1994年
今回は、ちょっと脱線して当時千葉で活躍していたバンドをいくつか挙げてみる事にする。
当時の千葉のロックシーンに関わってナイ方にとっては退屈なのは間違いネェ。
では。
● BELLETS
当時の千葉ロックの大御所。
90年にイカ天に出演。
それをきっかけに91年にメジャーデビューし、シングルとアルバムが発売された。
シングルカットされた「半端者」は名曲!
「チンピラにさえ~なれない半端者~♪」 というサビは、当時、江戸川区のチンドンパンクだった俺のハートをガシッ!っと鷲掴みした。俺は今でもたまに聴いている。
93年にインディーズに戻り、本八幡ルート14のピーナッツレコードから2ndアルバムをリリースした。
● 薮蛇古屋
千葉の総番・安井さん率いるバンド。
このバンドはベレッツと共に、千葉のビートロックシーンをリードしていた「つれづれ草」が母体となっていた。
「つれづれ草」は元々パンクバンドだったので、そのイメージのまま「薮蛇古屋」を観に行ったら、肩透かしを食らった記憶がある。 最初の頃は、変な歌謡ロックにしか聴こえなかったのだ。
安井さんは、昔、「狂人病のタケオか、つれづれの安井」と言われるほど千葉で凶暴な男だった。
そんな無骨な男が歌謡ロックなんかやりやがって!つれづれ草続けろよ!と勝手に憤慨していたもんである。
しかし、野次ってブン殴られるのは嫌だったので黙っていた。 この記録も安井さんが見ない事を切に祈る。
その後、ベレッツが解散しベレッツのベース・落瀬学さんの加入等もあり動員・実力共に千葉で一番となった。
しかし数年後、ベースの落瀬 学さんは突然帰らぬ人となった。
お通夜にも参列させてもらったが、正直、未だに実感はあまり無い。
学さんは、俺の良き理解者だったと勝手に思っている。
多くの知人が「学さんの偉大さ」を語っているのを聞く事があるが、確かに学さんは偉大だった。間違いでは無いと思う。
でも、俺は「チンピラにさえ成れない半端者(ロッカー)」だったという表現(暴言)の方が、あの人には似合っていると思う。
● CATCH THE CLOUDS
千葉イチ濃い顔のトムケン先輩率いるバンド。
俺はこのバンドに最初はナメてかかっていたら、後でしっぺ返しを食らった事がある。
当時、かなり生意気だった俺の戯言に、真摯に付き合ってくれたイイ先輩。
どんな音楽をやっていたかは忘れてしまった・・・(失礼)
● 麗紫
実力派・ガールズバンド。
ちょっとサイケっぽいR&Rだったような気もするが、いまいち思い出せない・・・(失礼)後半は結構ポップだったはず?
余談であるが、サイケと言えば千葉には「赤」という物凄いサイケなガールズバンドが居た。
サイケっぽいのに、水着で演奏している姿が異様だったのだ・・・
当時はナゼか「麗紫と赤は知り合いなのだろうか?」と音楽に全く関係ナイ所に興味深々だった。
それにしても、この麗紫のベースは凄ぇ。
多分、当時の千葉界隈で上位にランキングされる腕前。
俺と年は同じだが、当時は年上かと思っていた。 (本当は一つ上?)
一部のガールズバンドの憧れ的存在だった。
● CHICKS
アニメ・キテレツ大百科のオープニングテーマ「すいみん不足」を唄っていたバンド。
俺は「生でスイミン不足が聴ける!」と期待してライブを観に行ったら「やらなかった・・・」という苦い記憶しかない。
メンバーの方がこの記録を読まない事を切に祈る。
老舗はこんな感じである。
他にもまだ居たはずだが、俺は、あまり交流を持ってないバンドばかりなので割愛。
あと、この頃は、残念な事に(幸運な事に?)俺達にとっては恐怖の対象でしかなかった凶悪ハードコアパンクバンド「狂人病」は既に解散していた。
他に、千葉ハードコアの「G-10」や「紅椿」というバンドが健在だったが、俺達が主に活動していた千葉LOOKは当時ハードコア出演禁止の店だったので、あまり一緒になる事は無かった。
当時の俺からしてみれば、これは大変ラッキーな事だった。
各バンドのメンバーがこの記録を読まない事を切に祈る。
さて、若手。
● サイドワインダー
このバンドは短命だった記憶が・・・。
数年後「イエロークラッカー」というバンドになり、ボーカルの脱退により解散(だと思う)
その後、残ったメンバーで「LINK13」を結成。
「LINK13」は現在も活躍中で、千葉のロックシーンをリードするバンドとなった。
ちなみに、「サイドワインダー」のボーカル・ミトちゃんは現在 「THE STAR CLUB」のギタリストである。
● EXISS
現在は「アンモナイトチェアー」の名で都内で活動を続けている。
怒涛の曲の展開は、この頃から既に話題であった。
俺は結構好き。
● トルエン
ポップロックで女子高生の人気者だった。
彼らは千葉LOOKの店長・サイトウヒロシがイチ押しの若手バンドで、LOOKが運営していた「PPレコード」からアルバムをリリースし、全国ツアー等も行った(はず?)
彼らは、その不健全なバンド名が原因で、千葉駅前で行われた野外イベントに出演を断られるという伝説も持っている(K察からのご指導があったらしい)
● swichi No 5
当時では珍しかったガレージ(?)バンド。
若手の注目株であったが、活動して間もなく解散。
その後、ギターとドラムで千葉のガレージヒーローとなる 「ハウリング・ギター」を結成。
ハウリングは大手のレーベルからアルバムを発売したり、テキサスツアー等も行った。 すげぇ。
ハウリングギターは現在も活動中。
● BOY BOASTS
本格的なアメリカン・ガレージサウンドで千葉のパンクシーンに衝撃を与えたバンド。
ギター・ボーカルのケンケンは「ハウリングギター」のギターリスト・サカイにも影響を与えたのでは?と勝手に邪推。
音源が発売されなかった事が悔やまれる。
● パリジェンヌ
ケンゴの幼馴染の
「酔っ払ってクローゼットで寝小便を漏らしたヨッちゃん」と
「酔っ払って、寝ている嫁にションベンをかけたウザワ」と
ケンゴの同級生だったアホの山本がC&Cに対抗して作ったバンド。
山本は、ライブの始まりに「パ~リィィジェェーン!」とバンド名を叫ぶのだが、絶対に「ヌ」まで言わない。
ヨッちゃんと山本の壮絶な殴り合いによって解散した。
● ザ・マーガレッツ
ここではお馴染みの、千葉のパンクヒーロー。
この頃は自主企画「HI-TECH DINNER」を行い、都内の無名ではあったがカッコイイバンドを千葉に呼び寄せていた。
出演したバンドには「レジストレーターズ」や「アスフォート」と、その後有名になるバンドも多く、個人的にではあるが、この企画は今の千葉ロックシーンの礎となったと思っている。
● the C&C
この頃のC&Cは凄かった!
なにが凄いか?というと、なんとワンマンライブを行なっているのだ。
まず、その予兆は前年(93年)から確かにあった。
俺達は「ある意味」ツイている者の集まりなので、不思議な事が良く起きる。
大体において、その「ツイている」とか「不思議な事」というのは良くない意味を表すのであるが、その日もやはりそうだった。
93年の12月、俺達は千葉LOOKでライブを行なったのだが。
さ~て、もうすぐ出番だぜ~と、楽屋で呑気にスタンバっていると、突然あたりが真っ暗になった。
何事か?とフロアに出ると、フロアも真っ暗でバンドの演奏も中断している。
なんとこりゃ、大変だ。
停電である。
結局、この日の停電は1時間近く続いた。
電気が復帰した頃にはバンドもお客さんもすっかり冷め切っていた、この状況で演奏するのは辛かった。
店長のサイトウヒロシも申し訳なさそうにしている。
気落ちした俺達を元気づけようと、ヒロシはこう言いました。
来月のスケジュール表の表紙にキミらの写真使おうと思ってるんだよね~。
と。
俺達は喜んだ。
当時、LOOKのスケジュール表の表紙に載る事はバンドにとって誇らしい事であったのだ。
じゃ、ついでにライブも入れちゃおうか?
と言う提案に俺達は喜んで乗った。
対バンは?どんなバンドですか?
と言う問いかけに、ヒロシは
まだ決まってないからさ、決まったら連絡します。
と。
年が明けて、ライブ当日。
現場に到着した俺達に、ヒロシはこう言いました。
ゴメン・・・ 実は、予定してたバンドが今日になって次々とキャンセルしてきたんだよね・・・。
と。
え!じゃあ、対バンは・・・?
ナシ・・・?(みたいな)
てー事は?
うん・・・。
それって・・・もしかしてワンマンライブって事ですかね・・・?
そぅ・・・だね・・・。
マジっすか!?
ゴメン・・・。
こうして、俺達は人生初のワンマンライブに挑んだ。
1994年1月19日
「the C&C・ワンマンライブ」
観客動員数 4人!!
当時のLOOKスケジュール。
Vol35って事は、LOOKもまだ3周年くらいだったんだね?
で、中には停電のエピソードが書かれている。
当時のスケジュール表は手書きでね。
バンドマンはみんな自分のバンドがサイトウさんの手書きで紹介されるのが嬉しかったのよ。
BELLETSのメジャーデビューシングル
ベースラインがカッコイイ。
中古で見かけたら買え!!








