2月22日からの2泊3日の墳活一人旅。
6月16日にアップした橋本市の隅田八幡宮古墳で予定していた和歌山県内の古墳をすべて訪問。
帰りの飛行機までけっこう時間があるので、奈良県を目指すことにしました。
せっかく奈良県の古墳を見るのなら大きな古墳を見たいということで御所市の室宮山古墳へ行くことに。
↑国土地理院の航空写真(赤い文字はふっき~が加筆)
室宮山(むろみややま)古墳は墳長238メートル、全国18位の規模。宮内庁治定陵墓ではないので墳丘に登れるのです
↑墳丘北側の様子
左側が「後円」部、右側が「前方」部の前方後円墳。
場所はこちら: 34.442961, 135.733620
↑「後円」部の東端あたりにある(室)宮山古墳の解説板
↑墳丘東側にある、まるで宮内庁治定陵墓の拝所のような八幡神社
↑八幡神社の由緒には第6代孝安天皇の室秋津宮が近くにあったことと、(室)宮山古墳に武内宿禰が葬られていると、2つの伝承についての記載があります。
※被葬者については武内宿禰の子、葛城襲津彦(かずらきのそつひこ)という説もあります。
↑八幡神社境内の左手、鳥居から墳丘に登れます
↑ここから登って行きます。
↑キレイにされています
↑「後円」部墳頂の様子
2基の主体部を取り囲むように多くの埴輪が設置されていたことが判明しています。靫形(ゆぎがた)埴輪のレプリカ→高さ1.43メートルの実物大。
※靫(ゆぎ):矢を入れる筒。
↑南側の竪穴式石室、石棺を覗くことができます
1950年に盗掘を受けたため、その年に緊急調査が行われました。石室内から勾玉、管玉、琴柱形石製品、刀剣11口、革綴短甲残片、鏡破片などが見つかっています。
↑組合式長持形石棺
長さ3.5メートル、縄掛突起を含めると3.77メートル。
↑石棺内部の様子
全面的に朱が塗られていた石棺。まだ「朱」が残ってますね
↑こちらが北側の竪穴式石室
縄掛突起が見えます
こちらの石室は未調査ですが、1998年の台風の際の倒木により、倒れた木の根元を調査、陶質土器4点が見つかっています。朝鮮半島(伽耶地域)伝来の可能性大。
↑「後円」部から見た「前方」部方向
「前方」部には近寄ることができませんね
「前方」部に2基、南北それぞれの「造出し」にも1基ずつ主体部があると想定されています。
大きな長持形石棺、見ると感動しますよ。オススメです