昨日は古墳マニアですら訪れていないような古墳を巡ってきました
実は、最近の千葉県の古墳巡り
そんなマニアの中でも、さらにマニアックな古墳に行ってます
今日もちょっと長いですよ
↑瓶塚(かめづか)古墳、南側より
直径約7メートル、高さ約2メートルの円墳(データは「ふさの国文化財ナビゲーション」より)
↑市原市今津朝山の春日神社境内にあります。 左手に瓶塚古墳、右手に春日神社社殿
↑春日神社の鳥居と拝殿
↑拝殿と右奥の本殿
春日神社なので、主神のうちの1神はタケミカヅチ。日本書記では「武甕雷男神」と書きます。
おそらく、古墳の名称の「瓶」は、タケミガヅチの「甕」が由来かな?
↑拝殿と瓶塚古墳
春日神社、タケミカヅチ・・・・すべて中臣氏由来のもの
耳面刀自(みみものとじ)媛でも詳しく書きましたが、中臣鎌足は鹿島出身と言われいます
中臣氏は蝦夷への最前線+物流の拠点として繁栄した一族なのでしょう。
↑墳頂には「富士浅間神社」の碑 富士塚として活用されています
墳丘横に建てられていた神社改築記念碑に書いてあることをまとめると・・・・
・・・・仁徳天皇の時代、蝦夷平定のために派遣された上毛野田道(かみつけののだち)が、この地で戦勝祈願。
のち、伊峙水門(いしのみと)で田道が戦死。この地の住民が手厚く塚に葬った。
蝦夷が再度襲来した際、蝦夷がこの塚を掘り起こしたが、大蛇が出てきて蝦夷に襲い掛かった・・・・
↑上毛野田道(ウィキペディアより)
内房にこんな伝説があるとは、驚きました
(通常、戦死した伊峙水門は現在の石巻と言われています)
春日神社の由来+上毛野田道の伝説→色んな想像ができますよね
やっぱり古代史とか古墳ってワクワクするなー
↑瓶塚古墳、北西側より
こじんまりとした古墳ですが、「歴史」の流れに思いふけるには最高の古墳です