2月24日に訪れた和歌山県橋本市の古墳、続きです
今日アップする隅田八幡宮古墳へは隅田八幡神社西駐車場からアプローチします。
↑駐車場南西端の様子
ここから写真右のあぜ道を進んで行きます。
写真を撮った場所はこちら: 34.333043, 135.643862
↑あぜ道を進んですぐ。写真左手にある家の敷地の南端、写真中央の藪へ入って行くと古墳が見えてきます
↑隅田八幡宮古墳、西側の様子
直径約16メートル、7世紀前半築造の円墳。
まったく整備されていません
2月でこの藪状態だったので、夏とかに訪れたら辿り着けないかも
↑南側に横穴式石室が開口しています。
↑手前にドーンとあるのは扉石らしいです。
↑羨道から玄室の様子
羨道の長さ1.7メートル以上、幅1.4メートル、高さ1.3メートル。
↑玄室の様子
玄室の長さ3.3メートル、幅1.7メートル、高さ1.7メートル。
結晶片岩の切石積み。
全体が白っぽく写るのは、フラッシュのせいもありますが、漆喰の名残り。
↑玄室から振り返って
↑古墳を堪能したあとは隅田八幡神社へ
↑隅田八幡神社の拝殿
隅田八幡神社を訪れたかった理由は・・・・
↑隅田八幡神社人物画像鏡
写真はもちろん本物ではないです(笑)本物は東京国立博物館にあります。
日本史が好きだったり、日本史をちゃんと勉強したことがある人なら絶対知ってる隅田八幡神社人物画像鏡
この鏡がいつから神社にあるのかはハッキリしていません
↑「国宝 人物画像鏡」の解説板
この鏡には48文字が刻まれ、その中に「大王」という文字もあるんです
「大王」と銘されたものは現時点で3つだけ、1つは埼玉県の稲荷山古墳出土鉄剣、もう1つは熊本県の江田船山古墳出土大刀、それとこちらの隅田八幡神社人物画像鏡。
「癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時・・・・」
↑最初の癸未(みずのとひつじ)が2説、西暦443年もしくは西暦503年。
443年の場合
大王は第19代允恭天皇。皇后の兄弟に意富富杼王(おおほどのおおきみ)という人物がおり、鏡にある「男弟王」のことでは?という説。
503年説の場合
大王は第26代継体天皇。鏡にある「男弟王」は、男大迹王(をほどのおおきみ)と呼ぶという説(継体天皇の諱)。ただ、鏡にある「男弟」は当時、「をおど」と呼んでたはずなので一致しない!というのがこの説の弱点。
この2説を読んでるだけでもワクワクしますねー
そういえば慶應大学の受験問題で、隅田八幡神社人物画像鏡に関する設問があって、西暦443年と金石文にある「意柴沙加宮」を答えさせる・・という、やたらにマニアックな問題がありました予備校や塾に通ったりすると、「こんな問題が出るから勉強しろー」って焦らすんですよね。今後出題される可能性が低いものを覚えるよりは、むしろ基礎・基本をちゃんと勉強した方が絶対にいいはずなんですけどね
↑古代史マニアにはたまらない場所です