250台は入れるだろう大駐車場に入るのに20台位並んでいた。館内でチケット売り場も入り口前も80名以上が並んでいる。車でしか行けない豊田市美術館でこんな混み具合は今までで初めてです。
並んでいる人たちをみると、普段美術展など行かない雰囲気の人も多い。
流石印象派
流石モネだね。
4週間前に京都の京セラ美術館で同じ展覧会を観て、ブログに感想を書き、「もっとモネ全盛の頃の絵を出して欲しい」と希望も載せていますが、
再度復習で豊田に来ました。
今回は2回目なので、会場内を行ったり来たりして、制作年ごとに分けて絵を見ることにしました。
作品は一部1900年(60歳)ごろから展示されていますが、その多くが
私のささやかな願いは何も反映されず、逆に京セラ美術館の入り口に陳列されていた印象派という名の元になったモネの代表作『印象・日の出』は陳列されていず、更に数点あった2mを超える大作もなく、良き時代のモネ作品は更に減っていて、更にモネ終焉の時代という感じのざんねんなモネ展になっていました。
生涯に2000点とも言われる絵を描いているモネですが、1883年43歳のときにパリ郊外のジヴェルニーに移り住み、この地で描いた 「睡蓮」はおよそ300作に及ぶほどでした。
モネの略歴と年代別感想
1840年生まれ
1890年には屋敷と土地を購入、 家の前に 「花の庭」を造園しはじめます
1883年から1900年頃の「睡蓮」は、モネの絶頂期であり、明るい光と色彩にあふれて光の微妙な変化に映る睡蓮や枝垂れ柳などが淡い影などで表現されていますが、この絶頂期の作品は今回は晩年の展覧会なので、最初にごく数点しか出品されていません。
その後1905年ぐらいには徐々に目が悪くなって白濁していきますが、眼科に行くことはなく、作品は少しずつ色が濃くなり暗くなっていきます。
黄色はそれほど目立たなかったのですが、
1912年(72歳)の時に白内障と診断されます。
1917年(77歳)ぐらいになると目が悪いからでしょうが、筆のタッチも荒くなってきて、さらに色がきつくなってきて、少し抽象画っぽくなり、ゴッホに似た筆のタッチや黄色が目立つようになってきます。
1920年80歳になると、色彩が壊れ、全くモネらしさがありません。
右目はほとんど見えなくなり、左目の視力もわずかになってしまったようです。
1922年(82歳)白内障の手術を行い
手術後に彼は
「左の白内障眼で見ると、すべてが黄色に見えるのに、手術した右目で見ると、すべてが青っぽく見える」といったそうです
1926年(86歳)で死去します。
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京都と豊田で観た2回の「モネ 睡蓮のとき」展ですが、
今回も含めて過去数々観てきた、明るい光の透明感のあるモネらしい輝かしい絵は、白内障と診断される前の65歳位までだったようです。
この、モネの一番輝いていた65歳以前の作品たちをわざと外したこの展覧会は、反面教師となり、モネという作家をじっくりと考える良い機会となり、モネの素晴らしさを再認識することができました。
そういう面で、今回は様々考え調べることができて、とても良い展覧会でした。
モネの一番輝いていた全盛期の透明感のある絵を期待する方は、この展覧会でないほうがいいとおもいます。
また、この「モネ 睡蓮のとき」展で初めてモネを見る人に「モネってこんなの?」っと誤解されるのは嫌だな。
自然の中で描き、自然の優しい光と影を自らの目を通し、「見えるがまま心のまま」に描いた素晴らしい作品を別の会でどうぞ楽しんでください。
写真は、館内で撮影OKだった場所のものですが、どれも透明感のないモネっぽさの少ない作品です。(モネをゴッホ風タッチに少しアレンジした様な感じに見えませんか
)






