本庄市児玉町入浅見(こだまちょういりあざみ) 金鑽神社古墳 | 古墳探訪記

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

明けましておめでとうございます。やはり新年1発目は初詣気分で神社古墳です。

↑金鑽(かなさな)神社古墳

現在の埼玉県北西部には金鑽神社がいくつかあります。式内社(延喜式神名帳←西暦927年にまとめられた神社一覧)の中には、児玉郡神川町の金鑽神社が載っています。名前の由来は砂鉄を意味する金砂(かなすな)が金鑽(かなさな)になったという説が有力。

 

 

 

↑直径約67メートル、高さ約7メートル、5世紀前半築造の円墳

 

 

 

↑社殿

御祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)、やはり御朱印とは無縁の神社。

武蔵七党の中でも最大の武士団、児玉党の支族「阿佐見(あさみ)」氏の居城がすぐ近くにあり、阿佐見実高(源頼朝が上洛する際の随兵の一人)が勧進した社。

 

 

 

↑社殿の前にある踏み石。おそらくは石室の一部。

昭和5年に墳丘南側が大きく削られ、現在の社殿が建てられたそうです。

 

 

 

↑社殿裏手の様子

 

 

 

↑墳頂より

昭和59年の調査で「格子タタキ技法」を用いて作られた円筒埴輪が発見されています。朝鮮半島の土器や初期の頃の須恵器で見られる技法。渡来人が関わっていたのかもしれません。

 

 

 

↑金鑽神社古墳 東側より