岡山県瀬戸内市長船町西須恵 築山古墳 | 古墳探訪記

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関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

昨年12月24日から3泊4日での岡山県墳活一人旅、初日の最後に訪れたのが瀬戸内市西須恵にある築山古墳ですニコニコ

 

↑築山古墳に隣接して「須恵古代館」があります。

開館日は土日祝だそうです。訪れたのは金曜なので、もちろん入れず(事前リサーチ済み)。

 

 

↑「須恵古代館」にあった「須恵器の里案内板」

当初の予定では案内板の右下にある古墳群も巡る予定でしたが、こちらに到着したのが午後5時あせる

この日の岡山県の日没時間は午後4時59分笑い泣き

断念せざるを得ませんチーン

 

 

↑築山古墳、北側の様子

左側が「前方」部、右側が「後円」部の前方後円墳。

場所はこちら: 34.679613, 134.137430

 

周囲は暗くなってましたが、デジカメってけっこう写るものですねびっくり

 

 

 

↑築山古墳

 この古墳は、北に延びた低い丘陵の端部を加工して造られた全長82メートルの前方後円墳です。前方部は東向きで幅66メートル、高さ約10メートル、後円部径38メートル、高さ9メートルを測ります。

 墳丘は二段築成で、各段の縁と墳丘の裾に円筒埴輪が巡っていたことが知られています。

 1907年、後円部中央の割り石小口積みの石室が掘られ、現在その上部は失われ家形石棺が露出しています。

 石棺が凝灰岩製で、これまで奈良県と大阪府の境の二上山産と推測されていましたが、最近の検討により熊本県の阿蘇山産と考えられています。

 遺物としては鏡のほか玉類、武具、馬具などが出土しており、現在東京国立博物館に収蔵されています。これらの遺物により、この古墳は5世紀後半から6世紀前半頃の築造と考えられています。

 

 

 

↑墳丘に登れますニヤリ

 

 

 

↑家形石棺

解説板では「阿蘇山産と考えられている」との表記ですが、その後の調査で「阿蘇山産(阿蘇ピンク石)」と確定したようです。

 

 

↑反対側からフラッシュにて撮影。

 

 

 

↑「後円」部から「前方」部方向

 

 

 

↑「前方」部上には小さな祠がありますお願い

 

 

 

↑「前方」部から「後円」部方向

 

 

 

↑築山古墳、南側の様子

左側が「後円」部、右奥が「前方」部。

 

 

 

 

オマケ・・・・

 

今回の岡山県墳活旅、岡山市内にあるビジネスホテルに3泊しました。

なにせ安いんですチョキ

朝食・夕食も付いて3泊4日で11,550円グッド!

 

DSC_0301.JPG

↑晩ごはん・・・・滝汗

うーん、かなり貧相でした。まー安いから仕方ないでしょうが笑い泣き

 

こちらのホテルでの食事は、この時だけにして、翌日の晩ごはんは外で食べることにしました口笛

 

ここのホテル、Wi-Fiも繋がらないんですよガーン今どき珍しい。