世界旅行中でアメリカのスミソニアンへ行かれた友人から
『ワシントンD.C.のスミソニアン国立アジア美術館で棟方志功の屏風を観て、私に読み解く様にとメールが写真と共に届きました。
棟方志功の三曲一隻屏風
志功らしい独特の筆跡。
この文字の書き方は志功本物ですね。
さあこの崩字をまず読まねばなりません
数箇所迷いましたが、できました。
大鵬泰人萬里
庭前柏樹子
花深処無行跡
たいほうばんりをやすらかにして
ていぜんのはくじゅし
はなふかきところぎょうせきなし
昭和三十五年
五月二十朔日佳宵
棟方志功書
次は、ここから意味を読み解いていきます
翼が三千里もある大鵬が世界を覆う様に人々が安らかにあり
庭前の柏樹子の様に役に立つ木も存在するもの全てに意義があるが目の前の一本の木にしかすぎない
大自然の中では、 自分の業績や足跡などすぐに消えてしまうものだ
という無常感ですね。
さあ終わったと思ったら
最後の日付の後付けに疑問
普通なら
「昭和三十五年五月二十日」と書くものですが、
「昭和三十五年五月二十朔日佳宵」
しょうわさんじゅうごねんごがつにじゅうさくじつかしょう
「朔日佳宵」とは?
昨夜の月は美しかった
と終えています。
無常感の中にだからこそ「今」の現実を大切に生きよう
それが更に最初の大鵬へ戻り全てをやすらかにしていくものとなる。
これも含み最終的に
「我欲を捨て無を求めよ それが無限への道」と訳させて頂きました。
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志功が作品に載せている言葉は微かに知っていましたが、それ以外は初。 とても難しい宿題でした😅。
宿題を頂いたお陰で、良い勉強をさせて頂きました。ありがとうございました。
「朔日佳宵」
昨夜の月は美しかった
意味が深いですね
昭和三十五年五月二十日
この書は志功57歳の時の作品です。
年初より眼疾がすすみ、片目がほとんど失明した頃です。自分の体の無情感もあり、それでも創作意欲は大いにあり、この後もみなさんご存知の様に数々の作品を発表して昭和50年(1975)年鬼籍に入ります。
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〈資料〉
⚫︎大鵬萬里
「荘子」の中の「逍遥遊」の中の「鵬程万里」
大鵬は鯤 (こん) という魚が化したもので、翼は三千里に達し、一飛びに9万里ものぼるという大きな鳥。遠い道程や前途が遠大であることを鵬の飛ぶ距離に例えた言葉。
⚫︎荘子(そうじ)
中国戦国時代(紀元前300年頃)の思想家で、老荘思想の源泉の一人。
姓は荘、名は周、字は子休。
諸子百家の道家(どうか)の根本思想を寓話を用いて説く。
老子荘子と言われ、ともに無為自然を信条とするが、老子は政治色が濃い姿勢が多々あるが、荘子は徹頭徹尾にわたり俗世間を離れ無為に遊ぶ姿勢で展開される。
⚫︎泰人
安らか 安らかな人の意味
⚫︎庭前の柏樹子(ていぜんのはくじゅし)
中国南宋時代に編纂された禅書「無門関」に出てくる言葉で、僧は趙州禅師に「禅の真髄とは何ですか」と聞きました。
和尚は、庭にある一本の樹を指差して「庭前の柏樹子」と答えます。
「柏樹子」の、「子」は置き字で意味を持ちませんので、「柏樹」という木のことで、「柏樹」の別名を「柏槙(びゃくしん)」といいます。
趙州禅師が住職していた「観音院」の周辺には、たくさんの柏槙が繁茂していたそうです。
柏槙は香木でもあり、お香や色々と細工をして仏具や衝立などに加工して使用される役に立つ木ではあるが、ただ単純に庭先に植えてある1本の樹にしか過ぎない。同じように仏法の理想を探し求め禅とか仏とか悟りとか迷っていないで、目の前にある現実の本筋を直視しなさいという意味です。
⚫︎花深処無行跡(はなふかきところぎょうせきなし)
これはおそらく大乗経典の「維摩経(ゆいまきょう)」に載っている言葉だと思われます。
「自分がどんなに偉くても、金持ちであっても、この大自然の中では、 私たちは皆とても小さく、私たちの足跡などすぐに消えてしまうもの。」という意味です。
棟方志功が好んで用いた言葉の一つで、板画など多くの作品に用いています。

志功の作品の中には何かちょっと難解な含みや哲学的な意味を持っている単語や文が多々載せられていますが、それらの多くは志功が生涯の師と仰いだ美学者・哲学者であり民芸運動の創始者 柳宗悦(やなぎむねよし・やなぎそうえつ)より教わり、また東洋哲学は河井寛次郎から教わった様です。
棟方志功は、生涯の師と仰いだ柳宗悦の元へ、作品が仕上がる度に持参して意見を求め、彫り直しを命じられても粛々と応えたりしていますし、哲学や思想のこと多くを学んでいます。
宗悦は志功の作品を活かすべく助力しているような書簡が沢山残されています。)
日付は「昭和三十五年五月二十朔日佳宵」
⚫︎朔日 昨日
ついたちともさくじつ(昨日)とも読みます。「ついたち」は月の初めの「一日」のこと。 新月の日を指す言葉でもありますが、次に来る佳宵に繋がらない。
⚫︎佳宵(かしょう). 月の美しい夜のこと。
昨夜の月は美しかった
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〈追記〉
ずいぶん長く書いてしまいましたが、
これを書き終えて 志功が何か書いているものはあるかと探しましたら、下記の様な文面が見つかりました。
昭和17 年(1942)、39歳の時に棟方は自分の「版画」を「板画」と表記すると宣言しますが、その時にこう語っています。
「今までの版画家は、一枚の版画にばかり凝っていた。展覧会へ出品するための版画ばかりつくって、版画の生命を忘れていたと思うんです。版画はその複数たる本質を生かさなくちゃなりません。人から人の手へ移って、最後には(棟方の)名前がなくなる。擦り切れてしまって棟方がなくなるところに、はじめて棟方版画が生きたということになるんだと僕は信じているんですよ」
「棟方は個性的だとよくいわれますが、反対に僕は個性をなくしてしまおうと常に努力しているんですよ」
「とにかく多くの絵描きは一作業毎に満足し、制作の歴史は満足の歴史なんだけれども、僕のは一つ一つが足跡に過ぎないんですよ。生きてゆくうえでの否応なしの足跡だと思うんです。丁度僕らが雪の上を歩くと足跡がつくように、僕の仕事もあれなんですよ。完成しない。ただ完成への無限の憧憬なんです。完成とは作品のなかの僕がなくなることなんです」
そして18年後昭和35 年(1970)にこの書を描いています。
