Ⅰ
「もずっちゃん、進路どうする?」
「まださっぱり。ああ~ヤバいなあ~。」
「うちもまだ決まってへん。うちらまだ高校生になったばっかりやで…いきなり決めろなんて無理やし。」
「そうやんな…高2の選択授業決めろとか早すぎやわ…。あー私カタカナ無理やから地歴選択は日本史でいいや。」
「適当やなあ」
高校生になった私達に自分の未来が圧し掛かるのは辛い。
何故なら今までは親が全て決めていてくれたから。
将来の夢?
人生って?
何がしたいんだろ…。
「ゆかちゃんはどうすんの?将来。」
「ゆかは小学校の先生になる。もうずっと前から決めてあんねん。」
「そっか…いいなあ。将来の夢がある人は。進路の紙にも自信持って書けるやん。ううーどおしよ。」
よっぱど何か才能があるか、自分のしたいことがある子はいい。
でもたいていの高校生はまず悩む。
「進路、どうしよう…」
私だってそう。
友達と騒いで、テレビを見て、テスト前に焦って勉強して…の繰り返し。
皆と同じが一番安心。
繰り返しのくせに、不安定で、繰り返しのくせに不透明。
勉強普通。運動普通。全てにおいて標準値。
授業を受けるたびに不安になる。
「これってなんの為の勉強なんだろう…」
私は何がやりたいんだろう…
何か、人とは違うことをやらなきゃ、私という人格が自分以外に出る前に埋もれてしまう。
焦っていても日常は何気なく送っているふり。
「私、日本史セミナーもとるわ。」
「…は?またおもろいこというなあ…。
よく考えや?セミナーとか高3の先輩が殆どやねんで?
高2からセミナーとるなんてよっぽどの天才か物好きだけやし。しんどいだけやって…。」
「いい。決めた。日本史セミナーとる。」
私の通っていた学校には「セミナー」という授業がある。
2時間打ち抜きの授業というだけでなく、高2、高3の学年の壁を取っ払って行われる変わった授業だ。
高3は「後輩に成績抜かれて堪るか」と触発され、高2は己の未熟さに必死に勉強しようとする。
実際私もかなり苦労した。
先輩に囲まれて授業を受け、未修部分の予習、宿題、復習だけで1週間が潰れる。
「…誰これ…知ってるとか知らんとか以前に読めへんし…。」
「将軍の名前なんて全部一緒やん!」
「軍部大臣ぶ…げ、現役武官制!?」
毎日毎日、日本史日本史。
気まぐれで選択したのを後悔した。
「藤原先生~。もう無理や。先輩ら賢すぎやもん。」
「まだ高2の授業進んでないとこやもんなあ。
プリントあげるから頑張ってき。
先輩らが授業打ち切りになったら明治から授業したるわ。」
このときはまだ気付いていなかった。
辛いと思っていた授業をなんとかこなしていたこと。
テストで先輩達の平均点を超えていたこと。
「もずっちゃんって本当に日本史好きだよね~」と言われていたこと。
日本史の授業を受けるたびにドキドキしていたこと。
「―この世にこんな素晴らしいものがあるのか。」
本当の衝撃を受けたのは薬師寺の東塔を見たとき。
実物を見た時初めて「凍れる音楽」という異称の意味を心底理解することができた。
規則正しい中にも躍動感があふれていて、尚、気高く、そしてその味にまとった空気は遥か太古の時代を彷彿させる。
その気持ちは当事の人も感じたであろうそれとシンクロするような錯覚に見舞われる。
そんな塔を手前に見る背景はどこまでも続いている。
周りの空気は冷たいのに、体は熱い。心拍数は速い。
なんだっけ?
この感じ。
静夜思を読んだときに似ている。
ニュージーランドで夕日を見たときに似ている。
雨上がりに出来た虹を見たとき、大好きな本を読んでいる時間。
知っているのに、分からない。
これは…
【あの頃は毎日すごい勢いで成長していた。
しっかり物事を考えて、階段を一段ずつ確実に上がっていっていた。
「私」の出来上がる準備をこなしていた。】
「藤原先生~来ました~授業やりましょー。」
「おー、今日は…古文書でもやろうか?」
「こもんじょ?何ですかそれ。明治は?」
どうせこの時間は、私一人しかいない。先輩の授業はもうない。
先生もたまには気休めに…と思ったのだろう。
「まあまあ、一回ぐらい遊んでもええやんか。これは『宗旨人別帳』っていってな…ほら、この字はなんや?」
「え…だから何それ…そんないきなり…『生』?」
「おーそうそう、次」
「こんな字知りません。」
「よー見てんな…。これがこうなって、こう…」
「あ!『国』や!先生『国』でしょう?」
「そうや、そうそう!」
「これは…『武』?」
「調子出てきたやん。」
「ほめられたはいいけどもう早わからへん…」
「これは『州』」
「『生国武州』?どういうことですか?」
「『武州』は『武蔵国』ってことやねん。だからこの人は武蔵国の生まれですよーってこと。」
「すごい…―――先生これ…」
この後、私の集中力は2時間、途切れることはなかった。
古文書自体には初めて会ったのに、私の感想は「面白かった」ではなく、「これで合っている」だった。
【私のやるべきことはこれで合っている。】
その時だった。
『美しい』
という感情が堰を切ったように溢れ出した。鳥肌が立ち、頭の中でいままでの記憶が騒ぎだした。
「先生これ――めっちゃ綺麗…」
綺麗?
古文書が?
え、日本史?
何が?
鼓動が早い。
ニューメディア教室の風景がなんだかおかしい。
フィルターがかかったみたいにぼんやりしている。
自分一人が固定されて周りの風景がどんどん後ろに流れていく。
その日の授業が終わってからどうやって家にたどり着いたかなんて覚えていない。
それでも頭の中は冴えていて、すごい速さで情報処理をしていた。
答えを出すのに時間はかからなかった。
もう答は既に知っている。
私の中にある。
そう、これは美しさに対する畏敬の念なのだ。
日本史をするたびにドキドキしたのは、先人たちが私たちのために残してくれた美しい世界を、ページをめくるたびにこの背中に背負っていっているからなのだ。
それだけじゃない。
次の時代を作っていくのは、美しい世界を残せるのは私達だ!
【この世界は総ての延長だ。】
それでいいのだと納得したとき、一筋の光が自分自身の倫理の中に射られた。
それからだ、本当に世の中が美しく輝いて見え出したのは。
生きていることに対しての感謝と、涙が出るほどの愛おしさを覚えたのは。
つまり、ここからが私の本当の「歴史」の始まりである。
「私が私」、と誇ることのできる本当のスタートだ。