1月28日に訪れた富津市での古墳探訪、続きです
内房線青堀駅を出発向かったのは内裏塚古墳群の盟主墳となる内裏塚古墳です。
↑内裏塚古墳、東側より 写真中央は「後円」部
墳長が144メートルあるので、全体を入れて写真を撮るのが難しいですただの小山状態。可愛く言えばモフモフの古墳(笑)
↑青堀駅前にある『古墳の里 ふれあい館』で手に入れた「内裏塚古墳群マップ」の表紙の写真は内裏塚古墳。上空からの写真だと、前方後円墳ということがよくわかりますね
↑墳頂へ登れる階段入口には小さな狛犬
↑「後円」部墳頂にある「内裏塚」と刻まれた石碑、この石碑の台座は石室の天井石と推測されています。
竪穴式石室が2基、見つかっています。
↑「後円」部から「前方」部への眺め
↑「前方」部から「後円」部への眺め
↑「前方」部の西側裾、県道側にある解説板
墳長144メートル、「後円」部径80メートル、「後円」部高さ13メートル、「前方」部幅90メートル、「前方」部高さ11.5メートル、周濠を含めた全長は185メートル、5世紀中の頃築造の前方後円墳。墳丘形態は履中天皇陵に近似。履中天皇陵の5分の2のサイズ。
古墳の大きさとしては南関東最大。内裏塚古墳群の中で築造年代が一番古い古墳。
律令体制以前、この地域は須恵国。
初代の須恵国造、大布日意弥命(おおふひおみのみこと)が葬られているかもしれませんね(←ここは完全に個人的な意見)
↑内裏塚古墳、西側より 左奥が「後円」部、右手前が「前方」部
オマケ・・・・
ブログに、しばらく埴輪の破片が出てきてないので・・
↑馬形埴輪(レプリカ)の写真をアップしておきます(笑)
群馬県太田市富沢団地にて