昨年末、3泊4日で訪れた岡山県墳活一人旅。今日から2日目(12月25日)に訪れた古墳をアップしていきます
↑到着したのは朝の7時10分頃宮内庁治定陵墓の中山茶臼山古墳。
古墳の場所はこちら: 34.666670, 133.854679
墳長105メートル、後円部長軸径68メートル、短軸径64メートル、後円部高さ11メートル、前方部長さ63メートル、前方部幅45メートル、2段築成、周溝なし、葺石・埴輪あり、3世紀後半~4世紀初頃築造?の前方後円墳。
↑拝所から墳丘は見えません
宮内庁から大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)と治定されています。
第7代孝霊天皇の皇子、吉備津彦命(きびつひこのみこと)が四道将軍として吉備を平定したと『古事記』、『日本書記』の両方に記述があります。
岡山県に残る伝承に「温羅」という鬼を討った吉備津彦命。その吉備津彦命の家臣に犬養縣主、猿女君、鵜飼臣。これが『桃太郎』のモチーフになっています。
↑拝所の近くに「国境石」があります。
古墳の東半分は備前、西半分が備中。
↑拝所から墳丘東側を進んで行くと「八徳寺 穴観音 奥の院」に辿り着きます。
↑穴観音と中山茶臼山古墳の「後円」部
(穴観音の解説板)主石と考えられる自然石(花崗岩)の正面を船形に彫り沈めて仏像を半内に現し、石の左側面には口径16センチ、深さ16センチ、底径4センチほどの穴が窺われるが、仏像も穴も現状が判らぬ程風化し痛みも烈しい。
昔からの言伝えで側面の穴に耳をあてると観音様のお声が聞こえると言う俗信仰があって、昔から縁日には参拝客が多い。
私見ではあるが、この岩石群は茶臼山古墳築造時(5世紀頃)からこの位置にあり、原始的祭祀行事の場と思われ、正面の仏像は観世音菩薩ではなく大日如来像である。
穴観音の解説板では築造時期が5世紀となってますね
↑スマホのパノラマ写真
左側が「前方」部、右側が「後円」部。
現地に行くとわかるのですが、かなりキレイに墳形が残っていますよ
ネットでよく見かける宮内庁治定の陵墓を発掘すべきだ!という意見。
このブログをずっと読んでる方はわかるでしょうが、発掘したところで、誰が葬られているのか?一切わからないんですけどね(笑)
あとは発掘をすると二度と元には戻らないんです
(↑これ!けっこう大事なこと!)
宮内庁と学者が「万系一世でないことが発覚するから、発掘させない」とか言う陰謀論まで見かけますが、ふっき~を含め古墳マニアや考古学マニアもたくさんいますから、そんな人の目まで誤魔化すことはできませんからねー(笑)
↑中山茶臼山古墳近くから撮った平野部
朝もやに霞んでいます