1994年


今回は、ちょっと脱線して当時千葉で活躍していたバンドをいくつか挙げてみる事にする。
当時の千葉のロックシーンに関わってナイ方にとっては退屈なのは間違いネェ。


では。


● BELLETS
当時の千葉ロックの大御所。
90年にイカ天に出演。
それをきっかけに91年にメジャーデビューし、シングルとアルバムが発売された。
シングルカットされた「半端者」は名曲!
「チンピラにさえ~なれない半端者~♪」 というサビは、当時、江戸川区のチンドンパンクだった俺のハートをガシッ!っと鷲掴みした。俺は今でもたまに聴いている。
93年にインディーズに戻り、本八幡ルート14のピーナッツレコードから2ndアルバムをリリースした。


● 薮蛇古屋
千葉の総番・安井さん率いるバンド。
このバンドはベレッツと共に、千葉のビートロックシーンをリードしていた「つれづれ草」が母体となっていた。
「つれづれ草」は元々パンクバンドだったので、そのイメージのまま「薮蛇古屋」を観に行ったら、肩透かしを食らった記憶がある。 最初の頃は、変な歌謡ロックにしか聴こえなかったのだ。


安井さんは、昔、「狂人病のタケオか、つれづれの安井」と言われるほど千葉で凶暴な男だった。
そんな無骨な男が歌謡ロックなんかやりやがって!つれづれ草続けろよ!と勝手に憤慨していたもんである。
しかし、野次ってブン殴られるのは嫌だったので黙っていた。 この記録も安井さんが見ない事を切に祈る。

その後、ベレッツが解散しベレッツのベース・落瀬学さんの加入等もあり動員・実力共に千葉で一番となった。


しかし数年後、ベースの落瀬 学さんは突然帰らぬ人となった。
お通夜にも参列させてもらったが、正直、未だに実感はあまり無い。
学さんは、俺の良き理解者だったと勝手に思っている。
多くの知人が「学さんの偉大さ」を語っているのを聞く事があるが、確かに学さんは偉大だった。間違いでは無いと思う。
でも、俺は「チンピラにさえ成れない半端者(ロッカー)」だったという表現(暴言)の方が、あの人には似合っていると思う。


● CATCH THE CLOUDS
千葉イチ濃い顔のトムケン先輩率いるバンド。
俺はこのバンドに最初はナメてかかっていたら、後でしっぺ返しを食らった事がある。
当時、かなり生意気だった俺の戯言に、真摯に付き合ってくれたイイ先輩。
どんな音楽をやっていたかは忘れてしまった・・・(失礼)


● 麗紫
実力派・ガールズバンド。
ちょっとサイケっぽいR&Rだったような気もするが、いまいち思い出せない・・・(失礼)後半は結構ポップだったはず?
余談であるが、サイケと言えば千葉には「赤」という物凄いサイケなガールズバンドが居た。
サイケっぽいのに、水着で演奏している姿が異様だったのだ・・・
当時はナゼか「麗紫と赤は知り合いなのだろうか?」と音楽に全く関係ナイ所に興味深々だった。


それにしても、この麗紫のベースは凄ぇ。
多分、当時の千葉界隈で上位にランキングされる腕前。
俺と年は同じだが、当時は年上かと思っていた。 (本当は一つ上?)
一部のガールズバンドの憧れ的存在だった。


● CHICKS
アニメ・キテレツ大百科のオープニングテーマ「すいみん不足」を唄っていたバンド。
俺は「生でスイミン不足が聴ける!」と期待してライブを観に行ったら「やらなかった・・・」という苦い記憶しかない。
メンバーの方がこの記録を読まない事を切に祈る。


老舗はこんな感じである。


他にもまだ居たはずだが、俺は、あまり交流を持ってないバンドばかりなので割愛。
あと、この頃は、残念な事に(幸運な事に?)俺達にとっては恐怖の対象でしかなかった凶悪ハードコアパンクバンド「狂人病」は既に解散していた。
他に、千葉ハードコアの「G-10」や「紅椿」というバンドが健在だったが、俺達が主に活動していた千葉LOOKは当時ハードコア出演禁止の店だったので、あまり一緒になる事は無かった。
当時の俺からしてみれば、これは大変ラッキーな事だった。
各バンドのメンバーがこの記録を読まない事を切に祈る。


さて、若手。



● サイドワインダー
このバンドは短命だった記憶が・・・。
数年後「イエロークラッカー」というバンドになり、ボーカルの脱退により解散(だと思う)
その後、残ったメンバーで「LINK13」を結成。
「LINK13」は現在も活躍中で、千葉のロックシーンをリードするバンドとなった。
ちなみに、「サイドワインダー」のボーカル・ミトちゃんは現在 「THE STAR CLUB」のギタリストである。


● EXISS
現在は「アンモナイトチェアー」の名で都内で活動を続けている。
怒涛の曲の展開は、この頃から既に話題であった。
俺は結構好き。


● トルエン
ポップロックで女子高生の人気者だった。
彼らは千葉LOOKの店長・サイトウヒロシがイチ押しの若手バンドで、LOOKが運営していた「PPレコード」からアルバムをリリースし、全国ツアー等も行った(はず?)
彼らは、その不健全なバンド名が原因で、千葉駅前で行われた野外イベントに出演を断られるという伝説も持っている(K察からのご指導があったらしい)


● swichi No 5
当時では珍しかったガレージ(?)バンド。
若手の注目株であったが、活動して間もなく解散。
その後、ギターとドラムで千葉のガレージヒーローとなる 「ハウリング・ギター」を結成。
ハウリングは大手のレーベルからアルバムを発売したり、テキサスツアー等も行った。 すげぇ。
ハウリングギターは現在も活動中。


● BOY BOASTS
本格的なアメリカン・ガレージサウンドで千葉のパンクシーンに衝撃を与えたバンド。
ギター・ボーカルのケンケンは「ハウリングギター」のギターリスト・サカイにも影響を与えたのでは?と勝手に邪推。
音源が発売されなかった事が悔やまれる。


● パリジェンヌ
ケンゴの幼馴染の
「酔っ払ってクローゼットで寝小便を漏らしたヨッちゃん」と
「酔っ払って、寝ている嫁にションベンをかけたウザワ」と
ケンゴの同級生だったアホの山本がC&Cに対抗して作ったバンド。
山本は、ライブの始まりに「パ~リィィジェェーン!」とバンド名を叫ぶのだが、絶対に「ヌ」まで言わない。
ヨッちゃんと山本の壮絶な殴り合いによって解散した。


● ザ・マーガレッツ
ここではお馴染みの、千葉のパンクヒーロー。
この頃は自主企画「HI-TECH DINNER」を行い、都内の無名ではあったがカッコイイバンドを千葉に呼び寄せていた。
出演したバンドには「レジストレーターズ」や「アスフォート」と、その後有名になるバンドも多く、個人的にではあるが、この企画は今の千葉ロックシーンの礎となったと思っている。


● the C&C
この頃のC&Cは凄かった!
なにが凄いか?というと、なんとワンマンライブを行なっているのだ。

まず、その予兆は前年(93年)から確かにあった。
俺達は「ある意味」ツイている者の集まりなので、不思議な事が良く起きる。
大体において、その「ツイている」とか「不思議な事」というのは良くない意味を表すのであるが、その日もやはりそうだった。


93年の12月、俺達は千葉LOOKでライブを行なったのだが。
さ~て、もうすぐ出番だぜ~と、楽屋で呑気にスタンバっていると、突然あたりが真っ暗になった。
何事か?とフロアに出ると、フロアも真っ暗でバンドの演奏も中断している。


なんとこりゃ、大変だ。
停電である。



結局、この日の停電は1時間近く続いた。
電気が復帰した頃にはバンドもお客さんもすっかり冷め切っていた、この状況で演奏するのは辛かった。
店長のサイトウヒロシも申し訳なさそうにしている。

気落ちした俺達を元気づけようと、ヒロシはこう言いました。

来月のスケジュール表の表紙にキミらの写真使おうと思ってるんだよね~。


と。
俺達は喜んだ。
当時、LOOKのスケジュール表の表紙に載る事はバンドにとって誇らしい事であったのだ。


じゃ、ついでにライブも入れちゃおうか?
と言う提案に俺達は喜んで乗った。


対バンは?どんなバンドですか?
と言う問いかけに、ヒロシは


まだ決まってないからさ、決まったら連絡します。


と。


年が明けて、ライブ当日。
現場に到着した俺達に、ヒロシはこう言いました。


ゴメン・・・ 実は、予定してたバンドが今日になって次々とキャンセルしてきたんだよね・・・。


と。


え!じゃあ、対バンは・・・?


ナシ・・・?(みたいな)


てー事は?


うん・・・。


それって・・・もしかしてワンマンライブって事ですかね・・・?


そぅ・・・だね・・・。


マジっすか!?


ゴメン・・・。


こうして、俺達は人生初のワンマンライブに挑んだ。


1994年1月19日


「the C&C・ワンマンライブ」


観客動員数 4人!!



成り下がり
当時のLOOKスケジュール。
Vol35って事は、LOOKもまだ3周年くらいだったんだね?



成り下がり
で、中には停電のエピソードが書かれている。
当時のスケジュール表は手書きでね。
バンドマンはみんな自分のバンドがサイトウさんの手書きで紹介されるのが嬉しかったのよ。


成り下がり
BELLETSのメジャーデビューシングル
ベースラインがカッコイイ。
中古で見かけたら買え!!





1993年・冬


じゃ、四人でいっちょやったろうぜ!

俺が加入後のC&Cは、そこそこ好調な出だし。
ライブの動員も僅かながら増えてきた。

周りからは俺の加入によって動員が増えたと思われがちだったが、本当は3人で頑張ってた頃の成果がやっと動員にも表れてきていたのだ。 俺はそれに便乗したセコイ確信犯。

俺達は、従来のC&Cのイメージを壊す事から開始した。
主に歌詞とファッションの変更。

初期C&Cの歌詞はスワンキーズ等、自分達の好きだったバンドの歌詞をそのままパクってきたモノが多かった。 これでは塩梅が良くねぇ。もっと成長しなくちゃならねぇよ。
俺とケンゴとで歌詞の修正作業に取り掛かる。
俺は歌詞を書く事は出来なかったが、言い回しを修正するのは得意だった。
得意だった。なんて書いたが、この作業を始めて初めて気が付いた事だった。

あれ?もしかしたら俺も歌詞書けるかも・・・?

ケンゴ・トガシ・ヤマダの3人は当時18歳。 そして俺は22歳。
俺より若い奴等が、周りにバカにされながらも自分達で作詞作曲し、CDまで作っている。

俺も頑張ろ・・・。

この作業をキッカケに、俺も自分で作詞作曲に取り掛かった。
出来た曲は「NO MORE NICE GUY」というタイトル。
モテない男のヒガミ。FUCK色男ソング。
日頃、モテモテのマーガレッツや都内のバンド連中に嫉妬していた俺の鎮魂歌。

メンバーの反応も悪くない、むしろイイ感じ。
俺は、メンバーから好評を得た事が単純に嬉しかった。
俺が歌詞作曲出来る様になったのはC&Cのメンバーのお陰だ。
奴等もまた「こいつらと出会わなかったら、今でもバンドを続ける事が出来なかった」と思う人達である。
しかし、この思いが後々続く「愛と憎悪」の始まりに繋がるとは当時知る由も無い。

ちなみに、この曲。
作詞は俺のオリジナルだが、曲は俺が17~20歳までやっていたバンド「エレクトリック ヒーローズ」の「オブシェン マジック」という曲のパクリ。
コードは変えてあるが、Aメロの進行はそのままパクった。
トガワくん、ごめん・・・。 僕、キミの曲パクってました。

さて、次はファッションの変更。
既成のパンクファッションでは個性が無い。
俺は制服と化したパンクファッションに辟易していた。
というのは本当は言い訳で。
今だから言うと、お金が無いから買えなかったし、着てもあまり似合わないから僻んでただけなのだ。

さて、当時のC&Cのファッションとは?
ケンゴはマーガレッツのパクリで「70sパンク」

いわゆるボンテージパンツにセディショナリーズ等のTシャツで固めた初期パン。
たまに、盆栽をやっているオッサンが着てる様な紺色のジャージでライブに出ていた事もある。
どういうつもりだったのか?
酒を呑みながら問い詰めたい。

ヤマダは初期の頃は皮ジャンにジーパンとスタンダードなパンクファッションだった。

が、俺が加入した頃にはハデな原色が施された不思議なデザインのシャツを好んで着る様になっていた。
どういうつもりだったのか?
酒を呑みながら問い詰めたい。

そしてトガシは、俺が加入する前は、前回も書いた様にサダムフセインの顔がペイントされた皮ジャンを半強制的に着せられ、緑色のズボンを穿かされていたと記憶している。
しかし、俺が加入した頃にはそんなチンドンファッションも一段落し、チノパンにポロシャツと最も一般人らしい格好となっていた。

そして俺。
当時の俺は「ジョニーロットンの格好と80sヤンキーファッションは似ている」と言う考えの持ち主だった。
80sヤンキーの定番ファッションと言えば、シャツにカーディガン、太めのスラックスに足元は女物のサンダル。
ヤンキーとジョニーロットンの違いは、髪型と足元だけである。
サンダルをラバーソールに変えたら立派な70sパンクファッションの出来上がりだ。
俺はこのファッションを軸に、更に昭和歌謡のテイストを加えてみた。
その結果・・・ 俺は昭和40年代のオバハンみたいな格好となっていた。
当時の写真はあまり見せたくない。


ちょうどこの頃、ある音楽事務所が主催の企画ライブにC&Cが出演する事となった。
他の出演バンドは、その事務所に所属しているパンクバンド「デッドAD(仮名)」だった。
彼らの格好は皮ジャンに皮パン・リーゼントにブーツといったハードパンク。

定番中の定番なパンクバンドであった。
はっきり言って、彼らの格好と音楽には興味が無かった。

しかし、今までは頭を下げてライブブッキングをしていた俺達としては、音楽事務所から直に誘われたのは正直嬉しかった。
もしかしたら、事務所に所属できるかも!?という甘い考えもあった。

いっちょビシッと決めてやろうぜ!
あんな定番パンクのマッチョゴリラに負けてらんねぇよ!

事務所側としては、チャラチャラしたアイドル的なパンクバンドとして俺達を誘った事は目に見えていた。
が、俺はヒネクレ者だった。

ここは、あえてポロシャツにジーンズといった普通の格好しようぜ。
パンクテイストは髪の色とリストバンドとベルトだけ。
あとは音で勝負! な?

メンバーは「ホントにそれでイイのかね・・・?」といった顔をしていたが、俺には信念があった。
格好に関しては正攻法でやったら俺達は一番にはなれない。二番煎じの類似品は御免だ。
だったら逆走の一番乗りになろうぜ!
この格好で出ても「カッコいいバンドだ」って言われたら俺達は本物になれる。
言われなかったら、カッコだけの二束三文だ。
もし・・・もしも、俺達が売れたら、今後この格好がパンクの定番となるのだ。


俺はメンバーに発破をかけた。

いいか、絶対に事務所とか対バンにヘーコラすんなよ!
あと絶対にポロシャツとジーパンで出るからな!
チャラチャラすんなよ!
予定調和とか定番なんかクソくらえだよ!
ひっくり返してやろうぜ!

メンバーの士気も徐々に高まっていた。

そしてライブ当日。
俺が居候しているノムラ家の近くの路上に集合。
トガシとヤマダは既に到着済みだが、ケンゴが来ない・・・。

30分後。
遅れて来たケンゴの格好を見て全員が驚いた。
なんと!ケンゴは、あれほど俺が熱く語ったにもかかわらず、赤いチェックのボンテージパンツとジャケットを着てやって来たのだ! (分からない方はチェッカーズの真っ赤版と想像して頂きたい)
俺は激怒した。

てんめぇぇええ!遅れた上になんだその格好はよ!!

いや・・・やっぱり対バンが皮ジャンに皮パンだから、皮肉ってあえてチャラチャラした格好の方がイイかと思って・・・。

アホォォオ!ふざけんなバーカ! テメェ俺の話ちゃんと聞いてなかったのかよ!? 何回も説明しただろ!!

スミマセン・・・。

スミマセン・・・じゃネェよ! で、ポロシャツとジーパンは持って来たのかよ?

はァ・・・。

よし、じゃ、それ脱げ。

ケンゴは悲しい顔で路上で裸になり、ポロシャツとジーンズに着替えた。
俺は「前にもこんな事あった気がするな・・・?」と思いながら黙って監視した。

ライブ会場に到着するまでの間、ケンゴは俺にずっと怒られていた。
今思い出すと可哀想な気もするが、お互いバカだったからしょうがない。

さて、ライブの結果であるが。


もちろん誰からも相手にされなかったよ




でもあの日、俺達は誰にも負けてネェ。




成り下がり
その日のLIVE

ステージに上がると、ヤマダがいつものステージ衣装に着替え済みだったので驚いた。着替えさせたかったが、もう始まる時間だったので諦めた。

直前に着替えるとは、なかなかの知能犯だ。





1993年・秋


C&Cに入りてぇ。

そんな気持ちはある。
しかし、どうやって入ろうか?と。
いきなり「今日から俺がベースやっから、オマエはボーカルに専念しろ」等と言えるほど暴君ではナイ。
しかし、彼らは俺の4つ年下。

「C&Cに入りたいです!ベースで入れて下さい」等と、下手に出るのも癪。

思案の末、「今度、練習スタジオに遊びに行っていいか?ビデオ撮影しようぜ、カッコよく撮ってやっから」と軽くジャブ。 ついでに「ちょっと遊びで俺にもベース弾かさせてよ」と交渉。

アホなケンちゃんは「イイですよ!やりましょうよ!」と快く承諾。
しかし、この快い承諾にも裏があった。
「じゃ、今度、俺達のフライヤーに絵を描いてくださいよ」と。
「じゃ、」ってナンだよ?と思ったが計画を進行する為にはしょうがない・・・面倒だが快く承諾。
俺も姑息だが、ケンゴも姑息な野郎だった。

数日後、俺はベースとビデオカメラを持って彼らの練習スタジオに向かう事となった。
巧いコト行ってんな~。
俺の姑息な計画は着々と進行中。

当日はケンゴが車で迎えに来てくれた。
俺はベースとビデオカメラを持参し、颯爽と車に乗り込む。

車中ではケンゴがなにか一生懸命語っていたが、俺はテキトーに調子のイイ返事ばりしていたので会話の内容はほとんど覚えていない。
確か、俺はケンゴにC&Cの結成時の話を質問していたはず。
話に依ると、C&Cは小・中学校の同級生が高校卒業後に再会して結成されたとのこと。

彼らとその仲間達は、皆、千葉市中央区仁戸名(ニトナ)町で育ち、アホの王様ケンゴを筆頭に、いつも千葉の街を数人で徘徊していた。
異様にストレンジなPUNKファッションに身を包んだ彼らの姿は、他のPUNKSからも「あいつらナニモンだ?」「変な格好した奴らが居る」と評判であり、いつの間にか千葉の新興勢力として有名になっていた。
特にドラムのトガシは、ウーパールーパーの様な髪型にサダムフセインの似顔絵が描かれた革ジャンを着ていたので、モノ凄いインパクトを放っていた。
この姿を見たマーガレッツのウダはトガシに向かって

「オマエどこの星から来たんだよ?」

と言ったのには笑った。
俺達は彼らの事を「仁戸名っ子」とか「仁戸名パンクス」と呼んでいた。
要するにナメていたのだ。



スタジオに到着。いざ参ろう。
ケンゴは自分のベースを取り出そうとトランクを開けた。
バカリと開いたトランクを覗き、ケンゴは言いました。

あれ?ベースが無ぇ!!

ははは、アホです。
今、ボクの目の前にアホが立っています。 アホが呆然としています。
バンドマンが楽器忘れるっつーのは、武士が刀を持たずに戦場に行く様なモンですよ。

なんだよ、家に忘れたのか?

え?まって?あれ?俺、ベースどこにやったっけ?

知らネェよ、家だろ?

あー!!思い出した!アンチノックだ!!

え・・・?

事情を聴いて驚いた。
ナント!彼らC&Cは数日前、金を持たずに新宿のライブハウス・アンティノックでライブを決行。
当日の集客数は2~3人、当然ライブハウス側から提示された集客ノルマは達成できず、残券分の料金を支払う事となった。

が、彼らはお金を持ってナイ。
そこでケンゴは店長に言いました。

今日は金持ってないので勘弁して下さい、金出来たらすぐに持ってきます。

店長は言いました。

バカヤロー!ふざけんな!じゃあ金持ってくるまでベース置いていけ!

俺はこの話を聞いて、スゲェな~と感心した。
ホントにこんな事やってる奴らも居るんだな・・・と。

しょうがねぇ、今日は俺のベースを貸してやる。

スタジオに入ると、既にギターのヤマダとドラムのトガシがセッティングの最中だった。
彼ら2人とは打ち上げ等で軽く話をした事はあったが、ケンゴほど親しいワケではない。
俺の出現に彼らは戸惑っている様子。

おい、ケンゴ、俺が来るって事2人には言ってなかったのか?

あ、はい。ヤマダには軽く言ったけどトガシには言ってナイです。今から言おうかと思って。

あ、そ・・・。

今から言おうかと。ってもう対面しちゃってるじゃん。
事後報告じゃん!と思ったがまぁイイか。
それにしてもトガシの存在って・・・。

じゃ、早速始めましょう。
彼ら3人の演奏をカメラに収める。

まだまだ拙い部分はあるが、やっぱりカッコイイ。
このまま3人編成の方がイイ様な気もするが、なんとか俺も仲間に入りたい。

話し合いの末、お互い試用期間って事で半月後の練習から俺も参加する事となった。

予想以上に長く続く仁戸名パンクスとの珍道中が始まった。




成り下がり

ピーナッツレコードから発売されたC&Cの1stカセットアルバム

けっこうカッコイイ。



成り下がり
俺が加入する直前のフライヤー(描かされた)

当時のフライヤーは塗り絵代わりになる事が多かった。



成り下がり
出来たばかりの高円寺・屋根裏Ⅱ(現GEAR)でのライブ風景

わかりづらいファッション・・・





1993年・秋


ノムラ家に居候する事となり、晴れて(?)千葉市民となった俺。

バンド活動はそこそこ順調だった。
しかし、どうも最近マンネリ気味なのは否めない。ナニが足りないか?ってーと新曲だ。

ライバルバンドのマーガレッツや、期待の新人the C&Cはライブの度に新曲を披露。

そして我らビジブルファッカーは毎度お馴染みの定番曲。
しかも、ボーカルのカサイはライブの度に泥酔又は前日に大怪我等。
「ホントにそれで唄えんのかね?」といった状態が続いていた。

ここらで一丁新曲でも作ろうじゃねぇの!
思い立ったが吉日、早速カサイに相談。

●なぁ、新曲作ろうぜ!

○おお、作るか! じゃ頼むわ。

●頼むわって・・・俺が頼んでるんだよ。俺、作詞も作曲も出来ねぇよ、オマエ作れ。

○俺も作れねぇよ。

●じゃ、今まで誰が作ってたんだよ?

○キンタの前にドラムやってたアツシって奴。

●え!そうなの!? だってオマエ、キンタの方がイイからアツシに辞めてもらったって言ってたじゃん!


驚いた。
カサイは主力である作曲担当だったドラマーをクビ(?)にしていたのだ。(※【重要】アツシはクビではなく、自主脱退でした。アツシ、長い間 不名誉な書き方をしてゴメン!全てカサイのせいです! 2021.03.29.編集)
それから数年間、ビジブルファッカーはノムラの作った僅かな新曲と、前任ドラマーが作った曲だけで活動していたのだ。

これじゃあ現在(イマ)って時代(トキ)を駆け抜けらんねぇよ!

俺は焦った。
都内では続々と可能性に満ち溢れたバンドが出現し、俺を動揺させた。
後発のあいつらには負けられねぇ・・・。

一方、地元千葉。
マーガレッツは徐々にB級R&Rスタイルからノイズコアに移行しはじめ、音・ファッション共に絶大な影響力を誇っていた。

若手のC&Cは、マーガレッツのパクリと叩かれながらも自分達のスタイルを確立しつつあり、柏出身の「GOZZ」「DOLT」といったバンドと抗争なども繰り広げなにかと注目されていた。

そして津田沼発の「バスタブ」「ゴリラロボコーポレーション」といった2バンドが千葉でマーガレッツの人気を揺るがす程の勢いで快進撃中だった。

では、軽くこの4バンドの紹介を。

「GOZZ」は初期パンクを基本にしながら、オリエンタルな匂いも漂わせていてカッコよかった。
俺は当時の千葉パンクシーンの中では一番好きだった。

「DOLT」・最初は正直マーガレッツのパクリに感じたが、俺好みの泥臭さを持っていたので多少気になっていた。その後「スクリーミング ノイズ」とバンド名を変え、ノイズコア・シーンで注目される事となる。
しかし、俺はノイズコアは興味ナイので全く気にならなくなった。気にならなくなるどころか、色々あって個人的に「気にイラナイ存在」になった時期もあった。

「バスタブ」はボーカル・バンヤの野性的なキャラが若者達に大ウケで、毎回ライブは刺激的だった。
本人達はサイコビリーをやるつもりだったらしいが、全然違う方向に突っ走っていた。
よく知らないが、西海岸あたりのハードコアみたいな感じがした。

「ゴリラロボコーポレーション」はデッドケネディーズのカバーバンドではあったが、エンターテイメント性溢れるステージングが魅力的だった。
このバスタブとゴリラロボには知的な不良の匂いを感じた。
ちなみに「ゴリラロボコーポレーション」は「マークスマン」と形を変え現在も活動中である。
数年前テレビを観ていたら出ていたんでビックリした。


この頃の俺は、誰よりも早く飛びたいと思っていた。
高く飛ぶ事よりも、長く飛ぶ事よりも、早く飛ぶ事に執着していた。

新曲だ!とにかく新曲を作ってこの状況を打破しなければならない!
一発屋でイイんだ!早く飛ばなければ!

メンバーの尻を叩き、全員で新曲作りに励んだ。
俺も試行錯誤を繰り返した。


が、ドモならん・・・。

作詞も作曲もするからダメなのね?と作曲だけ試みる。


が、ドモならん・・・。

しかしカサイは結構エライ奴だった、新曲を作る度に歌詞だけはすぐにちゃんと書いてきた。
当たり前っちゃー当たり前の事だけど、偉い!と思った。
だが、その甲斐もなく作った曲はほとんどボツとなっていった。
次第にメンバーの士気も下がりはじめていた。


ビジブルファッカーじゃ俺は飛べない・・・。


脱退を考えたが、ノムラの家に居候してる身としてそれは非常に気まずい。
そこで俺は考えた。

バンド掛け持ちでやればイイんじゃね?

今になって思えば汚ねぇ野郎だ。
二股かけてどっちかが調子良くなったら片方はポイする気だったんだな? あン?
当時はそんな気は無いつもりだっだが、今の俺はそう邪推する。 邪推っつーか断言する。

さて、じゃドコに入るか?

色々検討した結果、俺がこいつらとやりたいと思ったバンドは



[Hyper Comic Aliens  the C&C]


あの非常識で生意気な、鎖骨ギプスことケンゴ。
ナゼか奴とならきっと上手くやれる様な気がした。






成り下がり
「戦争を知らない大人達」のミニ・ツアーよりちょっと前に、ビジブル企画で「尻の穴なら貸してやるぜ」というモノ凄いタイトルのオムニバスCDが発売されていた。

収録バンドは
・ビジブルファッカー ・マーガレッツ ・ビシャスレーベル
・Bloody Marie ・GESTPO の5バンド。
確か、発売記念ライブも行われたはずだが、全く覚えてない。
発売元がルート14主催のピーナッツレコードなんで、ルート14でやったはず?

このCDに収録されているビジブルの音源は、俺が加入する前に録音されたモノだったので俺は製作には殆ど関わってない。 あまり関わっていないせいか、書く事を忘れていた。

という訳で、CDも発売されてバンドも順調、彼女も出来て楽しい毎日。
しかし、そんなイイ事ばかりじゃありゃしない。ってのが俺の人生だった。
生まれて20数年、色々とヘビーな事は沢山あったが、これにはかなり参った。
記憶が曖昧だが、多分1993年の10月の事だったと思う。

結果から先に言うと、家が無くなったのだ。

当時、俺が住んでいたのは、亀戸のボロいマンション。 家賃は10万くらいだった。

ここには、実の親父と暮らしていたのだが、俺の親父ってのはカタギの人間ではなかった。
俺の親父は、某暴力団体及び某政治結社所属の人間だった。
そして、俺はその息子でパンクス・・・。
これこそ、日本に生まれた民主育ちの恩恵だ。

カタギでは無いだけあって、バブルの時はそりゃそれなりにイイ生活をしてたワケだが、バブルも弾けてだんだん生活レベルも下がってきた。
親父はシノギの関係上、北海道に長期滞在し、1ヶ月に一回位しか帰って来なかった。
最初の頃は家賃が振り込まれていたのだが、次第に振込みも途絶え連絡さえもままならない状態になっていた。

当時の俺のバイトの給料は15~17万程度、家賃を払ったら生活はなんとか出来ても、バンドを続けるのは厳しい。 しかし俺はバカなので「最終的には親父がなんとかしてくれる」と思っていた。思っていたってより願っていたってのが正しい表現だ。

しかし現実は甘くはナイ。

再三に渡る不動産屋&大家からの家賃請求。そして親父からの連絡はほとんど無し。
話合いの結果、9月末日までに部屋を明け渡す事になった。
新しく部屋を借りる蓄えもないので、家具や荷物は全部引越し屋の倉庫に一時的に預け、俺自身は綾瀬に住んでいた兄貴の家に居候させてもらう事となった。

生活の基盤が無くなるってのは恐ろしい事だった。

彼女や友達にその事を説明する事が辛くて恥ずかしかった。

更に俺は転がり続ける。
兄貴の家に居候して1週間。兄貴から「彼女が九州からやって来るので2~3日家を空けてくんねぇか?」と。
兄貴も結婚を考える歳だったし、半年ぶりで彼女と会うのを楽しみにしてたんだろう。
そう言われたら、空けなくちゃしょうがねぇ。

明るく「おう、じゃテキトーにどっか泊まるわ」なんて言ってみるのが精一杯。
でも、行く場所なんかネェよ、ドコに行けってんだよ?ってのが本心だった。

仕事から帰り、バックに仕事の作業着とちょっとの着替えを詰め込み、ベースを抱えて兄貴の部屋を出た。
「2~3日でイイから」なんて兄貴は言っていたが、もう兄貴の家に戻るつもりは無かった。
家族と一緒に居るのが嫌だった、家族に頼られるのも嫌だし、頼るのも嫌になっていた。

俺は電車に乗って千葉に向かった。
頼れるのはバンドのメンバーだけだった。

ギターのノムラは一人暮らしだったので1日だけ泊めてもらおうと思ったのだ。
千葉駅に着いた頃にはもう陽も暮れていた。

降り出した雨が俺の心を更に惨めにさせた。

肝心のノムラに電話をしたが繋がらない。

すがる気持ちで彼女にも電話したが「まだ帰って来てない」との事。
携帯電話なんか無かった時代だった。

どうする事も出来なくて駅の構内でしゃがみ込んでいた。

やっとノムラに連絡が取れたのは22時過ぎ。
事情を話して2~3日泊めてもらう事となった。

本当にこの時はノムラに感謝した。

これからどうしよう・・・と不安な気持ちで居候2日目。
ノムラから「俺、あしたから出張で北海道に1週間行って来る」と伝えられた。
これはチャンス!と思い、「実は俺さぁ、兄貴のトコ戻りたくないからしばらく居候させて」と相談。
ノムラは「あ?あぁ、じゃあイイよ」と言ってくれた。

こうして6畳一間の部屋で、ノムラと俺の二人暮らしが始まった。

ノムラが出張に行ってる間、俺はノムラの部屋でバンド仲間と宴会を繰り広げた。

ノラ猫を拾ってきて飼ってみたりもした。 今考えると「とんでもねぇ野郎」である。

結局、俺はノムラの部屋に、なんと1年半も居候させてもらう事となった。
ノムラは不満も沢山あっただろうが、俺にはほとんど文句を言わないでいてくれた。
何度も書くが、ノムラには本当に今でも感謝してる。

居候中は楽しい事も沢山あったが、夜眠る時はいつも「これからどうすればイイんだろう?」と不安な気持ちでいっぱいだった。
倉庫に預けた荷物も、お金を払う事が出来なくて放置したままだった。

そして、それはもう二度と俺の手元に戻る事は無かった。
だから現在、俺の22歳以前の写真や卒業アルバム等が手元に無い。悲しい事だ。

それにしても俺、あの時、ビジブルファッカーに入ってなかったらどうなってたんだろう?







1993年・夏

「戦争を知らない大人達」
というタイトルが付けられた、硬派なパンクバンドのオムニバスCDが発売された。
収録バンドは、千葉の「VICIOUS LABEL」・「NOIZY TRUSH」・水戸の「HARKEN KREUZ」等。(あと忘れました)

このCDの発売記念ライブが、高円寺・千葉・千葉旭町・群馬前橋・名古屋の5ヵ所で行われる事になったのだが、CDには参加していない俺たちビジブルファッカーもナゼか名古屋以外の4ヶ所のライブに出演する事になっていた。

さて、この発売記念ライブ。
雑誌「DOLL」に丸々1ページの広告を出して宣伝したものの、所詮ドローカルなパンクバンド集会。
どの会場も閑古鳥が鳴いていた。

1回目は、高円寺の「20000V」。(7月24日)
この日は、オールナイトで収録バンド+千葉から俺達と「コリガン」というギャルバンが出演。
雑誌「DOLL」の「GIG REVIEWS」というコーナーに、この日のライブの様子が掲載されるという事で、DOLLのライターも来ていたが、なにしろ客がイネェから盛り上がらねぇ。
そんなライブを観て記事を書かなくちゃいけネェ。ってのはライターも気の毒だなと思った。
が、俺達は主催じゃネェし関係ね~や。ってな感じでみんなでお酒呑んで記念写真撮ったりしてイイ気なもんである。

しかし、後日DOLLに掲載された記事を観たら、なんとか巧い具合にまとめてあったのでライターのプロフェッショナル意識に関心した。
ビジブルの所には「ボーカルとベースが掛け合い唄うのがカッコイイ」と書かれていたのが嬉しかった。

2回目は「千葉LOOK」。(8月7日)
この日は、前回のメンツと「コリガン」の代わりに「鎖骨ギプス」こと「ケンゴ」のバンド「the C&C」とケンゴが以前やっていたバンドのボーカル・「ヤマモト」が新しく始めたバンド「パリジェンヌ」が参加。

この両バンド、フライヤーが良く似ていると思っていたがやはり母体が同じバンドだったのだ・・・。

この日のライブの事はほとんど忘れたが、C&Cがカッコよかった事は憶えている。
ちなみにパリジェンヌは、やはりひでぇバンドだな~!!と思った。

そして、俺達ビジブルは、新曲もなくマンネリなライブを繰り返していたので、俺はこの日のC&Cのライブを観て焦燥感を感じずにはいられなかった。
ライブ終了後、メンバーに「俺らこのままじゃC&Cにすぐ抜かれちゃうよ」なんて事を言ったのだが「でも、あいつらヘタじゃん」なんて答えが返ってきたので呆れた。
当時の俺は、ヘタとか巧いよりカッコイイかカッコ悪いかの方が重要だった。


他の出来事といえば、打ち上げでパリジェンヌのギター・ヨッチャンの弟・ケイジが酔いつぶれ車の中でションベンを漏らした事であろう。 俺は酔っ払ってションベンを漏らす奴をリアルで見たのはこの時が初めてだったので、かなりの笑撃を受けた。
ケイジは、数年後ケンゴと「SNIPE」というバンドを始める事になるのだが、この時はまだ小便小僧だった。

ちなみに、ケイジの兄・ヨッチャンはこの出来事の数ヶ月後、泥酔して押入れの中に篭り卒倒しションベンを漏らすという怪事件を起こす事となる。

3回目は群馬「前橋ラタン」(8月13日)
この日のゲストは、俺達と前橋の地元バンド。
この地元バンドは、CD収録バンドとは全く交流はなく、ライブハウス側から言われるがままに出たらしい。(気の毒だった)
このバンド、「ばちかぶり」のオンリーユーのカバーをやっていて気になる存在だった。オリジナル曲もへなへなした感じだったけど今思い出すとちょっとカッコよかった気もする。
ラタンはイイ箱だったけど客席にいるのが出演者のみってーのは辛いライブだった。
でもメンバー&双子のスタッフ&ウダというメンツで前橋まで行けて楽しかった。

ドライブのついでにライブをやったという感じ。

最後は千葉旭町「ペパーミント」(8月22日)
ここはスゲー場所だった、ライブハウスってより南国風のパブって感じ。
俺はココはかなり気に入った、まだ在るらしいからまた行ってみたい。
出演はビシャスレーベルとノイジートラッシュ。ハーケンクロイツは出なかったはず。
そして、ゲストが俺達とC&C・パリジェンヌ・コリガン・あと旭の地元バンドで総勢7バンド。
確か、この日がこの発売記念ライブの最終日だった気がする。
この日のライブで印象的だったのは、やっぱりこの日もC&Cはカッコよかった事である。

あとは、ビシャスレーベルのボーカル・オガワのマイクスタンド。

これは衝撃的だった・・・。



おぃ!あれ見ろよ!!



ビシャスレーベルのリハーサル中、誰かが叫んだ。



手ぇくっ付いてんじゃん!!


は・・・?手・・・?



何事かと思い、ステージ中央に視線を移す。



な・・・・!なんじゃありゃぁあああー!!



その場に居た全員が驚いた。

なんと!オガワのマイクスタンドには、本来ならばマイクホルダーが装着されている部分に血まみれのマネキンの手が装着されており、その血み泥のマネキンの手がマイクを握る仕様となっていたのである。

世の中には凄い感性の持ち主が居る。という事を、改めて認識させらた瞬間であった。


そして、この日の打ち上げ。
ビシャスレーベル・オガワがラストの「FTG」という曲の間奏で「おう!今日は打ち上げ 男は2千円 女は千円で海でやっからよ!オメーらみんな来いよ!」と告知したワケだが。

会場が海・・・?
どこの海よ・・・?

海のどこよ・・・?

ライブ終了後。

俺達は機材搬出も終ったので改めてオガワに「海ってどこ行けばイイの?」と聞いてみたが、やっぱり「とりあえず先に海に行ってて下さい!」との事。
「お、おぅ・・・わかった・・・」言われるがまま車に乗り、海へ向かった俺達。

閑散とした町並みを抜け、深夜の海へ到着。


大体ここら辺じゃねーの?



真っ暗な浜辺をウロウロしていると、突然目の前に血みどろでヨレヨレの白衣にマスクを着けた男が現れた。

うわぁー!!!

ビビる俺に動ずる事もなく、白衣の男は気の抜けた声で「チャ~ス」等と挨拶をしてきた。

よく見ると、血み泥白衣の男は、今日のライブで1番最初に出てた地元バンドの奴だった。
あんな格好で暗闇の中立ってたら誰だってビビる、危ねぇよ。
そして、白衣の男は言いました。

オガワさんが穴掘っててくれって言ってました

は?穴?なんで穴よ?

バーベキューやるらしいですよ

あっそ、んじゃ掘るか?ってなんか掘る道具あんの?

いや。ナイです

ふーん・・・でドコに掘るのよ?

さぁ?ここら辺でイイんじゃないですか?

あっそ・・・

俺は言われるがまま、素手で穴を掘りはじめた。
そして、掘って掘って堀り続けた。
そして、白衣の男は「俺、なんか掘る道具探してきます」と行ったきり帰って来なかった。
そして、俺が穴を掘り終わり振り向くと、白衣の男は流木に腰掛け友人と談笑していた。

この時すでに時刻は23時。
待てども掘れどもオガワは来ない。
30分後、ようやくオガワ登場。

じゃ、みんな今日はおつかれー!!

オガワの音頭で打ち上げが始まったが、参加者はビジブルとビシャスレーベルと血みどろの地元バンドのみ。
オガワは旭町が地元で、ここらじゃちょっとした顔役らしい。
白衣の男はオガワの後輩だったらしく、オガワの指示に従いせっせと働いている。

あ、俺ナメられてたのね・・・?

オガワは、俺が掘った穴に薪を入れ火をおこし始めたが、どうも火の着きが悪い。
オガワさんは言いました。

おうッ!これじゃ朝なっても肉焼けねぇよ!ちょっとガソリン買ってこーい!!

暗闇の中に血みどろの白衣男が消えて行きました。
そして数十分後、息を切らせながらガソリンの入ったポリタンクを手にした白衣男が帰ってきました。

おう、オメェ遅せーよ!

すみません!ハァハァ・・・ハァハァ・・・

俺はガソリンなんか撒いたらヤベーんじゃねぇの?と思ったが黙っていた。

よし、貸せ!行くぞ!!

オガワさんは、勢いよく火にガソリンを撒きました。
次の瞬間、「ドワッ!!」っという爆音と共に5メートルほどの火柱があがり、真っ暗闇だった浜辺が一瞬昼間の様に明るくなりました。
そして、オガワさんは言いました。

馬鹿ヤロゥ!!危ねぇよ!!火事になんじゃねーか!!


「戦争を知らない大人達」
発売記念ライブもこんだけ燃え上がれたら良かったのになぁ~。






成り下がり

成り下がり
数々の伝説を残したビシャスレーベルの皆さん



成り下がり
当時のビジブルのフライヤー







1993年・5月


ギターのノムラも退院し、メンバーが揃ったビジブルファッカー。

ライブも既に決まっていた。

俺のビジブルでの初ライブは、以前ちょっと揉めたゴローのバンド「処女狩り」の企画だった。

ライブをやれるのは嬉しかったが、不安もあった。
なぜなら、「処女狩り」にはあの狂人病のタケオくんもボーカルで参加していたからだ。

タケオくんのステージングは暴力的で、客席にダイブして観客をブン殴る。そんな噂を聞かされていたのだからしょうがない。

他の共演バンドは、あの有名なハードコアバンド「ポイズン・アーツ」 。
俺は「ポイズン・アーツ」は聴いたことが無かったので、あまり興味が無かったのだが、みんなは喜んでいた。

観客は皆、拳を突き上げ「キーック!ローック!!」 と叫んでいたのが印象的。

で「処女狩り」。
このバンド、ボーカルがゴローとタケオくんで、ドラムとベースは俺は面識が無かったのだが、ギターを弾いている女は知っていた。
彼女は、東京方面では「タロー」と呼ばれ千葉では「カオス」と呼ばれていた。

このカオスさんは、ビッグジェットマウスのチャチャくんやヤマちゃんと知り合いで、彼らから「とにかくスゲー女だ」と聞かされていた。他にも「風呂に入らない女」「Gパンに生理の血が着いていても気にしない女」等と聞かされていたが、実際に会う事はないだろうと思っていたので「ほぅ、凄い女もいるんすね」と当時はテキトーに聞き流していたもんである。


その噂の女が、今の前に居ます。


しかし、実際会ってみると、ちょっと粗野な感じはするが顔はフツーに可愛らしい。カワイイというより美人だ。

俺は、「本当にスゲーの?」と思いながら処女狩りのライブを観戦。

そして、俺はビビった。

なんとカオスさん!!オッパイ丸出しじゃねーですか!!

こりゃスゲー!しかも美乳ですよ!! (←エロイ話は敬語になる奴)

観客も皆、驚きと性欲を隠しきれず、「もっと近くでオッパイが見たい!!」という気持ちでステージ前列に殺到したが、たまにタケオくんが客席に降りてきて暴れるもんだからその度に「うわー!」なんつってみんな逃げる。(くり返し×10回)みたいな。

彼女のオッパイは、かなり武闘派な男しか真近で見る事が許されないオッパイだったのだ。俺はもちろん真近で見れなかった・・・。
もし、あの時ライブハウスにオペラグラスが売っていたら、俺は間違いなく買っていただろう。
そんなエキサイティングなライブが、俺のビジブルファッカーでの初ライブだった。

余談ではあるが、カオスさんはその後「処女狩り」を脱退し「裏窓」というバンドに入った。
絶対音感の持ち主とか、実はかなりのお嬢様だったとか、色んな噂があるミステリアスなスゲー女だった。
ちなみに、5年くらい前に千葉中央公園のイベントでカルメンマキのライブがあるというので観に行ったら、偶然カオスさんに会った。 けど、彼女は俺の事などすっかり忘れていた・・・。

でも、俺はオマエのオッパイは忘れてねぇーよ。と。


この頃は、色々と楽しかった思い出がいっぱいある。
ビジブルのメンバー&双子スタッフ&マーガレッツ・ウダと宴会をしたり、みんなでノコギリ山に遊びに行ったり、出会った女の子に片っ端から軽く恋して軽くフラれる×(くり返し10回)みたいな。

そんな出来事が、俺の心の中に青春という文字を刻んだ。

だが、楽しい事ばかりではなかった。

平日に東京の亀戸から、千葉まで練習する為だけに来るのはちょっと辛かった。

金銭的なものもあるが、他のメンバーは練習が終りスタジオでお酒を呑んでいるのに、俺だけ終電が無くなる前に帰らなくちゃいけないのが辛かった。 俺ももっと皆と楽しい時間を過ごしたかったのだ。
スタジオ練習はいつも楽しい一時でもあるが、寂しくなる日でもあった。


そんなある日のスタジオ練習。

俺は仕事が早く終わったので、ちょっと早めにスタジオに着いてた。

もちろんまだメンバーは来ていないので、ヒマ潰しにスタジオの階段に貼られている他のバンドのフライヤーを眺めていた。


カッコイイバンドは居ないなかぁ~?と。


そこで目に付いたのが、なんとも酷ぇフライヤー。
ヘタクソな絵と小学生の様な字で「PUNK ROCK」とか「AV女優もみにくるよ!」とか「飯島 愛もビックリ!」とか「ミニアルバム発売中!」等と書いてある。

俺は「これはひでぇバンドだ!!」と驚いた。

バンド名を観ると「the C&C」 と書かれている。

「居るよな~、こーゆー嘘ばっか書く奴ら。AV女優が来るワケねぇだろ!!」と思って呆れていたが、毎週スタジオ行く度に「C&C」の新作フライヤーが貼られていた。 新作と書いたが、内容はほぼ同じ。たまにAV女優の名前が違う場合があったが、たぶんその時のマイブームによって変えていたのであろう。
そして、そのフライヤーは千葉LOOKにも貼ってある、本八幡ルート14にも貼ってある。 俺が行く場所にはほとんど貼ってある。

俺はこのフライヤーに驚きを超えて不気味なものを感じた。

驚きはそれだけでは無かった。

このバンド、ライブスケジュールが半端じゃねぇのだ。
大体、一ヶ月に5~7本ペース。


なんなんだコイツら・・・!?
もしかしてホントにスゲーバンドなのか・・・?

そして、更に驚いたのは、このバンドのフライヤーに良く似たフライヤーを各地で見掛ける様になってきた事だった。
ヘタクソな絵で当時ブームだった人面犬の絵が描いてあり、吹出しには汚ねえ字で「あ~かったり~」と書かれている。俺はてっきりC&Cの新作フライヤーかと思っていたが、良く見ると違うバンド名が書かれていた。
俺が「え!?これC&Cじゃねぇのかよ!!それにしても・・・こりゃまた、ひでぇバンドだ!!」と驚くのは致仕方のない事である。

そのバンドの名は 「パリジェンヌ」 。

ホント、なんなのよコイツら? 仲間なの?
変な奴らが増殖してんなぁ・・・。

俺はこの両バンドのヘタクソな絵に憎悪に良く似た感情を持ち始めていた。

ある日の事。

マーガレッツのライブに遊びに行くと、会場にあの生意気な鎖骨ギプスが居たので声をかけた。


おぅひさしぶり~♪元気?バンドやってる?


はい、やってます。


なに、前と同じメンバー?


いや、あのバンドは解散して新しいバンド始めました。


へ~、今度観に行くよ。なんてバンド?

あ、俺らC&Cってバンドです。

ナニィぃ!? C&Cだと!?



この時、歴史がほんのちょびっと動いた。






忙しくて全然書けません・・・


mixiに元はあるんですが、かなり編集しなくちゃイケなくて・・・


もう、年内は更新できないかと・・・


年明けには、まとめて2~3本更新しようかと思っております。


最近、また読んでくれてる方も増えた様で嬉しいです。

メールで感想くれた友人の皆様にも感謝です。


では、ちょっと早いんですが


良いお歳を!!



1993年・春


鎖骨ギプスから「軽い屈辱感の代償」として、スタジオまでの行き方を入手。


なんだかなぁ・・・


釈然としない気持ちのままスタジオペンタへ向かう俺。

スタジオに着くと、ロビーにはビジブルファッカーのメンバーの他に、マーガレッツのウダと当時ビジブルのスタッフだった双子のサクライ姉妹がいた。


テーブルの上には、酒。
そして酒。そしてまた酒。


宴会だ。


スタジオは2時間の予約を取っていたのだが、既に40分間は酒を呑んでダラダラと過ごしている。
ビッグジェットマウスの時は、真面目にビシッと3時間練習してたので「これでイイのかな~?」と思いつつ、「ま、みんな呑んでるからいいか・・・?」と俺も飲酒。
そして、ほろ酔い加減でスタジオに入った結果。


俺は全くベースを弾く事が出来なかった。


それもそのはず。
俺は、家でほとんど曲の練習もせず、鏡の前で「どんな事をすれば目立つのか?」というアクションの研究をしていたからだ。
この結果は不努力の賜物である。


そして、ウダも大して弾けてなかった。
おそらく、ウダは「ま、テキトーに覚えりゃいいっしょ?」と軽い気持ちで挑んだに違いない。
この結果も不努力の賜物である。


ボーカルのカサイの顔を見ると神妙な面持ちである。
俺は「最初はこんなもんだべ?次はしっかりやってくるからよ!な、ウダ」といかにも「悪いのはウダです」といったニュアンスで言い訳した。
最低な糞野郎と思われても構わない。


なぜなら!
俺はもうバンドをクビになるのはう嫌だったからだ!(キッパリ)


この頃、俺は通称「荷上げ屋」と呼ばれている建築資材の搬入の仕事をしていた。
仕事は、現場に直行で、終わりしだい直帰できる。大体、午前中で仕事が終わった。
仕事仲間には、ロケッツというバンドのギター・シンジくんと、ベースのシンさん。あと千葉の大御所バンド・ベレッツのドラマー・ヒデオさんがいた。


この会社の事務所は江戸川区の葛西にあったのだが、現場は大体千葉だったので、俺は仕事が終ると亀戸の自宅には帰らず、今は亡き千葉のセントラルプラザ(通称センプラ)というデパートに向かった。

センプラには、ビジブルスタッフのサクライ姉妹や、マイティファントムヘリコプターというミクスチャーバンドのベーシスト・リキタケさん等、バンド関係者が多く働いていたのでセンプラは俺達の溜まり場となっていた。


特に、地下1階にあった雑貨屋は、サクライ姉妹の姉アッコが店長だったので俺達は結構好き放題やらさせてもらった。
サングラス・靴下・アクセサリー等「これ頂戴」の一言で精算完了。
店内のBGMは俺達のデモテープ、カウンターには俺達のフライヤーが貼られていた。


そして、週末の夕暮れ。
毎回、「今日は呑み会が開催される」という知らせをサクライ姉妹から聞かされ、俺はノコノコとついて行く。

大体、場所はビジブルのドラマー・キンタの家か、ギターのノムラの家。


キンタは、勤めている会社の社宅に住んでいた。
この会社というのが、若い従業員がみんなPUNKSという怖ろしい会社だった。
ちなみにビジブルファッカーのメンバーは、俺以外みんなこの会社の従業員である。


その日は、キンタの家でビジブルのメンバーに、サクライ姉妹に、マーガレッツのウダ、そしてベレッツのヒデオさんというメンツで酒を呑んでいた。 宴は楽しかった。
全てが新鮮に感じた。


「千葉ってイイな~」と思い、酒とその場の雰囲気に酔いしれていると、突如、玄関のチャイムが鳴った。
「あ?ダレだ?」家の主のキンタが玄関に出て何か話している。

訪問者は、隣の部屋に住んでいるゴローと、その仲間達だった。
どうやら、「一緒に呑もうぜ」と言っているらしい。


ゴローは、千葉ハードコアシーン衰退後も頑張って活動していたハードコアバンド「処女狩り」のボーカルだ。

俺はのん気に「イイじゃん一緒に呑もうぜ!」等と言ってみた。
みんなも反対する事もなく、宴会は大宴会となった。


みんなが程良く酔っ払ってきた頃。
カサイとゴローが何か言い争っている。(カサイがなだめてるってのが正しい感じ)
よくよく聞いてみると、どうやら俺達がチョーシこいてるのが気にいらネェと言っているらしい。
一番気にいらネェのはヨソモンが千葉でチョーシこいてる事だと。
初めはナニを言っているのか分からなかったが、ようやく気がついた。


あ!ヨソモンって俺の事か!?


思った瞬間、カサイとキンタはゴローに「あぁ~ン?キーチは関係ネェだろ?オメーら、なに文句あんだよ!」と詰め寄った。
俺は、「俺もなんか言わなくちゃいけねーかな?」と思い、「文句あんなら直接オレんトコ来いよ」と言ってみた。

まだ、皆若かったため、他人の気持ちを思いやる余裕も無かった。
ゴロー達からしてみれば、俺達が気にいらネェって気持ちも今ならわかる。
確かに俺達は怖い先輩達が居ない事をいい事に、思う存分チョーシこいていた。
(誤解の無い様に補足するが、ゴローはイイ奴だ。仲間や後輩からも慕われている)


しかし、当時は、俺たち無知なヤングPUNKS。
弱肉強食だろ?といった感じで、彼らの意見を否定した。
そして、間に入ったヒデオさんにも「まぁ、先輩は黙ってて下さい」と仲裁を断絶し、喧嘩上等やる気満々な態勢を演じていた。(ホントは俺ビビッてた)

結局、殴り合う事も無く「俺達が正しい!お前が悪い!」の一点張り攻撃でゴロー達を圧制し、更に酒の仕業で論争は別の話にすり変わり、曖昧な形となって論争は集束へと向かった。
とりあえず手打ちとなり、ゴロー達は自分の部屋に戻って行き、俺は「ちょっと外の空気吸ってくるわ」と席を立った。


部屋を出て階段を下りようとすると、暗がりの中に人影が見える。
よーく見るとその人影は・・・。


マジかよ・・タケオくんじゃん・・・


人影は、千葉の極悪ハードコアバンド・狂人病のマーガレット・タケオ氏でありました。


やっべー!どうしよ!!


俺は、部屋に戻ろうか、それともそのまま階段を下りてタケオくんに挨拶するか迷った。


でも、俺はタケオくんの事は一方的に知ってるけど、タケオくんは俺の事知らネェはず?このまま階段下りて知らネェふりして逃げようかな?


と思ったが・・・


やっぱやめた!!逃げよう!!

俺は、廊下の手すりをまたぎ、一階の植え込みにダイブした。
そして、闇の中で息を殺し、タケオくんがその場から去るのを待った。


数分後。
もう行っただろ?と思い外に出た処。


イエーイ!!まだ居ましたー!!


タケオくんとバッチリ鉢合わせる形となり、俺は「あ、コンチャス・・・」と挨拶して全速力で走り去った。
心臓がバクバクしていた。
タケオくんは「なんだアレ?」といった顔で不思議そうに俺を見ていた。
俺は暗闇を爆走しながらつぶやいた。


やっぱ千葉は怖ぇ!
こんな深夜に、狂人病がウロウロしてんだもんな~参った!!


暫くして部屋に戻ると、カサイが居ない。
どうやらゴローの部屋で、タケオくんに軽く〆られてるらしい・・・。

数分後、カサイとタケオくんがやって来た。

カサイはタケオくんに数発殴られたのであろう、グッタリしている・・・。

俺達にさっきまでの勢いはもう無い。


俺は家に帰りたかったが、始発はまだ出てない。ピンチだ・・・。
タケオくんは、ウダの存在に気がつくと「オマエ知ってるよ、マーガレッツだろ?俺もマーガレットって言うんだよ」と言った。 その言葉には「チョーシこいてるらしいじゃん?」ってニュアンスも含まれていた。
俺達は凍てついた。


そして、重い空気のまま宴は続く。


しかし、以外な事にタケオくんは先輩への礼儀はしっかりした人で、ベレッツのヒデオさんに対しては、「先輩、自分ら、先輩達がやって来た事を無駄にしたくないんです」と真面目に今後の千葉のロックシーンについて語っていた。
そんなタケオくんに、ヒデオさんは「おまえらも頑張ってたから、俺達も頑張ったし、それで千葉が盛り上がったんだよ。今度はこいつらが盛り上げていく番なんだよ」とタケオくんの功績を認めつつ、俺達の存在理由を肯定し、見事にその場をまとめあげた。


おかげで俺は命拾いした。
ヒデオさんが居なかったら、絶対に俺はタケオくんに〆られていたはずだ。(ま、後日〆られたけど)


夜が明けて。
電車も動き出す時間となり、呑み会はお開きになった。
俺は重い体を引きずり、駅へ向かう。


なんだか・・・すげぇ夜だったな・・・


始発に乗って亀戸へ。
俺は電車に乗った途端に眠ってしまった。


目が覚めると、そこには見た事の無い景色。

あ・・・?ここドコよ?


構内のアナウンスが聞こえる。
「終点~高尾~高尾~」


マジかよ!! 高尾ってスゲェ遠いトコじゃん!!

バカなので、高尾がドコかよくわかっていなかったが、とにかく凄い遠い場所だという事は知っていた。

急いで反対のホームの列車に飛び乗る。
高尾から亀戸まで・・・・・・・・・・。
俺は電車に乗った途端に眠ってしまった。


目が覚めると、そこには見た事はあるけど、目的地とは違う景色。

構内のアナウンスが聞こえる。
「西船橋~西船橋~」


あほー!!


千葉から亀戸まで所要時間・約5時間。
自己最長記録。







1993年・春


うまい事ビジブル・ファッカーに加入した俺。

当時のビジブルファッカーのメンバーは

Vo・カサイ Gu・ノムラ Dr・キンタ。

そしてBa・俺。

この時、ギターのノムラは入院中で、俺が加入した事は知らなかった。

じゃあ、俺の加入報告も兼ねて見舞いに行ってみるべぇ。

と、ボーカルのカサイと一緒に都内の病院へ足を運んだ。

カサイは昼間っから電車の中で焼酎を呑みだした。

俺はこの頃はそんなに酒を呑む野郎ではなかったので、カサイの呑みっぷりに驚いた。


車中、俺とカサイはまだそんなに親しい仲ではなかった為、話もそれほど盛り上がらず、俺は僅かながらに息苦しさを感じていた。
しかし、カサイは、そんな空気にも我関せずといった感じで、グビグビと焼酎を煽る。

カサイは、今も昔も他人にあまり興味がナイ。
頭はイイはずなんだが、ハナっから「賢い」なんて言われる事に興味がナイ感じなのだ。

ちょっと変わってる野郎である。

病院に着くと、通路の奥から車イスに乗った男が爆走してきた。

その車イスの後ろには数人の子供達。

爆走車イスのパイロットはノムラだった。
顎の手術だったので、足は健常なのだが、病院内を車椅子に乗って移動しているらしい。
入院中の子供を手下にし、車椅子を押させていた。

「あぁ、ノムラらしいな・・・」と思った。

ノムラはカサイよりも変わってる野郎なのだ。


おう、見舞いにきたぜ。


おぅ。


ノムラは、突然の見舞いに喜ぶ事も驚く事もなく、素通りするかの様に病室へ入っていった。

病室に入り、今後のバンドの活動を話合ったのだが、ノムラは頭から顎まで包帯で固定されていたのでマトモに喋る事ができなかった。

おぅわ、らうげぅのなかがいたいいんできう

どうやら「俺は来月の半ばには退院出来る」と言っているらしい。

だが、他人に無関心なカサイは容赦ナイ。

あ?なに言ってっかさっぱりワカンネェよ?ちゃんと喋れよ

俺は、そんな事を真顔で言ったカサイに驚愕した。
ノムラの顔を見ると、ちょっと怒っている。
彼らとまだあまり親しくない俺は困惑した。


こいつら、いつもこんな調子なのか・・・?

そんな調子で、話しはつっかえつっかえしながらもなんとか進展。

さて、じゃあ、ノムラの退院までギターをどうするか?

検討した結果、スタジオ練習はマーガレッツのウダに頼んでみようという事になった。
これは新参者の俺としては大変都合がイイ。

ウダが俺とメンバーのパイプ役になってくれるし、もしスタジオ練習でベースを上手く弾けなかったら「やっぱ、ギターが違うから雰囲気変わってやり辛いなぁ~」と言い訳出来る・・・と卑怯な思惑があったのだ。

数日後。

スタジオに入る事になったのだが、またしてもカサイの言動に驚愕した。

来週、スタジオ入っからさ、あ?場所?スタジオペンタ。場所わかる?シラネ?誰かに聞けばすぐわかるよ、じゃ。

おいおい、誰かって誰だよ・・・?
俺は不安な気持ちで電車に乗り千葉へ向かった。


数十分後。

千葉駅に到着し、さてどうしましょう・・・?

閃いた!スタジオの事ならばバンドマンに聞けば確実だ!

早速、ライブハウス・千葉LOOKに行ってみる。

店先には若者達がたむろしていた。

知ってる奴はイネーか?と辺りを見回す。

いた!
鎖骨ギプス発見!(the Big Jet Mouse #5参照)

失礼でアホな野郎だと思っていたが、こんな時には頼りになる男に見えた。

砂漠のオアシスを見つけた気分になり、微笑みながら鎖骨ギプスに声を掛けた。

おぅ、ひさしぶり!あのさ、スタジオペンタってドコにあるの?教えてくんねぇ?

あぁ、ペンタですか?ペンタならすぐ近くですよ。なんなら案内しますよ!


こんな答えが返ってくるものだろうと思っていた。

カッコイイライブをやっていた先輩が困っている。

デモテープを郵送してくれた先輩が困っている。

マーガレッツの情報を教えてくれた先輩が困っている。

こんな時こそ、僅かながらの恩返し。イッチョ俺が案内しようじゃありませんか!

と思うのが普通であろう?と思っていた。


うぬぼれ過ぎであろうか?


しかし、現実は俺の予想をくつがえす。

鎖骨ギプスの口から、こんな言葉が滑り出してきた。


は?ペンタの場所も知らネーんですか?

え・・・?

千葉の人ってみんなこんな感じなの?
俺、今まで千葉ナメてたかも・・・

俺の心の中に暗雲が立ち籠める。



成り下がり
鎖骨ギプス・18歳

恩知らずのムカつく野郎だった・・・