺も帰ろうかな?なんて思っていたら、ドラムのオーちゃんの車で帰ると言う。

ほう、君らメンバー3人+相方2人で合計5人ね、俺、乗れねーじゃん・・・。

プライドだけはイッチョマエな俺は、本当はみんなと帰りたい気持ちもあったが『あぁ、俺、打ち上げ出るからさ、まだ帰らねーわ』と見栄を張った。
お客さん達は『みんな帰ったの?今日は打ち上げやらないの?』と、ちょっと寂しそうに俺に言う。

行くぜ!朝までガッパリ呑もうぜ!!

なんともやるせない気分だった、俺だけが仲間外れって事よりも、折角来てくれたお客さん達(俺にしてみりゃみんな友達だった)をないがしろにしている様に感じて嫌な気分だった。
今ではケースバイケースだが、当時は俺の中でライブと打ち上げはセットだった。

当時は俺達と呑んだりする事が楽しくてライブに来る子達もいた。
そんな子達に、声を掛ける事もなく帰ったメンバーに不信感を抱いた。(坊やだから)

打ち上げは俺+女の子10人位で高円寺の『赤ちょうちん』というバンドマン御用達の店にて敢行された。
テンションを上げて行こうと思えば思うほど、さっきの出来事を思い出し暗くなる。

心苦しさと、寂しさから呟いた。

みんな、今日は折角来てくれたのに俺一人だけでごめんな、みんな用事あるみたいでさ・・・

その呟きに、マーガレッツのスタッフをやっていたヒロミちゃんという女の子が答えた。

今日はみんなキーチさんと呑みたくてココにいるんだよ、キーチさんに会いにこれだけの人数集まるなんて凄い事だよ!

他の娘達も『そーだよ!そーだよ!』と賛同してくれた。

俺、この時少し泣いた。
今、思い出してもちょっと泣ける、みんなの気持ちが嬉しかった。

自惚れかもしれないが、この頃から『バンドをやる』という事が自分の為だけではなくなっている様な気がしていた。

その気持ちは間違いなのかもしれないが、今でも僅かに俺の中に残っている。


一方、盟友マーガレッツ
その頃のマーガレッツはドラムのサトーが脱退する事になっていた。

俺は、ドラムなど全く叩けないのに、『ビッグジェット辞めてマーガレッツのドラムになろうかな~?』などと考えていた。

しかし、次の千葉ルックでのライブはもう間近だし、対バンはすでに大人気のニューキーパイクス。
多分、客は大入りだろう?
これは俺達ビッグジェットマウスを知らない人に俺達を知ってもらう絶好の機会だ。


だが、本当にこのままでいいのだろうか?

散々葛藤した結果、次のライブでメンバー同士の気持ちが一致しなかったら俺は脱退するつもりだった。

数日後。

めずらしくチャチャくんとヤマちゃんが2人揃って俺の家に来た。
もう何を言いに来たかわかっていた。
チャチャくんが言った。

俺らバンド抜けるからさ、キーチは続けるなら続けてかまわないからさ、俺らHIPHOPやるからさ

なんだよ、数年前と全く一緒じゃん!
続けられるワケねーじゃん!

悔しさとか、憎しみは無かった。

むしろスッキリした感じだったし、『俺をここまで育ててくれてありがとう』とさえ思った。

2人が帰ってから、千葉ルックと20000Vに電話を入れ、ライブをキャンセルさせてくれと伝えた。

僅か1年ちょっとの活動期間だったけど、今でもカッコイイバンドだったと思うし、凄くイイ経験をさせてもらったと思ってる。
機会があったら、音源なんかも紹介したい。

数時間後、マーガレッツのウダから電話があった。
『解散するって聞いたんだけどホントなの?』と。
俺は『うん、そう、ホント』などと、やけにアッサリ答えてしまい、ウダは苛立ちを感じ『なんなんだよ!どいつもこいつもよぉ!!』と怒鳴って電話を切った。


ウダはイイ奴だ。

ビッグジェットマウスを一番多く観たし、聴いたし、好きでいてくれた奴だ。
別に褒めたいワケじゃない。







1992年・春


俺達のバンドとマーガレッツは、同時期に都内でも精力的にライブを開始した。(マーガレッツは浦和あたりにも行ってた気がする)
主に、高円寺の20000Vと、その上に出来た屋根裏2(現GEAR)・新宿アンティノックあたりでの活動だった。
その頃の新宿・高円寺のパンクシーンと言えば、SHOCK・レジストレーターズ・DADS・アトミックボンバーズ・NO THINK・SLINKS・GUSTってバンドなんかが精力的にライブをやっていた。
各バンドとも、俺にとってはショッキングな存在だった。

特にSHOCK・レジストレーターズ・SLINKSは、都会の乾いた感覚と、日本人離れしたコミカルな魅力満載で俺は好きだった。

一方、千葉でも、俺達より前から活動していた、ブットバーズというバンドが『ビジブルファッカー』と名を替え、精力的にライブ活動を始め出し、もう一方では津田沼周辺の俺達より若いパンクバンドが出始めて、千葉の次世代のパンクシーンが活気点きはじめてきていた。
そして、もっともっと最下層からある男が出て来る事を、俺はまだ知らなかった・・・。

ある日のライブ。
ライブハウスLOOKに着くと、高校生らしきバンドがリハーサルの真っ最中だった。

俺はすでに大物気取りで『ほほう、若いバンドなのね?』なんて感じで眺めていた。
ボーカルはヤンキーみたいな顔してんな~。ベースの奴は生意気そうな顔してんな~。と。
このバンド、ライブではピストルズのカバーをやっている典型的な高校生パンクバンドだった。


ライブ中、ベースの生意気そうな奴が『俺、鎖骨折れてて本当はライブやっちゃいけないんだけど関係ネーよ!』とライブ中盤からTシャツを脱ぎギプス姿で自マン毛・・・。
ボーカルのヤンキーは、パンクスのマストアイテム『パラシュートシャツ』を着ていたのだが、彼が着ると特攻服にしか見えないから不思議だ。
そしてそのヤンキーは、客席の女の子から花束を貰ってた。

その様は、暴走族の引退式にしか見えない。

そして、そのヤンキーボーカルは、よせばいいのに唄いながらその女の子の頭撫で回してニヤニヤ笑ってた。

あほくせぇ・・・


俺は、数ヶ月前までこの高校生バンドと大して変わらない存在だったにもかかわらず、『俺達がモノホンのパンクってやつを見せてやるぜ!』と意気込みライブに挑んだ。


結果、この高校生パンクは、それなりに衝撃を受けたらしく。
ライブ終了後『デモテープは無いんですか?』『次のライブはいつですか?』と俺の周りに集まった。
特にベースの鎖骨ギプスはしつこく聞いてくる。
俺様天狗は『あぁ、本八幡のミュージアムって店にデモテープ置いてあるからさ、良かったら買いに行ってよ』 『ライブは毎月LOOKとか都内でやるからさ、チラシに書いてある番号に電話して』等と余裕をかまして対応した。

数日後。
鎖骨ギプスから電話がかかってきた。
ミュージアムに行ったがデモテープが売り切れてたらしく、どうすればいい?との事。(50本しか置いてなかった。完売して嬉しかったけど面倒くせぇから集金行かなかったらいつの間にか店無くなってた)
せっかく千葉から行ったのに売ってないからガッカリした。等と、ちょっと『責任をとれ』的な言いまわしだった。

そこまで言われたらしょうがない。

郵送してやる事にした。

更に数日後。
また鎖骨から電話が来た。
テープの礼でも言うかと思ったら、『マーガレッツの人達ってどこで服買ってるんですかね?』 『マーガレッツのチラシとかビッグジェットマウスのチラシって同じ人が書いてるんですかね?』 『今度、マーガレッツと対バンする時あったら教えて下さい』等と申してきやがりました。


俺は『俺ァな、マーガレッツのマネージャーじゃねぇんだよ・・・』と思いつつ、丁重かつ的確に『知りません』『違います』『わかりました』と各質問に対応した。

俺は確信した。

こいつらはバカなんだな?

OK、それならば話は簡単だ。

そうさ、俺達がBEST!馬鹿ども相手にしてるヒマはねぇ。
おまえらはパンクごっこでもしてろ。と。


数年後、この鎖骨ギプスと俺は因果鉄道999に同乗し千葉の万年中堅バンドマンと成り下がる等とはこの時は想像もしていなかった。


そんな事もありつつ、ビッグジェットマウスとマーガレッツは更に加速した。

その頃の俺は、周りの連中に負けない様に、自分だけの魅力ってやつを模索していた。
俺は、ベースはヘタで周りの連中には勝てねぇし、ファッションもダサイ・・・。
考えた末出た結果が『喋り』だった、今にしてみればバンドマンとして本末転倒もイイとこだが、あの頃の俺にはこれしか答えが出なかった。

強気強気の一辺倒!アジって煽って茶化してナンボ!

俺の発言は千葉のヤングパンクスに受けた。

そして、俺は更に調子にのった。

そして季節は春から夏へ。
毎年恒例の稲毛野外ステージでのライブ。

千葉LOOK店長・斉藤さん主催の『サウンド・ドリーム』(現在は斉藤ヒロシ・ミュージックショー)に俺達はマーガレッツ共々初出演し、共演者に『千葉の新しいパンクシーン』を見せつけた。

更に秋になると、マーガレッツはルート14のピーナッツレコードから1stデモ(正確に言えば2nd)『the MARGAReTS』を発売し、千葉のヤングパンクスから絶大な支持を得、以後マーガレッツモドキなバンドを増加させる事になる。

そして、千葉のチンピラパンク・ビジブルファッカーは、オムニバスCD『SSS』に参加し、俺達の中では初のCDリリースバンドとして頭一つ抜きん出た存在となっていた。

しかし、俺達ビッグジェットマウスはバンドが加速するにつれ、俺のテク不足問題やメンバーの音楽の方向性の違いも徐々に出始めてきていた。
俺にとってのビッグジェットマウスというか、チャチャくんの作る曲の魅力は、ハードコアを基本にしながらの変調であり、メロディアスであり・ラブソングだって有りだぜ!ってな所だったのだが、チャチャくん&山ちゃんはHIP HOP方面に興味を持ち始めていた。
メンバー同士のミーティングもシリアスな感じになり、以前は毎日の様にメンバーと遊んでいたが、徐々に会う回数も減っていった。
そして、あれほど仲の良かったマーガレッツのライブに顔を出すのも俺だけになってた。

なんだか最近つまんねーよ。

俺の不満を察してか、マーガレッツのウダとマチイは俺を千葉に呼び、色んな所へ連れて行ってくれた。
楽しかったし、嬉しかった。
うだうだ悩んでねーで一生懸命やるしかねーよな・・・。

むしろ俺が引っ張って行くって気持ちでもう一回頑張ろうと思った。


そんな俺の心とは裏腹に


また、終わりはお前が思うよりずっと近くに来ていると。




あ~の、こ~ろわ~

わ~かかぁったぁ・・・



ビッグジェットマウス&マーガレッツ

この写真は千葉LOOKのスケジュール表の表紙になって嬉しかったなぁ。



マーガレッツのデモテープ。名盤!!

俺もコーラスで参加した。






1991年・冬


気にいらねぇ。

ふーん、マーガレッツねぇ・・・

バードセーターにベレー帽&革パンのキャプテンセンシブル。
こいつがギター&ボーカルのウダ


もう片方はまんまシド・ビシャス。
こいつがベース&ボーカルのマチイ。


お坊ちゃんっぽいのがドラムのサトー。
こいつはきっと無理やりパンクやらされてるんじゃねーかな?

と思ってたらやはり真実は近いものがあった。(しかしある意味サトーこそ真のパンクだったのかも・・・?)

ウダとマチイは二人とも身長180cm位ある。
なんとも派手で垢抜けてますな。

それに比べて当方『オレンヂ』は・・・

ボーカルが坊主頭で、ギターがモヒカン。

俺なんて角刈りみてーな頭してた。
格好はチャチャくんと山ちゃんはちょっと変わったパンク。

俺なんかネルシャツかなんか着てたんじゃねーかな?
んでもってみんな身長165cm位。
なんともカッペ臭いですこと・・・。

リハーサルを観たところ、マーガレッツはスタンダードなパンクっつーか普通のR&Rって感じだなと思った。
(本人達はBOYSやスローター&ザ・ドッグスあたりのB級パンクがやりたいって言ってた)
格好はお前ら派手でイカシテるけど音は俺達の方がイカシテるぜ、なめんな!と内心思いつつ便所でマチイとはちあわせたんで話しかけた。

『なに、やっぱダムドとか初期パン好きなの?』と俺。
『あぁ、まぁ好きだけど俺は本当はジャパコアが好きなんだ。』とマチイ。


出たー!嘘つけー!

本当はクラック・ザ・マリアンとか好きなんだけど、なめられねぇ様にジャパコア好きとか言ってんだろ?
無理すんな、ハードコアなめんじゃねぇ!


と、2ヶ月前にハードコアバンドに入ったばかりのハードコア初心者の俺は心の中で叫んだが、もちろん口には出さず『あ、そうなの?俺もホントは初期パンやってたんだけどさ、そのバンドは解散して今のバンドに入ったんだよ。ま、今日はよろしく』と。

俺は見栄を張っていた・・・。

本当は嫉妬していた・・・。
だって奴らカッコイイんだもの。キラキラ輝いてましたもん。
歳聞いたらタメだしさ、いっそ年上だったら良かったのにって思ったよ。

その日のライブはマーガレッツの客でイッパイだった。
その恩恵で俺達のライブもそこそこに盛り上がった、しかし俺はマーガレッツに対する羨望と嫉妬でライブ中も『俺、イケてねぇ~』等と、余計な事ばかり考えていた。
マーガレッツはステージングも派手でカッコイイ。

客もかなり盛り上がっていた。

失敗した・・・。俺もやっぱりこんなのがやりたいのかも・・・?
俺、自分に無理してハードコアがイイって言ってんのかもな。

と気持ちの迷いが生じた。

ライブ終了後、俺達は互いの心中を探り合う様に冗談を交わし別れた。


『じゃ、また会った時には「解散しちゃいました」なんて事になってない様にがんばれよ』


『あぁ、そっちこそな』


おもしれぇ奴らだ。

でもあいつらにはぜってー負けネェなんて話をメンバーと話しながら帰宅した。

そうだ、俺はこの人達についていくんだ!!

俺には俺のやり方があるはずだ。

翌年のルート14でのライブ。
ドアを開けたら奴らがいた。
また対バンだった。


そこから俺達のバンドとマーガレッツは急速に仲良くなった。
互いのライブに足を運び、互いの家に泊まり、朝まで酒を呑んだ。
互いの新曲や客の感想を聞き『あいつらよりカッコイイ曲作ってやる!』と互いに燃えた。

その後、俺達のバンドもドラムに俺の中学時代の後輩オーチャンを迎えバンド名を『Big Jet Mouse』と改名した。

オーチャンはサトー同様、はたから見れば無理やりパンクバンドに加入させられたの?って感じのルックスだったが、これもまたサトー同様テクは抜群だった。(俺、当時は正直良くわかってなかったけど)

サトーとオーチャンは似た者同士で仲が良かった。


俺はマチイとウダとよくつるんでた、特にマチイとは趣味や境遇も良く似ていたのでウマが合った。

全裸で夜の街中を徘徊してみたり色んなアホな事をしたもんだ。
ウダは『ウンコしているとこを見ろ!』等と、自分の排泄状況を目視する事を強要する馬鹿だったが、ちょっとクールな部分があった。
当時はウダはみんなより少し大人だった気がする。(でも確実にバカだった)


イイ時代だったと思う。
あの時ほどバンド同士で切磋琢磨して盛り上がった事は無いしこれからもないだろう・・・

なんてスタンド・バイ・ミーみたいに〆てみる。

俺達とマーガレッツは狂人病・パラサイト・G-10といった怖い先輩達が築き上げた千葉ハードコアシーンの衰退後、ここぞとばかり鬼のいぬ間の洗濯ヨロシク。
調子こいた次世代パンクシーンの中核となった。

その後、俺が『東京のヨソ者が千葉で調子こいてる』といった理由で千葉の歳下のハードコア連中に恨まれ嫌われモメる事になり、それを聞いた千葉パンクの大御所・狂人病のタケオ氏が泥酔し俺の所にやってきて『オマエもジェフのユニフォーム買え!』『「オマエよく見りゃイイ男だな?イイ男だからってナメんじゃねー!』等と音楽とか思想とかに全く関係無い理由でメチャクチャにブン殴られる事になるとも知らず全開で調子こいた。

気分は『HELLO NEW PUNKS』

派手にやろうぜ!



(狂人病のVo・タケオ氏は2002年に他界されました。あまり接点はありませんでしたが、タケオくんは普段は頭の回転が速くオモシレー事を言う人でした。頭がイイだけにナイーブな所があったのだろうと今になって思います。ブン殴られた事も過ぎ去ってしまえばイイ思い出です・合掌)



ルート14に初出演した時だと思う

俺、ダサイなぁ・・・



向かって右の派手な奴らがマーガレッツ(サトーはいない)

で、左の連中がビッグジェットマウスの皆さん。







1991年・初秋


メンバー募集の記事に応募し、面会。

そして一週間後 。

初めて彼らとスタジオに入った。
江戸川区の平井にあった「Jサウンド」ってスタジオだった。のちにスタジオMになった場所だ(今は違うかも?)
ボーカルがチャチャくん・ギターが山ちゃん・ベースが俺、ドラムは打ち込み。って編成でこのバンドは始まった。

まずはチャチャくんの弾くベース見本を拝見、チャチャくんは元々ベーシストで唄に専念したいからベースを募集したらしい。
見てびっくり、うめぇうめぇ、バリバリ弾きながら唄う唄う。
体全体でベースを弾き唄う姿に感動→嫉妬→自信喪失→従順。

俺、必要ないじゃん・・・。


緊張と自信喪失により、俺の演奏はガタガタだった。
練習が終ってからチャチャくんに『俺が弾くよりチャチャくん弾いた方がイイですよ、俺スタッフとかでもイイです・・・』と言った。
記憶が曖昧だが、チャチャくんは『まだ何もやってネェのにそんな事言うなよ!俺は歌が唄いてぇから入れたんだよ!すぐ諦めんな』ってな事を怒鳴った。
俺とはバンドに対する姿勢・演奏力等、全てレベルが違っていた。

俺は今までナメていた、努力不足を他力本願で補い、他力が消えた事を裏切られたと泣いていた甘ちゃんだ。
俺は、この人達について行こうと思った。
もう前のメンバーを見返す為にバンドをやるなんて下らない考えは辞めた。
今はこの人達の足手まといにならない様に頑張ろう。
だって、初ライブまであと二週間しか無いんだもの・・・。

そう、俺が入らなかったらこの人達は二人でライブをやるつもりだったのだ。
そんな事も当時の俺には衝撃的だった。


そして二週間後。

本当にライブを決行する事となった。

初ライブは、1991年の10月21日・高円寺レイジーウェイズだったと記憶している。
バンド名は、チャチャくんの提案で『オレンヂ』という名前になった。
しかし、ライブ自体どんなんだったかは全く記憶に無い。

憶えているのは、カウンターのネエチャンが可愛かったって事くらい。
たぶん、可も無く不可も無くって感じのライブだったんだと思う。
怒られた記憶も無ければ、褒められた記憶も無いから多分そうだろう。

その数日後、バンド活動を精力的にする為に、俺達はデモテープを持って千葉LOOKと本八幡ルート14にブッキング交渉に行った。
都内に住んでるのになんで千葉でライブやるんだろう?と思ったが、この人達について行けばまちがいねぇ。と思っていたので従順。

本八幡のルート14では、着いたらライブ中だったので『音とかハコの雰囲気がどんな感じか観たいからちょっとだけライブ見せてくれ』と頼んだが断られたので、帰り際3人で『ケチー!』と叫んで店を出た記憶がある。

俺ら子供だったね。

そして千葉LOOK。
当時の方がもう潰れてんじゃねぇの?ってなくらい今よりボロだった様な気がするのは気のせいではないはずだ。

当時のLOOKは場末のキャバレーの様な雰囲気で、実際、ライブが終了すると午後10時以降は従業員も入れ替わり、店名も『ライブスポット・LOOK』から『ナイトラウンジ・LOOK』となり、パブとして営業していたのだ。

店内に入るとドテラを着たメガネの男がいた。

ブッキングの交渉を始めると、ドテラにメガネの男は、話を聞いてんだか聞いてないんだか、目だけギョロギョロさせて『はぁ、はぁ、そうですか。おす、おす、了解です』と。
彼こそ、今では全国的に有名な『現役でありながら伝説のライブハウス店長・斉藤(ナイトファッカー)ヒロシ』だった。

しかし、こっちは子供なんで『なんだよアイツ・・・大丈夫かよ?』とか『ぜってーLOOKってもうたまにしかライブやってねぇんだよ、もう潰れる寸前なんじゃね?』とか『ライブ入れちゃったけどバックレちゃおっか?』なんて話ていた。
実際、当時のLOOKは空き日が多かったし俺達も半分バックレるつもりだった。

そして交渉の結果、ルート14は年明けに。

LOOKは一ヵ月後にライブを入れてくれた。

そしてLOOKでのライブ当日。
(俺の記憶では91年の11月20日前後だが定かでは無い)
実はこの日が(も?)運命の分かれ道。
もし、このバンドが千葉LOOKでのブッキングをバックれ、ライブをやっていなかったら、今の俺が何処で暮らして何をやっているのか全く想像出来ない。

この日、チャチャくん・山ちゃんと同じくらい『コイツらと出会わなかったら俺は今でもバンドを続ける事が出来なかったはずだ』と思う奴らと出会ったのだ。 (俺には10人位そんな人がいます)

気に入らネェ!なんとも生意気なヤローどもだぜ!と思った。
奴らの名は。


野に咲く汚物 



ザ・マーガレッツ











1991年・初秋


雨の新小岩。

本屋の前で『ギターの奴』を待つTWO PUNKS。
お互い、話もちぐはぐで、なんとも気まづい。
そして、10分ほど遅れてギターの奴が登場。


怪しい・・・。本当に二人とも怪しい。

『類は友を呼ぶ』と言うが、二人とも当時の街中に居たパンクスとは明らかに雰囲気が違う。
なんとも表現し難いが、ダークっつーの?つーかワルっつーの?てゆーかやっぱ怪しいってのが一番か?
そんな二人とマックへ向かった。


ハンバーガーを『うめぇ!うめぇ!』と貪り食う二人を見ながら『なんて断ろうかな』と考えていた。
食い終わり一服。本題に入るかと思いきやNYヤンキースが


おれチャチャキっていうんだ、こいつギターの山ちゃん
キミ名前なんだっけ?つーか中井貴一に似てるね。
じゃ、あだ名キーチね。


と言い放ったので仰天した。

以降、俺の名はキーチとなった。
今では本名を知る人の方が少ない。貴一が本名だと思っている奴も沢山いる。
親友だと思っている奴の携帯に、俺の名前が『喜一』と登録されていたのにはマジでビビったぜ。
ユダくんよ、おまえ俺の名前知らなかったのかよ・・・つーかどうしてその漢字になったんだ?
小学生の時、クラスメイトから『新道 高引様』って宛名で送られてきた年賀状と同じくらいの衝撃だったぞ。

ちなみに、俺の本名は『進藤 貴弘』だ。


さて、本題に戻りましょう。


しかし、音源も聴かず断るわけにも行かないので、チャチャキくんの持ってきたウォークマンで音源を試聴。

衝撃的だった。
二人の風貌から、下品で粗悪なハードコアをイメージしていたが、全然違っていた。
荒々しい演奏だが、曲自体はポップな感じもするし、自由奔放なボーカル、今まで聴いてきたパンクロックとはまるで違っていた。

センスがイイ!なんでこんな二人がこんなカッコイイ音出すの?


やります!


即決だった。
え!まだ一曲ちゃんと聴いて無いじゃん!なんて言われたが、気持ちの昂ぶりを抑えられなかった。
『矢沢永吉激論集・成り上がり』で、永ちゃんがギタリストの木原氏と初めて会ったシーン同様、『天才じゃー!天才がおれのそばにやって来て夢をかなえてくれる!』と思った。
ウソだ。俺、その時まだ成り上がり読んでネェよ。
でも、そんな感じだった。


その後、俺は彼女と一時間後に新小岩で会う約束をしていたので、彼らに『これから二人で何処か行くんすか?』と尋ねたが、彼らは『いや、べつに・・・』等と曖昧な返答。
俺は彼らに、一時間後に彼女と会う約束がある事を伝えると、彼らは『じゃあ、一緒に待っててあげる』等ととぼけた返答を・・・。
本当は一人で本屋で時間を潰したかったが、しょうがないので三人でゲーセンへ。


しかし、彼らは2回程ゲームをやった後、店内をぶらぶらしたり、たまに俺のプレイを覗きにきたりするだけだった。 理由はすぐに分かった。


彼らはお金を持っていなかったのだ。

俺が付き合ってくれと頼んだ訳ではないのだが、なんだか悪い気がしたので、彼らに500円玉を一枚渡し、これで遊んでくれと言うと。マジでー!イイのー!と叫びながらゲームを再開した。


彼らは本当に貧乏だった。
スタジオ代からライブ代にメシ代、終いには刺青代なんてのも立て替えた。帰ってこなかった金の方が多い。
だけど彼らには、金では買えない色々な事を教えてもらった。


一時間後、彼女と二人で家に帰るバスの中。
彼女のウォークマンで彼らから貰ったテープを聴いた、。やっぱりカッコイイ。
彼女が、『今度のバンドはうまく行きそう?』と聞いてきた。
俺はイヤフォンを外しこう言った。


天才じゃー!天才が俺のそばにやって来て俺の夢をかなえてくれる!







1991年・初秋


バンドをクビになった俺は、毎日仕事をして週末に彼女と遊ぶだけの生活を送っていた。
2人だけでアスレチックなんかも行ったりしたな。
なんか今思いだすと寂しい感じもするが、当時はこんな生活も悪くないかもな?と思っていた。


バンドはやりたかったが、メンバーが居ないのであればどうしようもない。
だが、一度だけ『もしかしたら、トガワくんはヒラノ達とバンドをやっていないのかも?もしかしたらまた一緒にバンドが出来るかも?』と思い、トガワくんの住んでいたアパートに足を運んでみた事があった。


俺の手には、トガワくんから借りていた文庫本が2冊。
いつか返さなくては。と思っていたしちょうどいい。
これをキッカケにトガワくんに会いに行き、会えたらバンドの話をしてみようと思っていた。


しかし、アパートの呼び鈴を鳴らしてみたが、トガワくんは出てこなかった。
留守かな?それとも、もう引越ししてしまったか・・・?
バンドを解散してから半年以上経っている、それもありえる事だ。


トガワくん、居ないのか?俺、進藤だけど。寝てるのか?


やはり返事はない。
留守なのか引越ししてしまったのか分からなかったが、再度声を掛けた。


トガワくん、借りてた本。ポストに入れておくね。じゃ、またな。


返事はない。
俺はドアの郵便受けに本を一冊づつ入れた。


ゴト・・・ゴト・・・。


なんとも寂しげな音がした。
もしトガワくんが引越し済みならば、この本はもう二度とトガワくんの下に戻る事はない。
それは俺らの関係も同じな訳なのである。
しばらくドアの前に立っていたが、中に人が居る気配は無かった。


じゃあな・・・。


もう、ここに来る事もないだろう。
もう、トガワくんとバンドをやる事もないだろう。
あの本も、もうトガワくんの下に戻る事もないだろう。
でも、もう関係ない。やるだけの事はやった。
バンドも諦めよう。


そして、俺はまた仕事に明け暮れ、休日は彼女と二人だけで過ごす日々を送っていた。


しかし俺に『もう一度バンドをやらなければ!』と奮い立たせる出来事があった。
バンド解散以来会っていなかったヒラノと秋葉原でバッタリ会ったのだ。


その時、俺はアメリカのアタリ社から発売された新型ポータブルゲーム『LINX』を買いに行った後で(俺は洋ゲー好きだった)ヒラノは友達のサイコビリーバンドを観に行く途中だと言った。


なんと!
ヒラノは俺ら以外のバンドの友達が出来たのだ。

俺ときたらゲームが友達だった。
他に友達といったら彼女しかしない。


ヒラノは俺の手にぶら下っていた紙袋を人差し指で開き、中を少し覗き『フ~ン、ゲームかぁ・・・』と言って去って行った。屈辱的だった。


俺、何やってんだ!あいつら見返すんじゃネェのか!


それ以来、俺は「DOLL」「バンドやろうぜ」等のメン募を読みまくり、そして自分でも募集記事を出した。


結果・・・
たまたま近所に住んでいた『友達にはなりたくねぇな』って感じのニューウェイブ崩れ。
新宿で待ち合わせ好感触だったが、次に待ち合わせした時にはいくら待っていても来ない。そして電話もつながらなくなっていた高円寺のパンクス。
スタジオに数回入ったが、いつの間にか故郷に帰ってしまっていた本八幡のヤングパンクス・・・

どいつもこいつも皆ダメ!!

もうバンド諦めようかしら・・・?


最後にこの人達に連絡してみよう、これでダメだったらもうバンドは諦めよう。
当時、俺の大好きだったバンド名が書かれていた募集記事。


『スワンキーズ・エクスプロイテッド等好む。ハードコアやりたい。新小岩 ササキジュンイチ』


ハードコアがやりたいってのがネックだったが、近所というとこがイイし歳も俺の3つ上だ。俺の知らない世界を教えてくれるかも?という期待があった。


早速、電話をかけてみる。
電話の向こう側から鼻づまりで緊張感の無い声。


『あぁ、募集記事読んだの?じゃあ、新小岩の本屋知ってる?じゃあソコまで来てよ。俺はモヒカンだからすぐ判るはず』


数日後、雨の新小岩。
俺は本屋の前で待っていた。


傘をさした革ジャンの男が駅から歩いてくる。
しかしNYヤンキースのキャップを被っていた。


違うな・・・

俺は足元の水溜りに視線を移した。


『あ、電話くれたひと?ギターの奴も来るんだけど来てない?』


いきなりNYヤンキースが鼻づまり声で話しかけてきた。

うわ~やっぱあんたかよ~!
つーかモヒカンじゃネェじゃん!
ギターの人なんて知る訳ネェじゃーん!

と心の中で叫んだが声には出さず『あ、たぶんそうです、来てないです』とマヌケな返事をしてしまった。


こりゃなんとも怪しい人だ、断った方が良さそうだな・・・。

と思った。


しかし、彼らが俺のバンド人生に多大な影響を与える事になる人達だったのだ。
彼らと出会わなかったら、俺は今でもバンドをやり続ける事は出来なかったはずだ。







1990年・初春


またもやドラマーを探す事となった俺達。

しかし、経験が俺達をタフにした。

居ないなら、どっかのバンドからパクってこようぜ。

ある日の事、トガワくんからこんな提案があった。


あのさ、スタジオに『レイビーズ』ってバンドのポスター貼ってあったじゃん。


あぁ、あのモロにスタークラブ好きですって感じのバンドでしょ?


そうそう、それ。


あいつら、ポスター作ったりして金持ちだよねぇ~。で、それがどうした?


あのバンド、今ギター募集してたからさ、俺がそこに加入してくっから。


え!?どういう事!?


いや、だから、俺があのバンドに入って、しばらくしたらドラムの奴と個人的に話してさ、こっちに引っ張ってくるよ。


え?そんなうまくいくかね?


大丈夫だって。


トガワくんは世間知らずだ。

世の中、全て自分の思い通りになると思っている。

世界の中心は俺だ!と思っているに違いねぇ。

しかし、そんなに世の中は甘いもんじゃねぇよ。

まぁ、でも俺が行くわけではないからな・・・ここは世間知らずの若者に託してみましょう。


数日後、トガワくんはバッチリとレイビーズのドラマーをこっちに引っ張ってきた。

新ドラマーはO崎くん(仮名)と言う名前で、プレイはバッチリだった。

しかも、彼は都内のサイコビリーバンドや、当時世間を賑わさせた渋谷のチーマー達との交流も深く、カッペBLOODの俺達の中に新鮮な空気を持ち込んでくれたのだ。

こりゃイイぜ!って事で俺達のバンドは加速した。


時はホコ天&イカ天・バンドブーム。
俺達は『あいつらとは違う』と斜に構えつつ、なんとかこのブームに乗りたいと思っていた。
オリジナル曲を作り、御茶ノ水でMTRを買い、スタジオで自分達でレコーディング。
バンド名もスワッピングじゃカッコ悪いとやっと気付き『エレクトリック・ヒローズ』と改名。
ちなみに、この時録音した音源は今も持っている。曲名は『チープ・アイドル』と『ロックンロール・スター』。

反逆の狼煙大連発な歌詞で、今聴くと大爆笑だが当時は大マジだった。
これで、メジャーシーンに殴り込みをかけるつもりだった。

しかし、当時の都内ライブハウスのパンクシーンには、俺達の様な『メンバーだけしか友達いません』ってな縦横の繋がりが全く無い弱小パンクバンドにとっては、バンドの存亡に関わる黒い噂が流れていた。

『有名パンクバンドとツテが無いパンクバンドは潰される・・・』

俺達は焦った、しかし幸運な事に新ドラマーのO崎くんは、先程書いた様に新興勢力であったサイコビリーの御方達と知り合いであったので、そのパイプラインを活用させてもらう事でクリアー予定。 安心。
更にそのツテで、当時の俺達にとってはパンクの聖地であるライブハウス・新宿アンティノックを紹介してもらったり、都内のパンクシーンと深く関わりをもつバンドにデモテープを渡してもらったりした。

さて、準備万端、いざ出撃。


しかし、O崎くんの出現は、俺にとっていい事ばかりではなかった。

俺はパンクロックが好きだった。それこそ、中途半端な気持ちじゃなくて。

だが、他のメンバーはO崎くんの友達のサイコビリーバンドに衝撃を受け、次第にパンクよりサイコビリーがやりたい。という気持ちになっていたのだ。

特に、ギターリストのトガワくんとは次第にバンドの方向性について険悪なムードに陥る事も増えてきた。

確かに、サイコビリーはカッコイイ。


でも、俺はパンクバンドがやりたいんだよ!

おまえらだってパンクバンドがやりたいからこのバンド作ったんじゃんか!


俺の心は、このままじゃマズイ・・・って気持ちと、きっと大丈夫!あいつらもパンク好きだもん!って気持ちで揺れていた。


俺はこのバンドに賭けていた、何故なら俺は作詞作曲が出来なかったからだ。もちろんテクも無い。
俺の替わりはいくらでも居る。
このバンドである程度名前を売らなければ、俺はこの先このバンドが無くなったらお仕舞いだといつも不安に思っていた。

そして、終わりはオマエが思うよりずっと近くに来ていると。

ヒラノが連絡もなしにフラリと俺の家にやって来た。


おれ、バンド辞めるわ。俺は辞めるけど進藤くんはつづけなよ、おれO崎くんとサイコビリーやりたいんだ


続けられる訳ねぇじゃん。

と思いつつ



あぁ、俺はやっぱパンクやりてぇからさ、お前らの好きにしなよ



と嘯いた。




数時間後、俺だけがクビになったんだと気がついた。

あいつら絶対に見返してやる。と当時付き合っていた16歳の女の子の胸の中で泣いた。







1989年・夏


ドラマー・金子くんの脱退により、バンド活動を一時中断し高校生らしく遊びに夢中になった俺達。

しかし、やっぱりバンドがやりてぇな。と。

さて、どうしましょ?


なぁ、おまえの学校にドラムいねぇのかよ?


いるけど、あの人達とはやりたくないんだよね。


じゃあどうする?またメンバー募集記事から探すのか?


う~ん・・・ あ!子宮ガンのドラムのタケさんは?


あ?だって子宮ガンやってんだろ?ヘルプで頼むのか?


いや、今、子宮ガンのやつら受験準備とかで活動してないらしいよ。


え?子宮ガンなんて名前の奴らが大学受験すんの・・・?


そうなんだよ、なんかボーカルの人は頭いいらしいよ。


へぇ・・・。で、どうやってタケさんと連絡取るんだよ?


え、だって俺、ギターの奴と同じクラスだから学校行ったら聞けばいいじゃん。


おいおい、そんなの『はいそうですか』って教えてくれるもんなのか?


え?教えてくれんじゃない?


あ、そう・・・じゃ、頼むわ・・・。


ヒラノは世間知らずな野郎だ。

そんな巧く事が運ぶわけがない。

自分のバンドのメンバーが他のバンドに引き抜かれようとしているのに、わざわざ自分から連絡先を教える奴なんか居るものか。

まぁ、でも俺が聞くわけではないからな・・・ここは世間知らずの若者に託してみましょう。


数日後。

ヒラノはバッチリと連絡先を入手し、俺達のバンドは活動を再開した。

新ドラマーのタケさんは、千葉のハードコアバンド『狂人病』が好きだと言った。

俺達は『ハードコア?あんま興味ないぜ』といった感じであったが、『うん、そのうちハードコアっぽい曲もやろうね』等と調子のいい言葉を並べ事を穏便に運ぶ。

タケさんも俺達のバンドに加入した事を喜んでいた。

全てはオーライ。


のはずだったが、新ドラマーのタケさんは2ビートしか叩けないというドラマーだった。

むぅ・・・それはドラマーと名乗っていいモノなのか・・・?と疑問符が頭上に浮かんだが、全然叩けない初心者よりはマシだろう?と思い、練習に励んだ。


そして季節は夏から秋へ・・・


メンバーチェンジ後、初のライブが決まった。

ヒラノとトガワくんの通う、葛西南高校の文化祭に出演する事となったのだ。

俺は他校の文化祭にバンドで出演できる事が嬉しかった。

嬉しいのは母校に衝撃を与えてやる!と意気込んでいるヒラノとトガワくんも同じ。

しかし、新ドラマーのタケさんだけは『うん、やるならやるよ』等とおっとりムード満載。


よし、ヒラノ!文化祭のライブの時によ、ステージに上がったらフライヤーばら撒こうぜ!


いいね!そうしよう!


俺達はまたフライヤー製作に取り掛かった。

今度は前よりインパクトのある物にしよう!という意思の下、自前のエロ本を持ち寄り中身を吟味。

そして、写真を切り抜き、文字を切り貼りし、完成したのがコレ(笑ってやってつかぁさい)

文化祭当日、俺達はコンビニでこのフライヤーを50枚コピーし登校。

日和見主義の学生さんにパンクロックの衝撃を与えてやるぜ。


時は過ぎ、遂に俺達の出番が来た。


よし、ヒラノ、フライヤー持ったか?


うん、バッチリだよ。


じゃ、俺ら先に出て行くからよ、インストの半ばくらいに出てきてフライヤーばら撒けよ


うん、わかってる!


俺達はヒラノを楽屋(廊下)に残し、会場となる教室に不敵な面構えで入場。

客の入りは上々だ、格学年の様々な生徒達が『なにかハデなものが始まるらしいぞ!』といった期待に満ちた表情で俺達を見ている。

そして、俺達は、今なら絶対にこんなタイトルつけたくねぇよと思ってしまう『乱交協奏曲』というタイトルのオリジナルインストナンバーをプレイ。


生徒達は、『良くわからないが、とりあえず乗っとけ!』といった感じでタテノリを展開。

そこに!颯爽と現れたボーカル・ヒラノ!


視界の端で、ヒラノがフライヤーを客席に向かって放り投げるのが見えた。


ギャー!!


女生徒の絶叫が聞こえた。

おぉ!!なんだか盛り上がってるぜ!!

俺達はノンストップで駆け抜けた。


終演後、満足気な表情の俺達。

しかし、ヒラノだけちょっと複雑な表情をしている。


なんだよ、どうした?


やべぇ・・・


ナニが?


俺さ、フライヤー放り投げたじゃん。


あぁ。


あれさ、最前列に居た女の子の顔面に束のまま直撃しちゃったんだよねぇ・・・


マジで!?


うん、マジで・・・


その女の子どうしてた?


ギャー!!痛いー!!つって泣いてたよ。


あぁ!あのギャー!!ってそれか!!


うん、それ。


じゃ、フライヤーはどうなった?


え?あぁ、最前列に束のまま落っこちてたよ(笑


アホ!おめぇナニやってんだよ!!もったいねぇから拾ってこいよ!!



そして季節は秋から冬へ・・・



タケさんのドラムは一向に向上しなかった。

この頃には、トガワくんの指揮の下、オリジナル曲も作りはじめていたのだがタケさんの技術的問題で頓挫する事も多くなっていた。

このままじゃダメだ。

俺達はタケさんをクビにする事にした。

しかし、タケさんは結構イイ奴だったので、なるべく心に傷はつけたくない。

結果、『じゃあ、このバンドは解散したと伝えよう。で、またドラムを探してこよう』という意見に皆が賛同した。


翌日、俺はタケさんに電話をし『バンド解散になったからさ、お互いどっかでまた会おう』と伝えた。

タケさんは薄々わかっていたのであろう、ちょっと寂しそうな声で『うん、そっか』と頷いた。


俺、一年後に自分が同じ目に逢うとも知らない愚かな若竹。



文化祭当日のヒラノ

この数十分後、フライヤーの束を女生徒の顔面に直撃させ泣かす。

後ろの壁にスプレーで『THE SWAPPING』と描こうとしたが、スプレーの中身が無くなりTHで断念。

ジャガーカフェの楽屋

向かって左端がタケさん。

たぶん、この日がタケさんとやった最後のライブ。



ヤンチャなヒラノ。なかなかカッコイイね。

俺・・・

眉毛が太い・・・

海苔だね。







皆様こんばんわ。


なかなか更新しなくてすみません。


さて、この『成り下がり』つーのは、元々、mixiで書いてたものなんですが。

今書いている『theSwapping』というバンドの部分は、mixiでは一回で終ってます。

最初の予定では、『各バンド1話完結で10話くらいで終了』といった形にするつもりだったからです。

しかーし!思いの外、書きたい事が多く出てきてしまい、mixiでは最終更新日の2007年10月24日の時点で21話まで書いています。

たぶん、このままでは30話くらいまで続くのでは?と思っております。


で、現在書いている『theSwapping編』ですが、このブログに移行するにあたり『初めて組んだバンドだし、もっとちゃんと書こう』と思い立ってしまい、書き直ししているので大変時間が掛かっちゃってます。

この部分が終われば、今後はmixi版を軽く加筆&修正したのを貼るだけなので、サクサクと更新されるはず・・・です。


つーわけで、今週は忙しくてあまり書けませんが、もう暫くお待ちいただけたら幸いです。

なんとか、年内にはmixi版の方に追いつき、来年からは同時進行したいと思っております。


あ。

この『成り下がり』、mixiの方じゃあ一年間も放置したせいもあって、ほとんどの方が存在さえ忘れています。

でも、最近、また色んな方々から『成り下がり読んでます』と言って頂き、大変嬉しく感じております。

移設した甲斐がありました。

ホントに感謝です。


ではまた!