THE STAR CLUB

THE STAR CLUB(ザ・スター・クラブ)は日本のパンク・ロックバンド。1977年結成。オリジナルメンバーヒカゲを核とし頻繁にメンバーチェンジを繰り返しながらも30年以上のキャリアを誇る日本を代表するパンクバンドである。(ウィキペディアより引用)
俺達が敬愛するバンド。名古屋で結成され、現在も活動中。
アルバム『PUNK!PUNK!PUNK!』は超名盤。
現メンバーのMITOMEは俺の知り合いだったりもしちゃう。
MITOちゃんがスタークラブに入った時、俺、嫉妬した。

the SWANKYS

博多のパンクバンド。
そのカッコよさに俺達は『スワンキーズとスタークラブ、どっちが一番カッコイイのか・・・』と勝手に自問自答し悩み苦しんだ。
アルバム・シングル・全部名盤!
スワンキーズ解散後、ヴォーカル・WATCHが始めた『space INVADERS』もメチャクチャカッコよくて、俺達は『スワンキーズとインベーダーズ、どっちが一番カッコイイのか』と勝手に自問自答し悩み苦しむ。

ジャガーさん

伝説の男。
俺の実兄がファンでアルバムも持っていた。俺は『ラストフライト』という曲が好きだ。
一度、ジャガーカフェの壁を補修している素顔のジャガーさんに遭遇し『もしかして、ジャガーさんですか?』と尋ねてみたが、あの声で『いいえ違います』と言われた事がある。
とにかく凄い人。
ウィキペディアによると(超長いから覚悟しろ)
経営する洋服直し店(本人はあくまでも「地球上での仮の姿」での活動と主張)は、千葉県市川市本八幡に本店を置き、首都圏で20余の支店を構える業界大手。以前は広告看板製作業、クリーニング店、美容室、喫茶店、レコード制作会社など手広く経営していた。

プロフィールを「ジャガー星出身」と自称し、デーモン小暮閣下的なキャラ、及び落書きのようなメイクで、1980年代後半から1990年代初頭にかけてのサブカルチャーシーンでカルト人気を博した。

1980年代初頭より地元の千葉テレビで自前コンサートの告知CMを散発的に打っていたが、1985年からその千葉テレビをキー局に、テレビ神奈川、テレビ埼玉でも放送枠を買い取り、自ら制作・主演する5分間のプロモーション番組『ハロー・ジャガー』を毎週放映し、これにはヒステリックグラマーらも出演。更にテレビ朝日系の子供向けバラエティ番組『パオパオチャンネル』に自分のコーナー『だまってジャガーについてこい!』『出前ジャガー』を持ったり、『コンプティーク』誌でコラム『ジャガーじゃが』を連載したりと、マルチタレント振りを発揮した。

日本に数台しかないフェアライトCMIを駆使した打ち込みをベースに、独特の調子のシャウト(雄叫び)に多重エコーを掛けた、何を歌っているか非常に難解ながらも一度聞いたらなかなか耳に付いて離れない、余りに印象的なジャガー・サウンドを構築。爆風スランプのベース不在時のサポートを務めたり、ハーフタイムショーながら東京ドームでワンマンコンサートを挙行したりと、バブル期に絶頂を極めた。

ロックで成功したことで財を築き名を成し「ビッグ」になった矢沢永吉(成り上がり)とは対照的に、先ずビジネス(洋服直し)で成功して財を築き、それを元手に節税対策の一環としてフォークロック(格好はヘビメタ)シンガーソングライターとして名を売ったジャガーを評して、みうらじゅんは「上がり成り」と呼んだ。

自宅兼本社ジャガー・オフィス隣『JAGUAR CAFE』[1]と、松戸市馬橋『CLUB MIX』、2つのライブハウスを擁し(現在は共に閉店)、売れないセミプロバンドに格安で場所貸ししてやるのみならず、飲食まで提供する太っ腹なところを見せ、下積み時代のX JAPANやGLAYもジャガーの世話になったとされる。特にhideはジャガーの経営する美容院・洋服直し店で働いていた事がある。また綾小路セロニアス翔からは地元千葉の英雄として畏敬され、ラジオ番組『オールナイトニッポン』にも招待された。

インパクトのあるルックスとは正反対に礼儀正しく、ハスキーな声だが独特のテンションのですます調で喋り、そのギャップがまた更なるインパクトを強調している。ネット上の自分に関する情報は常にチェックし、掲示板等でファンとの会話に応じる気さくさも見せている。

活動休止後10年余り沙汰止みになっていたが、2004年に千葉テレビの地域振興キャンペーンとのタイアップで突如復活した。本人曰くタイムマシンで旅行をしていて操作を誤り未来(2000年代後半の現在)に着いてしまったらしい。

な、スゲェだろ?
動画が観たい人はニコニコ動画に行ってみるがいいさ。
『ハロージャガー』が観れるから。





1989年・春


ギターリスト・トガワの加入により、一歩前進した俺達のバンド。

あとは、ドラマーを見つければバンドは動き出す。

さて、どうしたものか?と思案するまでもなく、トガワくんからある提案があった。


俺の家の近所にドラムやってる人がいるから、その人に頼んでみようかと思うけど、どう?


どう?ってあなた。どうもこうもねぇよ。

いいに決まってる。断る理由がねぇよ。


いいじゃん!頼んでみようよ!


でもさ、その人メタルが好きなんだよね。


あぁ・・・メタルかぁ・・・でもとりあえず頼もうよ。やってみて良くなかったら他に見つかるまででもさ。


数日後。

トガワくんに連れられて、ドラマーがやってきた。彼の名は金子くんと言い、当時26歳だった。

俺らとは8~10歳も年齢差があったのだが、金子くんは飄々とした温和な人だったので、俺達はすぐに打ち解けた。

金子くんは、俺達の『スタークラブのコピーから始めましょう』『パンクしかやりたくないです』『既成の音楽に飽き飽きしてるんです』等と尻の青い言葉に、『ほう、なるほどね』と応答。


手ごたえは悪くない。いいんじゃね?


俺達は自意識過剰の集まりだったので、『俺達が金子くんに本物のロックってやつを教えてやる』というつもりだったのが、無知の恐ろしいところ。

今思えば、俺達は、金子くんに大人の対応であしらわれていたのだ。

しかし、それに気がつくのはまだまだ先の事。


とにかく、金子くんも結構変わりモノだったので、『就職先が決まるまで』という条件付きで俺達のバンドに加入してくれる事となり、俺達もそれで了解した。

就職が決まるまで。そんな事は全然問題なかった。

なぜなら


俺達はスターになる!

きっと金子くんの就職が決まる前に売れちゃう!

売れたら、俺を入れてくれ!ってパンクなドラマーがくる!

そしたらそっちを入れちゃう!

ヘビメタ好きの金子くんには辞めてもらう!


という非人道的な策略があったのだ。

俺もすっかり忘れていたが、これを書いてるうちに思い出した。

俺はそんな事を思ってはいなかったが、当時のトガワくんは強気!強気!の一辺倒な男だったので、平気でこんな言葉を吐いていた。まさに読んで字の如く『餓鬼』の様な男だ。

俺は俺で、『そんなに巧くいくかねぇ・・・?』と思いながらも、弱気な発言はナメられるし、強気の方がパンクっぽいという勘違いからその策略に賛同した。


遂に俺達のバンド『the Swapping』が始動した。

そうなれば、まずバンドとしてナニをするべきか?

そんなのは簡単すぎて放屁だぜ。


スタジオで音を出してみる。


つまり練習ですな。

普通ならばそうなる処だが、ザ・スワッピングのメンバー達は違っていた。

彼らは、ライブ予定も無いのにフライヤーを作る事から始めた。

そして、『ステージネームを考えよう』と言い出したのだ。


結果


Vo JACK (ヒラノ)

Gu TO-MASS (トガワ)
Ba HIRO (俺)

Dr YOU (金子)


とメンバーの名前が書かれたフライヤーを完成。更にそれを拡大コピーし部屋に貼るという暴挙に出た。

フライヤーには『Welcom to the SWAPPING SHOW』という呪いの文字が・・・

そのフライヤーを眺め、HIROはご満悦だった。JACKも嬉しそうだった。TO-MASSは『メジャーシーンをぶち壊してやろうぜ!』と言い放ち、YOUはその時すでに辞めたいモードを醸し出していた。


よし!フライヤーも作ったしさ、ライブやろうぜ!


うん、ちょうど俺らの学校の奴にさ、本八幡のジャガーカフェで一緒にライブやらないって誘われてるんだよ。


え?ジャガーカフェってあのジャガーさんの店?


え?なにジャガーさんって?


知らねぇのかよ、ジャガーさんって凄ぇロッカーが千葉に居るんだよ!普段は洋服直しの店やっててよ、自分のスタジオも持っててよ、千葉テレビの番組枠買い取ってな、ハロージャガーって番組まで持ってるんだよ。


へ~凄いねぇ。でまぁ、それはいいんだけど、ライブやる?


もちろんやるよ。で、そいつらのジャンルは?


ん、自分達ではハードコアって言ってる。


へぇ・・・バンド名は?


子宮ガンだって。


ほぅ・・・子宮ガンねぇ。凄ぇ名前だな・・・。


自分達のバンドもかなり凄ぇ名前だったが、この時はカッコイイ名前だと思っていたのでこんな言葉も口から滑り出す。恥知らずとはまさにこの事也。


1ヵ月後、俺達は今は亡き伝説のライブハウス『本八幡ジャガーカフェ』にてデビューライブを行った。
全曲ザ・スタークラブとスワンキーズのコピーだった。 そしてお客さんは20人程度だった。


ま、最初だから、こんなもんじゃね?

俺達は、こんなもんがずっと続くとも知らずに若者らしく油断した。


それから、更に1ヵ月後、YOUは靴屋に就職が決まった。

当初のずさんな計画では、俺達は既に都内では新進気鋭のパンクバンドとして名を馳せているはずであったが、現実はもちろんメチャクチャにストロングで厳しい。

俺達はもちろんアンノウンソルジャーのままで、もちろんこんなバンドに加入したいなんてドラマーは現れるはずもなく、金子くんとの『就職が決まるまで』といった約束は、こちらの勝手な都合で曖昧にしておいた。


数日後、スタジオ練習日。

スタジオに金子くんの姿はなかった。

何度も金子くんの自宅に電話したが応答はなかった。

やはり26歳の大人が、17~8の世間知らずなガキとパンクバンドをやるのには無理があったのだろう。

金子くんは3ヶ月で脱退した。


さて、どうすんべ・・・?


季節は夏。


とりあえず・・・たまにはパンクとか忘れてさ、海でも行ってみる?

俺達はバンドを一時中断し、3人で、海水浴・遊園地・おでん作りのバイト・と楽しそうなモノに流れるままに流されてみた。

ラジカセから敬愛するスタークラブの名曲『HELLO NEW PUNKS』が流れている。


ナニを本当にしたいかわからないまま

堕ちる自分を眺める時間はないはずさ


スピーカーからそんな言葉が流れているのも気づかない愚かな若竹。




デビューライブ(笑


電車に乗ってお出かけ(笑

右から金子・俺・ヒラノ・トガワくん

俺、頭にバンダナ巻いてるね・・・



子宮ガンの皆さん(笑

昭和ですな・・・







1989年・初春

高校3年生の終わり間際、初めてバンドを組んだ。
同年代の仲間は全くバンドに興味がなかった為、2コ下のヒラノという奴に声をかけパンクバンドを結成した。

高校生になってからパンクファッションに身を包み、パンクバンドのライブに足を運ぶ様になっていたが、自分のバンドを組んでいない俺はただのストレンジ・パンクだった。


俺はパンクROCKERになりたかったのだ。

やっとバンド生活が始まる!憧れのロッカーに一歩近づいたのだ。


念願のバンドを組んだ俺は『まずカッコイイバンド名が必要だ』という事で、ヒラノと思案した。
結果、さすがセンス・ゼロの高校生、親もビックリ仰天!


『ザ・スワッピング』


と命名。
もちろん二人とも、本当のスワッピング経験は無し。

あったらバンドなんかやってる場合じゃない。


しかし、バンドを組んだと言ってもメンバーは俺とヒラノしかいない。俺がギターでヒラノがヴォーカル。あとはベースとドラムが必要だ。


俺達は、雑誌・『バンドやろうぜ!』とパンクマガジン『DOLL』を買って、ジョナサンへ向かった。別に自宅でも良かったのだが、『雰囲気が大切』というバンド初心者らしい理由でファミレスへ向かったのだ。

そして、座席に着くなり、高校生のくせにタバコをふかし、雑誌のメンバー募集欄に目を通した。


イイのがいねぇなぁ~、みんなビートパンクばっかだぜ。


あぁ、こっちもいねぇよ。


この際、ビートパンクの連中を無理やり誘っちゃうか?


二人とも、BOOWYやジュンスカ等も好きなくせに、生粋のパンクスを気取った発言を繰り返した。

そして、二人ともふだん家では絶対に飲まないコーヒーを注文し、また雑誌のメンバー募集欄に目を向け、タバコをふかした。


やっぱ、全然イイ奴いねぇなぁ~


そう言って俺は、視線を雑誌にロックオンしたたまま、タバコを灰皿でもみ消した。

俺は、この状況に自己陶酔していた。


これだよこれ!

こんな感じで、こんなセリフを吐いてみたかったのよ!

シヴイ表情でこんなことをやってみたかったのだよ!

これこそバンドマンだ!バッチリ決まった!


と。思ったその矢先。

ヒラノが突然、叫びだした。


おい!おい!おい!なにやってんの!


あ?なんだよ?


俺は雑誌から視線をそらし、ヒラノの顔をみた。


ひ!ひ!


あ?ひ・・・?


タバコ!タバコ!


あ?タバコ・・・? あ~!大変だー!!


テーブルに視線を移し、驚いた。

気取って、雑誌に目を向けたまま灰皿でタバコを消したつもりだったが、的は見事にハズレ。

テーブルでタバコをもみ消していたのだ。

恥ずかしかった・・・。

後輩の前でカッコつけてたら恥をかいた。

カッコつけるのも楽じゃねぇ。

しかし、経験値が1上がった(はず)



翌週。

ヒラノから、ある提案があった。

どうやら、ヒラノが高校に入学してから組んでいたバンドのメンバーが、またヒラノとバンドをやりたいと言っているらしい。パートはギターで、バリバリ弾けるとの事。年齢はヒラノの一つ上、つまり俺の一つ下。

そこで、そのギターを加入させ、俺はベースに変更してみるのはどうか?との事。


俺はギターは持っていたが、まったくギターが弾けなかった。

だってそりゃそうさ。俺、ギター買ってからの練習といったら、ビデオに撮っていたザ・モッズのライブ映像を観ながらメチャクチャにギターを掻き鳴らして、映像が終わると『よ~し、今日はこんぐらいにしとくか~』なんて事しかしてないもの。

だから、コードなんてもんも全然知らなかった。


ベースに変更か。それもいいかもな。つーか、そもそも断る理由がねぇ。


翌日、ヒラノがそのギタリストを連れてきた。

名前はトガワくんといった。長髪だったのでハードロッカーか?と思ったが、今はパンクに興味があるとの事。


そりゃいいね。つーか、こっちはバンド初心者だ断る理由がねぇ。


俺たちは結成記念と称し、飲めないビールを買い、当時建設途中であった葛西臨海公園に向かった。

今、思い返しても、なぜ建設途中の葛西臨海公園に行ったのかわからない・・・

しかも、なぜかアコースティックギターを持って行った。

なにか歌でも唄いながら行ったのだろうか・・・?

途中経過はすっかり忘れたが、俺達は確かに建設途中の葛西臨海公園に行った。

で、なんにもする事なくて、着いた途端にすぐ帰ってきたのを覚えている。


なにか、ハチャメチャに楽しい事がおこりそうな夜を期待していたのだろうが、現実は厳しい。

ただ長い距離を歩いただけの夜だった・・・。


しかし、この夜、メンバーが一人増えた。

それは、このバンドにとって大きな前進であった。


という事にしときたい。









1988年・1月

中学の後輩だったヒラノが、俺にこう言った。


進藤くん、俺もスタークラブのライブ連れてって。俺もパンクのライブ観てみたい。


ヒラノは俺の2コ下で、生意気にも中学で同級生とバンドを組み、ZIGGYやジュンスカ等のコピーバンドを組んでいたのだが、俺の影響でパンクロックに興味を持ち始めていた。

俺の家にやってきては、パンクのレコードをカセットテープにダビングし、パンクバンドが載っている雑誌を読み漁ってたもんである。

俺は、パンク仲間も居ないし、もちろんまだバンドなんか組めていない。

一人で心細く行くよりも仲間がいた方がいいに決まってる。断る理由は無かった。


よし、じゃあ、1月13日に豊島公会堂でスタークラブのライブがあるから行ってみっか?


そのライブは、タイトルは忘れたのだが、コンチネンタル・キッズ SHAMS ストラマーズ等のパンクバンドが多数出演する事となっていたので、カッペブラッドな俺達は期待に胸躍らせた。


ライブ当日。
俺達は、都営新宿線の船堀駅で待ち合わせた。
平野は自転車に乗ってやって来た。今日の平野のファッションは原宿で買ったボロボロの皮ジャンにブラックジーンズに安全靴。 中学生の初心者パンクスの精一杯のオシャレだ。
俺は『これなら取りあえず他の奴らにナメらんねぇだろ』と安心した。

とは言っても、俺も同じ様なカッコだった。あきらかに二人ともオシャレではないし、『おめーなんだそれ?パンクなのか?』とヤンキー連中に真顔で質問されてしまう程にストレンジな格好だった。


俺達は電車を乗り継ぎ池袋へ。


池袋駅から豊島公会堂への道のり、俺はパンクのライブでの注意事項を平野に教えてやった。

いいか、おまえの想像を超えるほどに人がいっぱい居るからよ、押しつぶされて苦しくなったらすぐに脱出しろよ。靴が脱げるかもしれねぇから靴のヒモはしっかりしめろよ。と。

すると、ヒラノは頷きながら皮ジャンのジッパーを下ろしはじめ、俺にTシャツが見える様に胸を突き出しこう言った。


進藤くん、これ昨日買ってきたんだけどコレってパンク?


あ?


ヒラノの着ているTシャツを凝視し、ぶったまげた。
俺はド頭に血が昇り、モノスゲェ勢いでヒラノを怒鳴りつけた。


バッキャロゥ!メタリカはパンクじゃネェーよ!!



ヒラノは困惑した顔で『え~違うの~?』等とほざいたが俺の耳には届きません。

聴こえてましたがシカトです。 俺はヒラノを路地裏に連れて行き言いました。


オメェなに考えてんだ?そんなの着てたらパンクスにぶっ殺されんぞ!! 脱げ! さあ脱げ! 今すぐ脱げ!


ヒラノは泣きそうな顔で言いました。


え~だって脱いだら下なんにも着てないから寒いよ~


俺は言いました。


ぶッ殺されるよりましだろ!!


ヒラノは冬の路地裏で裸にされ、そのまま素肌に皮ジャンを羽織った。

そして、手にメタリカのTシャツを持って豊島公会堂に向かった。ヒラノは唇を蒼くして震えていた。

その震えは、これからパンクのライブに行くんだ!という武者震いだったと解釈して頂ただければ幸いだ(笑

今ならメタリカのTシャツを着ていても、ぶっ殺される訳などないが、当時はぶっ殺すまではいかなくともかなりイジメられるか笑われる対象となっていたに違いない。そういう時代だったのだ(笑


その後、ヒラノはパンクロックに目覚め、1年後、俺と一緒にバンドを結成する事となる。

俺は、出来れば同級の奴か先輩とバンドを組みたかったのだが、贅沢は言ってられない。

そんな事よりも、やっと自分がバンドマンになれる事が嬉しかった。






1987年・新宿LOFT

Gジャンに肩パット(プロテクター)を装着し、原宿BL∀CKで買った変なパンツ。
足元はジムズインで購入した安全靴、ベルトは金物屋で仕入れた鎖!
胸元にはバッチリSIDチェーン。
スタークラブのGIGに初参戦するため、自分なりに精一杯努力したお洒落。
俺と同じ様なPUNXがいっぱい居るかと思うと胸が高鳴る。
早く行かなくちゃ!
履きなれない安全靴は走り辛いが気にしない。
走ると、SIDチェーンが胸にビタビタ当たって痛いが気にしない。
ベルト代わりの鎖が太股にビタビタ当たって痛くても、男は我慢。

現場に到着し驚愕。

みんな本当にお洒落じゃねぇの!
こんな格好してんの俺だけじゃん!

当時のスタークラブのライブに来る奴らは、ホントに皆イカスアニキ達だった。
あの人もこの人もカッコイイ!
そして彼・彼女達はみな友達同士で、各地から「おう、ひさしぶり!元気だったかよ!」等と聞こえてくる。
一方、俺はといえば、一人ぼっちのチンドン屋?
俺は自分のセンスの無さを呪いつつ、「俺もいつかはカッコイイ格好して皆と友達になりたいなぁ・・・」と思っていた。
うん、思い出したら自分が惨めで泣けてきた。

居心地の悪いまま開場を待つ事30分。
「整理番号30番までの方、入場ど~ぞ~」
コソコソと中に入ると「当日券の方はまだです」とピシャリ。
なるほど、そうゆうシステムなのか。
更に待つ事30分、やっとLOFTの中へ。
薄暗い階段を下り場内へ、そしてまた驚愕。

うわ~こんなに人が居るのかよ・・・。

いくらか人口密度の低い場所をみつけ移動。
しかしソコはドリンクカウンターだったので、次から次へと人がやって来る。
ここでもまた「なるほど、そうゆうシステムか」と経験値をUP。
喉は乾いて無かったがオレンジドリンクを飲んでみたりして・・・。
旧LOFTのオレンジドリンクは懐かしい味がした。

やっと憧れのスタークラブが生で観れる!
ヒカゲ・ルー・キョウジ・タツヤ!
早く始らネェかなぁ・・・。

突然、フロアーの電気が消え、不気味な音楽が!
スタークラブの定番SE「時計仕掛けのオレンジ」だ(当時はなんの曲か知らなかった)
早くも客のボルテージはMAX!
後ろから押し寄せる人の波に飲み込まれ、気が付けば俺もフロアーの中心に居た。
周りは人!人!人!
いや、違う。
まさにPUNK!PUNK!PUNK!(笑)

出て来い!ヒカゲェェエエ!!

各地から怒声・罵声が飛び出してくる。
なんだか怖くなってきたので後ろに逃げ出したかったが、この場所から脱出する事さえも至難のワザ。
俺、無事に帰れるのか・・・?
ふと、ステージの右側を見ると人影が。

あ!ルーだ!!

そして畳み掛けるようなドラムが鳴り出した。
一曲目はインストナンバー・ダブルトラブル。
物凄い人の波になんとか必死にしがみつき、メンバー全員の姿を見ようともがく。

あれ!?ベースがキョウジじゃない!
メンバー変わったの!?

新しいベーシストはシド・ビシャスそっくりのイカス兄貴だった。
そしてドラムも変わっていた、新しいドラマーは気違いヤンキーみたいだ!(失礼)
ちなみに旧ドラマーのタツヤは、その後ブランキージェットシティに加入した事は日本の常識。

ダブルトラブルが終わり、バスドラの音だけが響きわたる。
照明で真っ白に光ったステージ中央にシルエットが浮かび上がり、次の曲アタックソングへ。

ヒカゲだ!ホンモノのヒカゲが目の前にいる!!

ヒカゲと俺との距離は直線にして僅か2メートル。
フロアーは突き上げた拳とダイブの嵐、俺はヒカゲに触れたくて必死に前に行こうとするが、マジ無理!!
何度も意識が遠のきそうになる。

これがPUNKのライブってやつなのか・・・凄ぇ!
満身創痍と成り果てたが、心は充実。

この日のライブは新譜「グラウンドゼロ」と3rdアルバム「ファイナルカウント」からの選曲が多かった。
この頃のスタークラブは、スタークラブの歴史の中で最もメッセージ性の強い曲が多く作られた時代でもある。
一部の雑誌やファンからはメジャーデビュー当時と比べて、トーンダウンしたとも言われていたが、「グラウンドゼロ」は俺の中ではかなりの名盤である。

アンチ・スタークラブの人や、あまり聴いた事の無い人のスタークラブのイメージと言えば、「ダミ声でパンクパンク俺はパンク!等とマヌケな唄うたってる奴等」といった感じであると思うが、あれは一般的に浸透しているスタークラブのイメージに対するヒカゲ流の洒落。
捨て猫や傷ついた少女を唄った「アニマルアウシュヴィッツ」・「Xmsモーニング」と悲しくもロマンチックな歌詞を作る一面もあるのだ。
俺なんか今でもこの2曲聴いたら、そりゃもう涙ものよ(笑)
ヒカゲは作詞家としても、もっと評価されてもイイはずだ。

この日を境に、スタークラブのライブには度々行く様になった。
新宿LOFT・横浜7thアベニュー・有明MZA・インクスティック芝浦etc
どのライブも思い出深い・・・。
通算で5年間スタークラブのライブに通い続けたが、結局、当初憧れた「ライブで他の人達と友達になる」という夢は叶う事は無かった。
いつも1人か2~3人で寂しくライブに参戦したもんである。







バンドというものに興味を持ったのは、1981年の秋。俺が小学校5年生の頃だった。

TVから突如流れてきたメロディに心をガシッ!と鷲掴みされた。

それは、当時、「サマーツアーコンサート」と銘打ったRCサクセションのコンサートCMだった。


サマーツアー OH OH

ダンスの続き踊ろうよベィベ~♪


このフレーズが、ナゼか俺の心をわくわくさせた。

なんかいいな。俺、この曲好きだな。もっと聞いてみたい。


しばらくすると、友達からRCサクセションの曲が入ったカセットテープを貰い、毎晩聴いた。

曲を聴きながら、RCサクセションってどんなバンドなんだろう・・・?もっと聴いてみたいし、動いてるとこも観てみたいなぁ・・・等と考えていた。


チャンスはすぐに到来。

友達の家で遊んでいると、突然、テレビからRCサクセションの曲が流れてきた。

あ!RCだ!! 俺は狂喜乱舞した。


俺もこんな事してみてぇ


興奮冷めやらぬ俺は、家の近所にあったフイルム工場の廃墟に忍び込み、大声でRCの唄を叫び、散乱しているフイルムを体にまとい踊り狂った。

友達はあきれた顔で見ていたが、俺にとっては、このコンサートごっこは大変楽しいものだった。


中学生になったらバンドをやろう!

そう決意した少年は、中学生になるとキョンキョンこと小泉今日子にZOKKONとなり、バンドをやる事などすっかり忘れ、中学2年生まで夕焼けニャンニャンとルパン三世の再放送を観るだけの放課後を送る事となる。


しかし、ある音楽というか、ファッションが俺の心に再び火をつける事となる。


その名は『PUNK』。

俺の、間違いと勘違いと屈辱だらけの青春の始まりだった。


そもそも、パンクロックに興味を持つ様になったのは、中学生の頃に購読していた「少年サンデー」にロンドン特集なるモノが掲載されていたのを読んだからである。
その記事にはパンクスの写真の横に「ロンドンのパンクスは澄んだ目をしている」と書かれていた。
今なら「アホか!」と思うトコであるが、当時から自己顕示欲が強かった俺は「これだ!これが俺の求めていたスタイルだ!」と勘違い。

当時の俺としては思想とか音楽は二の次、お金もセンスも無いので皮ジャンを羽織り「これが俺のパンクスタイル!」と言えば毎日同じ格好で通用するからイイなぁ~という発想だった。

しかし、前途は多難。
中学生が皮ジャンなんか持っているはずも無く、お金も無い・・・。
高校生になってやっと皮ジャンを買うまでは、ジャスコで買ったトレーナーを破って着てみたりその上に過激な文字を書いた布を貼ってみたりとストレンジ街道まっしぐらであった。
思い出す度に顔から愚蓮の炎が吹き出そうになる。

カッコばかりじゃナメラレル。
やっぱ過激なロックも聴きたいゼ!と兄貴の友達から「HARD CORE PUNX」と書かれたカセットを借りたのがパンクロック初体験。 当時、俺、中学3年生。

このカセットには博多のハードコア「GAI」の1stデモ「エクスターミネーション」と姫路のハードコア「メリーゴーランド」のソノシートの音源等が入っていた。
最初聴いた時は「なんだかシャーシャーした音だな・・・」と物足りない気持ちにさせられた。
俺のイメージしたパンクロックとは違う・・・と。
しかし、他に情報も無いので中学生の頃は漫画「TO-Y」の日比谷野外音楽堂でのライブシーン「帝王切開」を見ながらこのテープと「ウィラード」のテープを聴きまくっていた。
TO-Yは色んな意味で間違いのバイブルだった。

高校生になりバイトを始め、金銭的に余裕が出来てくると自分でもパンクのレコードを買う様になった。
初めて自分で買ったパンクのレコードはスワンキーズというバンドの「ネオダメージ」と極楽蝶というバンドのソノシート。
これもまた当時は「なんか違うんだよなぁ・・・」って感じで、買ったけどあまり聴かなかった。
でも友達の前では「キミらはBOOWYしか聴かないだろうけど、俺はこんなのも聴くんだぜ!」と見栄を張っていたのだ。 愚か者である。

もっとモノホンのパンクスになりたいぜ!
毎月、宝島・DOLL・フールズメイトを購読しパンクロックを活字で勉強。
結果、聴いた事は無いけどバンド名は知ってるという具合になり、「いつかは全部聴かなければ・・・」と勝手に焦っていた。

ちょうどその頃、レコードレンタル友&愛にスターリンの「STOP JAP」とスタークラブの「PUNK! PUNK! PUNK!」が置いてある事に気付き、どちらも未聴だったのでどっちを借りるか迷ったが、「スタークラブはオッサン臭い」という理由でスターリンを借りた。
家に帰り、レコードに針を落とす。
スピーカーから飛び出した音に衝撃を受けた。

これだ!これが俺のイメージしていたパンクロックだ!

俺の興奮は絶頂。
島村楽器・西葛西ジャスコ支店の店員に半分騙されて購入したフェルナンデスのストラトキャスターを掴み、デタラメな旋律を奏で絶叫した。
マイルームでのワンマンGIGを終えた俺は、興奮が冷めぬうちにまた友&愛に向かい、今度はスタークラブの「PUNK! PUNK! PUNK!」を借りてきた。
こんな事になるなら最初から二つとも借りれば良かったのだが、アホだからしょうがない。

家に戻り、レコードに針を落とす。
スピーカーから飛び出した音に衝撃を受けた。

あぎゃー!こっちだ!
こっちの方が俺の求めていた真のパンクロックだ!!

これが、日本のパンクロックの名盤と誉れ高いザ・スタークラブの2ndアルバム「PUNK!PUNK!PUNK!」との出会いであった。
この日から俺のハートはスタークラブのヴォーカル・HIKAGEにゾッコン。
まさに、「ベイベェ~街で見掛けて~俺はお前に一目惚れ~♪」である。

あ、違う。
最初はスターリン借りたもんな・・・。
じゃ、あれだ、好きになった娘の友達に恋の相談してたら、そっちの友達方の事が好きになっちゃったみたいな感じ?
いや、やっぱ違う。
大体こんなのは「最初からヤレりゃあどっちでも良かったんだろ!?」って感じだもんな。
俺のスタークラブに対する想いはそんなもんじゃネェ!(ハズ)

ま、それは置いといて。

数ヵ月後。
深夜にボケーっとテレビを観ていたら、突然ブラウン管にザ・スタークラブが登場!
動くスタークラブを観るのは初めてだ。

なんだよー!チョーカッコイイぜ!!

曲のタイトルは「RED ZONE」

そしてこのPVが流れてた番組は、唄う天気予報(笑)


これは実際にライブに行かなきゃならねぇな!
パンク仲間が居ないので、ライブに行くにはどうしたらイイのかさえ分からなかった俺だが、このPVを観てからライブに足を運ぶ様になった。
1987年・新宿LOFT、初めて生で観たスタークラブは俺にとって本当にスターの集まりだった。

俺も彼らの様に輝きたい!