12月21日に訪れた上里町にある帯刀古墳群の続きです
ちなみに「帯刀」という地名は源義賢(木曽義仲の父、源義朝の弟)の官職名から。
源義賢については、後日、ブログで取り上げます
↑帯刀古墳群007、南側より
墓地として削られていますが、かろうじて「古墳」というのがわかります。規模不明の円墳。
↑帯刀古墳群010、西側より
↑帯刀古墳群010、東側より
こちらも墓地として、大きく変形されています。直径約13.5メートルの円墳。
↑帯刀古墳群011、北西側より 右に写っているのは上越新幹線の高架。
↑帯刀古墳群011、北側より
こちらも封土上は墓地に。直径約12メートルの円墳。
オマケ・・・・
今月15日、インフルエンザA型になりゾフルーザという薬にお世話になりました。
一番恐れたのが家族内感染だったんですよね2番目の子(長女)が浪人生で19日・20日はセンター試験
もし娘に移してしまってセンター試験が散々だったら、間違いなく一生恨まれそうでした(笑)
現在になっても子どもたちは一人もインフルエンザを発症していません。本当に良かった