THE STAR CLUB

THE STAR CLUB(ザ・スター・クラブ)は日本のパンク・ロックバンド。1977年結成。オリジナルメンバーヒカゲを核とし頻繁にメンバーチェンジを繰り返しながらも30年以上のキャリアを誇る日本を代表するパンクバンドである。(ウィキペディアより引用)
俺達が敬愛するバンド。名古屋で結成され、現在も活動中。
アルバム『PUNK!PUNK!PUNK!』は超名盤。
現メンバーのMITOMEは俺の知り合いだったりもしちゃう。
MITOちゃんがスタークラブに入った時、俺、嫉妬した。
the SWANKYS

博多のパンクバンド。
そのカッコよさに俺達は『スワンキーズとスタークラブ、どっちが一番カッコイイのか・・・』と勝手に自問自答し悩み苦しんだ。
アルバム・シングル・全部名盤!
スワンキーズ解散後、ヴォーカル・WATCHが始めた『space INVADERS』もメチャクチャカッコよくて、俺達は『スワンキーズとインベーダーズ、どっちが一番カッコイイのか』と勝手に自問自答し悩み苦しむ。
ジャガーさん

伝説の男。
俺の実兄がファンでアルバムも持っていた。俺は『ラストフライト』という曲が好きだ。
一度、ジャガーカフェの壁を補修している素顔のジャガーさんに遭遇し『もしかして、ジャガーさんですか?』と尋ねてみたが、あの声で『いいえ違います』と言われた事がある。
とにかく凄い人。
ウィキペディアによると(超長いから覚悟しろ)
経営する洋服直し店(本人はあくまでも「地球上での仮の姿」での活動と主張)は、千葉県市川市本八幡に本店を置き、首都圏で20余の支店を構える業界大手。以前は広告看板製作業、クリーニング店、美容室、喫茶店、レコード制作会社など手広く経営していた。
プロフィールを「ジャガー星出身」と自称し、デーモン小暮閣下的なキャラ、及び落書きのようなメイクで、1980年代後半から1990年代初頭にかけてのサブカルチャーシーンでカルト人気を博した。
1980年代初頭より地元の千葉テレビで自前コンサートの告知CMを散発的に打っていたが、1985年からその千葉テレビをキー局に、テレビ神奈川、テレビ埼玉でも放送枠を買い取り、自ら制作・主演する5分間のプロモーション番組『ハロー・ジャガー』を毎週放映し、これにはヒステリックグラマーらも出演。更にテレビ朝日系の子供向けバラエティ番組『パオパオチャンネル』に自分のコーナー『だまってジャガーについてこい!』『出前ジャガー』を持ったり、『コンプティーク』誌でコラム『ジャガーじゃが』を連載したりと、マルチタレント振りを発揮した。
日本に数台しかないフェアライトCMIを駆使した打ち込みをベースに、独特の調子のシャウト(雄叫び)に多重エコーを掛けた、何を歌っているか非常に難解ながらも一度聞いたらなかなか耳に付いて離れない、余りに印象的なジャガー・サウンドを構築。爆風スランプのベース不在時のサポートを務めたり、ハーフタイムショーながら東京ドームでワンマンコンサートを挙行したりと、バブル期に絶頂を極めた。
ロックで成功したことで財を築き名を成し「ビッグ」になった矢沢永吉(成り上がり)とは対照的に、先ずビジネス(洋服直し)で成功して財を築き、それを元手に節税対策の一環としてフォークロック(格好はヘビメタ)シンガーソングライターとして名を売ったジャガーを評して、みうらじゅんは「上がり成り」と呼んだ。
自宅兼本社ジャガー・オフィス隣『JAGUAR CAFE』[1]と、松戸市馬橋『CLUB MIX』、2つのライブハウスを擁し(現在は共に閉店)、売れないセミプロバンドに格安で場所貸ししてやるのみならず、飲食まで提供する太っ腹なところを見せ、下積み時代のX JAPANやGLAYもジャガーの世話になったとされる。特にhideはジャガーの経営する美容院・洋服直し店で働いていた事がある。また綾小路セロニアス翔からは地元千葉の英雄として畏敬され、ラジオ番組『オールナイトニッポン』にも招待された。
インパクトのあるルックスとは正反対に礼儀正しく、ハスキーな声だが独特のテンションのですます調で喋り、そのギャップがまた更なるインパクトを強調している。ネット上の自分に関する情報は常にチェックし、掲示板等でファンとの会話に応じる気さくさも見せている。
活動休止後10年余り沙汰止みになっていたが、2004年に千葉テレビの地域振興キャンペーンとのタイアップで突如復活した。本人曰くタイムマシンで旅行をしていて操作を誤り未来(2000年代後半の現在)に着いてしまったらしい。
な、スゲェだろ?
動画が観たい人はニコニコ動画に行ってみるがいいさ。
『ハロージャガー』が観れるから。



