アーツ・アンド・クラフツ運動も民藝運動も共に「手仕事の価値と暮らしの中の美」を追求した運動でしたが、アーツ・アンド・クラフツ運動は消えていき 民藝運動は現在も生活文化として継続して生きていますが、なぜこの様に大きく分かれたのでしょうでしょう。
柳宗悦とウィリアム・モリスの違いも含めて考察したいと思います。
写真は共に19世紀作
ウイリアムモリス作 壁紙「いちご泥棒」と、鳥取県牛ノ戸焼の「かきつばた徳利」を一緒に陳列しました
アーツ・アンド・クラフツ運動と民藝運動
19世紀後半から20世紀初頭にかけて生まれたイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動と、日本の民藝運動は、ともに「手仕事の価値」と「暮らしの中の美」を大切にした運動でした。しかし、その後の歩みは大きく異なります。
アーツ・アンド・クラフツ運動は、ジョン・ラスキンが思想的基盤を築き、その理念を受け継いだウィリアム・モリスが工房経営、デザイン、出版などを通して総合的に実践しました。思想・制作・経営・普及のすべてを担った人物はモリスのほかになく、この運動は彼の存在に大きく支えられていました。
そのため、1896年のモリスの死後は運動としての求心力を失い、やがて終息します。しかし、その理念そのものが消えたわけではなく、アール・ヌーヴォーやアール・デコ、モダンデザインや工芸教育、さらにはバウハウスへと受け継がれ、近代デザインの発展に大きな影響を与えました。
一方、日本のルネッサンスとも言われる民藝運動は、柳宗悦が理念を示すだけでなく、自ら全国を巡って民衆の工芸を調査・収集し、出版や展覧会、日本民藝館の設立を通して運動を組織しました。さらに、河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチ、吉田璋也をはじめ、多くの実践者がそれぞれ陶芸、染織、木工、地域振興、教育など多様な分野で活動を展開し、日本各地に窯場や工房、民藝館などの拠点が築かれていきました。こうして民藝運動は特定の個人に依存することなく全国へ広がっていきます。戦後には「民藝ブーム」と呼ばれるほど多くの人々の支持を集めました。
しかし、この民藝ブームは単なる流行ではありませんでした。
各地の民窯や手仕事が見直され、民藝館や民藝店が全国に広がる中で、人々は器や家具、染織品を選ぶ際に「用の美」という価値観を自然に受け入れるようになりました。民藝は美術館で鑑賞する芸術ではなく、毎日の暮らしの中で実際に使う「生活の美」として根づき、その精神は今日まで受け継がれています。
これに対して、アーツ・アンド・クラフツ運動も建築や家具、壁紙、書籍デザインなど幅広い分野に大きな影響を与え、多くの支持者を生みました。しかし、その影響の中心は芸術家や建築家、デザイナー、中産階級以上の愛好家であり、日本の民藝運動のように一般家庭の日常生活や器選びの価値観そのものを広く変える社会現象には至りませんでした。モリスの工房で制作された作品は、「すべての人のための美」という理想を掲げながらも、高度な職人技によって制作されたため高価で、多くの庶民が日常的に手にすることは難しかったのです。
この違いを端的に表すならば、アーツ・アンド・クラフツ運動は「デザイン文化を変えた運動」であり、民藝運動は「生活文化を変えた運動」であったと言えるでしょう。モリスの思想は優れたデザインとして後世へ受け継がれ、柳宗悦の思想は日々の暮らしの価値観として受け継がれました。
つまり、アーツ・アンド・クラフツ運動はデザインの歴史を変え、民藝運動は暮らしの文化を育てたのであります。
柳宗悦とウィリアム・モリスの違い
ウィリアム・モリスと柳宗悦は、ともに機械化が進む時代に手仕事の価値を訴え、「暮らしの中の美」を大切にした思想家でした。しかし、美に対する視点には本質的な違いがあります。
モリスは、産業革命によって失われた手仕事の美を取り戻すため、自ら家具や壁紙、織物、書籍などをデザインし、「理想の美しい生活」を創造しようとしました。美は人間が目指し、創り出すべきものであるという姿勢が、彼の活動の根底にありました。
これに対して柳宗悦は、新しい美を創造することよりも、無名の職人が日々の暮らしのために作り続けてきた器や布、家具などの中に、すでに存在している美を見いだそうとしました。そして、その価値を社会に伝え、人々の暮らしの中に取り戻そうとしたのです。
言い換えれば、モリスは「理想の美を創造した人」であり、柳宗悦は「生活の中に宿る美を発見した人」だったと言えるでしょう。
この違いは、両者の運動がたどった道にも表れています。モリスの思想は優れたデザイン思想として近代デザインへ拡散していきアーツ・アンド・クラフツ運動も消えていきました。
一方、柳宗悦の思想は、人々が毎日使う器や家具を選ぶ基準となり、「用の美」という価値観として生活文化の中に根づきました。
両者はともに手仕事の尊さを訴えましたが、モリスは「美しいものを創ること」によって社会を変えようとし、柳宗悦は「すでに暮らしの中にある美を見いだし育てること」によって社会を変えようとしました。
両者は同じ「手仕事の価値」を見つめながらも、この視点の違いこそが、アーツ・アンド・クラフツ運動と民藝運動の歩みの違いを生み、今日に至るまでの継承のあり方を大きく分けた要因だったと思います。
