Foolに新しい仲間が増えました!
太田鷹平氏。
最初は
太田さん
↓
オオタニアン
↓
…本名より長くない!?
ということで
ニアン
↓
にゃん
になりました。
にゃんは冷静に物事を把握して、
本人は営業が苦手っていってるけど、決してそんなことはないよ。
自分の得意分野を分かってて、やるべきことを知っている。
もっときっちりきっちりしてて、厳しくて…
って思ってたけど、凄く優しくて、気遣ってくれて。
凄い勢いで成長している大切な仲間。
よろしくね。
一緒に幸せになって、日本を変えていこう。
Foolに新しい仲間が増えました!
太田鷹平氏。
最初は
太田さん
↓
オオタニアン
↓
…本名より長くない!?
ということで
ニアン
↓
にゃん
になりました。
にゃんは冷静に物事を把握して、
本人は営業が苦手っていってるけど、決してそんなことはないよ。
自分の得意分野を分かってて、やるべきことを知っている。
もっときっちりきっちりしてて、厳しくて…
って思ってたけど、凄く優しくて、気遣ってくれて。
凄い勢いで成長している大切な仲間。
よろしくね。
一緒に幸せになって、日本を変えていこう。
Ⅱ
幸せなことに、私は学ぶことに対して無数の選択肢を持っていた。
史学か?
文学か?
いいや、私はこの「美しい」という思いを守る為に自分自身に技術が欲しかった。
文化への、文化を作り上げた先人達への感謝の念を表したかった。
「文化財の保存修復に関わりたい。」
私にとってそれはごく自然な選択であり当然の成り行きだった。
「勉強するために大学へ行きたい。」
それが分かった時は何の為の努力か理解できていなかった勉強や、学年が上がるにつれて「将来の夢を持ちなさい」という言葉の重荷がすっと軽くなり、「どうせ叶わない夢なんかみても仕方がない」という自己欺瞞から解放された。
それに気づいたのは高校2年生も終わりの2月のことだった。
自分のやりたいことにぴったりはまる学校を探した。
考古学とは少し違う。史学科でもない。
「藤原先生」
「ん?」
「私ここの大学行こうと思う。」
「京都造形芸術大学…オープンキャンパスとかいってみたん?」
「行きました。」
「そうか―うん。自分が惚れた学校に行けばいい。お前が自分で調べて、納得のいく大学なんやろ?」
「―はい。」
【「あー大学から出てる宿題やらなきゃ…。」
「何が出てるん?」
「あ、先生…『自分史を作れ』っていう宿題。」
「なるほど。うん。一番史料がしっかりしてる歴史やもんな。」
「そういうことか…」
「自分の持ってる史料を如何にうまく組み立てられるかが試されてるんやん。」
他人の自分史なんて読んで何が楽しいんだろう…とかそんな小さな次元ではないのだ。そうと分かれば話は早い。】
「…つまり君は京都造形芸術大学という大学以外は一校も受けないと?」
学年の森嶋先生という先生に進路相談をしたときのことだ。
「そうです。それ以外にたとえ受かったとしても行きません。
私の行くべき学校はここだけです。」
納得しない先生に向かって私は自分の考えていることを全て話した。
「森嶋先生」
なぜこの大学がいいのか。
この先何がしたいのか。
「他の大学が嫌だからとかそういう消極的な理由ではなくて、積極的なそれでこの大学でなければだめなんです。」
次の日の晩に先生がメールを下さった。
『森さんへ
昨日はおつかれさまでした。
日本史探求への思いが「美しさに対する畏敬の念」「先人たちへの感謝の念」に根ざしているという君のことばに私は「畏敬の念」を感じました。
僕が高3のときにはもちろんのこと、世のたいていの高3生は君ほどはっきりと目標を定めていないでしょう。それだけに君の発言には迫力を感じたし、生きる目標をすでに確かに見出している君は尊敬に値します。
「文化財の保存・修復の仕事」は大切な仕事ですが、とても地味で他の人から直接感謝されることは少ない仕事のように見えます。うまくできて当たり前、うまくいかなかったら、つい二日ほど前に新聞に載っていた「高松塚古墳」の壁画の話のように、ひどく批判されます。
多くの職業において、悪い言葉でいうと「虚栄心」「功名心」「名誉欲」「高い給料」につられて人が集まる面があります。
君のしたい仕事は、そのような「見返り」のあまり期待できない仕事。それだけに確固たる信念、そして、この仕事をする「喜び」が他者のほめ言葉によってでなく、自分の中から沸きあがってくる人でないとできないと思うのです。
君のような人にこの仕事をやってもらえたら、きっとすばらしい成果が上がると思う。がんばってほしい。
入試の準備は急いで始めていきましょう。やることはたくさんありますよ。』
比べたわけじゃないけれど、文化に対する思いでは他の高3に負けるつもりはない。
味方もたくさんいる。励ましてくれたたくさんの友達、先生。
そして家族。
たくさんの人の応援があり入学試験を受けた3日間、本当に楽しかった。
何より、同じようなことを考えている人がたくさんいることが嬉しかった。皆少しずつ方向は違ってもしっかり考えをもっている。
友達だってたくさんできたし、交換する知識はどれも新鮮なものだった。
「古美術~。矢立とか。」
「僕は仏像を専門にやりたい。」
「私は民具やなあ。農具とかめっちゃ好き。」
「え、唐箕とか?」
「大好き!森さんは?」
「私は…」
私は…
「古文書。紙の保存修復の技師になりたい。」
【藤原先生が教えてくださった古文書。
世間は、それこそ先生だって「そこらの女子高生がたまたまハマっただけ」って思われてるかもしれません。
でも、私の人生を確かなものにしてくださった先生への感謝の気持ちに比べれば、技術をつけて、自分の手で守れるようになるまでこの身、全てをもってしても到底足りません。】
【先生を通して見る「日本」はとても綺麗でした。】
合格通知が来たときは「受かった!」という喜びよりも、
「私の考えていることが大学に認められた!」
という思いが先行した。
私の歩いてきた道のりは合っている。
よし、これでまた一歩進める。
自分が本当にやりたいことを実現できる場所ができた。
ただ文化財の勉強をする為にだけにこの大学に行くわけじゃない。
あの日の授業を境に、私には使命ができた。
「この感動を皆にも伝えたい。」
Ⅰ
「もずっちゃん、進路どうする?」
「まださっぱり。ああ~ヤバいなあ~。」
「うちもまだ決まってへん。うちらまだ高校生になったばっかりやで…いきなり決めろなんて無理やし。」
「そうやんな…高2の選択授業決めろとか早すぎやわ…。あー私カタカナ無理やから地歴選択は日本史でいいや。」
「適当やなあ」
高校生になった私達に自分の未来が圧し掛かるのは辛い。
何故なら今までは親が全て決めていてくれたから。
将来の夢?
人生って?
何がしたいんだろ…。
「ゆかちゃんはどうすんの?将来。」
「ゆかは小学校の先生になる。もうずっと前から決めてあんねん。」
「そっか…いいなあ。将来の夢がある人は。進路の紙にも自信持って書けるやん。ううーどおしよ。」
よっぱど何か才能があるか、自分のしたいことがある子はいい。
でもたいていの高校生はまず悩む。
「進路、どうしよう…」
私だってそう。
友達と騒いで、テレビを見て、テスト前に焦って勉強して…の繰り返し。
皆と同じが一番安心。
繰り返しのくせに、不安定で、繰り返しのくせに不透明。
勉強普通。運動普通。全てにおいて標準値。
授業を受けるたびに不安になる。
「これってなんの為の勉強なんだろう…」
私は何がやりたいんだろう…
何か、人とは違うことをやらなきゃ、私という人格が自分以外に出る前に埋もれてしまう。
焦っていても日常は何気なく送っているふり。
「私、日本史セミナーもとるわ。」
「…は?またおもろいこというなあ…。
よく考えや?セミナーとか高3の先輩が殆どやねんで?
高2からセミナーとるなんてよっぽどの天才か物好きだけやし。しんどいだけやって…。」
「いい。決めた。日本史セミナーとる。」
私の通っていた学校には「セミナー」という授業がある。
2時間打ち抜きの授業というだけでなく、高2、高3の学年の壁を取っ払って行われる変わった授業だ。
高3は「後輩に成績抜かれて堪るか」と触発され、高2は己の未熟さに必死に勉強しようとする。
実際私もかなり苦労した。
先輩に囲まれて授業を受け、未修部分の予習、宿題、復習だけで1週間が潰れる。
「…誰これ…知ってるとか知らんとか以前に読めへんし…。」
「将軍の名前なんて全部一緒やん!」
「軍部大臣ぶ…げ、現役武官制!?」
毎日毎日、日本史日本史。
気まぐれで選択したのを後悔した。
「藤原先生~。もう無理や。先輩ら賢すぎやもん。」
「まだ高2の授業進んでないとこやもんなあ。
プリントあげるから頑張ってき。
先輩らが授業打ち切りになったら明治から授業したるわ。」
このときはまだ気付いていなかった。
辛いと思っていた授業をなんとかこなしていたこと。
テストで先輩達の平均点を超えていたこと。
「もずっちゃんって本当に日本史好きだよね~」と言われていたこと。
日本史の授業を受けるたびにドキドキしていたこと。
「―この世にこんな素晴らしいものがあるのか。」
本当の衝撃を受けたのは薬師寺の東塔を見たとき。
実物を見た時初めて「凍れる音楽」という異称の意味を心底理解することができた。
規則正しい中にも躍動感があふれていて、尚、気高く、そしてその味にまとった空気は遥か太古の時代を彷彿させる。
その気持ちは当事の人も感じたであろうそれとシンクロするような錯覚に見舞われる。
そんな塔を手前に見る背景はどこまでも続いている。
周りの空気は冷たいのに、体は熱い。心拍数は速い。
なんだっけ?
この感じ。
静夜思を読んだときに似ている。
ニュージーランドで夕日を見たときに似ている。
雨上がりに出来た虹を見たとき、大好きな本を読んでいる時間。
知っているのに、分からない。
これは…
【あの頃は毎日すごい勢いで成長していた。
しっかり物事を考えて、階段を一段ずつ確実に上がっていっていた。
「私」の出来上がる準備をこなしていた。】
「藤原先生~来ました~授業やりましょー。」
「おー、今日は…古文書でもやろうか?」
「こもんじょ?何ですかそれ。明治は?」
どうせこの時間は、私一人しかいない。先輩の授業はもうない。
先生もたまには気休めに…と思ったのだろう。
「まあまあ、一回ぐらい遊んでもええやんか。これは『宗旨人別帳』っていってな…ほら、この字はなんや?」
「え…だから何それ…そんないきなり…『生』?」
「おーそうそう、次」
「こんな字知りません。」
「よー見てんな…。これがこうなって、こう…」
「あ!『国』や!先生『国』でしょう?」
「そうや、そうそう!」
「これは…『武』?」
「調子出てきたやん。」
「ほめられたはいいけどもう早わからへん…」
「これは『州』」
「『生国武州』?どういうことですか?」
「『武州』は『武蔵国』ってことやねん。だからこの人は武蔵国の生まれですよーってこと。」
「すごい…―――先生これ…」
この後、私の集中力は2時間、途切れることはなかった。
古文書自体には初めて会ったのに、私の感想は「面白かった」ではなく、「これで合っている」だった。
【私のやるべきことはこれで合っている。】
その時だった。
『美しい』
という感情が堰を切ったように溢れ出した。鳥肌が立ち、頭の中でいままでの記憶が騒ぎだした。
「先生これ――めっちゃ綺麗…」
綺麗?
古文書が?
え、日本史?
何が?
鼓動が早い。
ニューメディア教室の風景がなんだかおかしい。
フィルターがかかったみたいにぼんやりしている。
自分一人が固定されて周りの風景がどんどん後ろに流れていく。
その日の授業が終わってからどうやって家にたどり着いたかなんて覚えていない。
それでも頭の中は冴えていて、すごい速さで情報処理をしていた。
答えを出すのに時間はかからなかった。
もう答は既に知っている。
私の中にある。
そう、これは美しさに対する畏敬の念なのだ。
日本史をするたびにドキドキしたのは、先人たちが私たちのために残してくれた美しい世界を、ページをめくるたびにこの背中に背負っていっているからなのだ。
それだけじゃない。
次の時代を作っていくのは、美しい世界を残せるのは私達だ!
【この世界は総ての延長だ。】
それでいいのだと納得したとき、一筋の光が自分自身の倫理の中に射られた。
それからだ、本当に世の中が美しく輝いて見え出したのは。
生きていることに対しての感謝と、涙が出るほどの愛おしさを覚えたのは。
つまり、ここからが私の本当の「歴史」の始まりである。
「私が私」、と誇ることのできる本当のスタートだ。