染めと織の万葉慕情100   かにかくに人はゆうとも | foo-d 風土

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父が1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日 2年間に渡って新聞に連載していた万葉集の染織のお話を2年に渡って読み進んでまいりましたが、いよいよ最終回となりました。
  40年後の同じ日父の思いをどうぞお楽しみください。

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染めと織の万葉慕情100
  かにかくに人はゆうとも
   1984/03/30 吉田たすく



 万葉の染織の歌をこの欄に紹介しはじめましたのが、一昨年三月五日でしたので、まる二年と少し、
今回で百回目になり、一応このあたりで「切」にしようと思います。

 万葉集の中から今まで沢山の歌を読みましたが、この三倍以上もの染織の歌があります。 それらの歌はまたの機会に読ませていただきましょう。

 さて、今までの染織の歌をふりかえってみますと、ほとんどの歌が恋歌でありました。染、織の材料、作業、道具、衣服で恋心を陰にひめて詠(うた)っているのでした。
 材料の歌では麻の歌が沢山ありました。麻の歌を一首。

 庭に立つ
  麻手刈り干し
    ぬのさらす
   東女を
    忘れたまふな

 麻を刈って干し糸に作り機で布に織って水に瀑(さら)す、あづま女をわすれないでね。麻の材料から布を仕上げるまでの作業全体を詠っています。染の歌もありました。

 月草に
  衣は摺(す)らむ
    朝露に
   濡れての後は
    うつろひぬとも

 つゆ草で染めよう。 朝露でにじんでしまっても。 あすの朝は別れてしまっても今夜一夜でもあなたに染まりたい。

 紅染の歌

 紅の
  薄染の衣
    浅らかに
   相見し人に
    恋ふるころかも

 織の歌にこんなのもありました。

 君がため
  手力つかれ
    織りたる衣ぞ 
   春さらば
    いかなる色に
     摺(す)りてばよけむ

 又一首。

 麻衣
  見ればなつかし
    紀の国の
   妹背(いもせ)の山に
    麻蒔(ま) く我(わぎも)

 袖の別れの歌もありました。

 妹が袖
  別れし日より
     白たへの
   衣も片敷き
    恋ひつつぞ寝(ぬ)る

 紐の歌はずいぶんたくさんありました。あんなに詠われた紐は平安時代の歌にはプツリとなくなるのでした。

 高麗(こま)錦
  紐解きかわし
    天人の
   妻どふよひぞ
    我も偲(しの)ばむ

 又一首。

 人妻に
  言ふは誰(た)がこと
    さ衣の
   この紐解けと
    言ふは誰がこと

 雨も降り
  夜も更けにけり
    今更に
   君いなめやも
    紐解きまけな

 裳(も、スカート)の歌には美しい歌がありました。

 さ丹(に)塗りの 大橋の上 紅の 赤裳(も)裾(すそ)引き 山藍もち摺れる衣着て・・・

 染織品は当時の人達にとって想いをつづる品々であったのでしょう。
 染織作家の私にとって万葉集は古代染織と私の染織を取りつなぐうるわしい歌でありました。

 かにかくに
  人は言ふとも
    織り継がむ
   我が機物の
    白き麻衣

 なんとかかんとか人は言うけれど「たすく」は織りをつづけていきます。私の機で。私なりの想いを込めて。

 長い間読んでくださいましてありがとうございました。

(資料は主に岩波の古典文学全集を参考にさせてもらいました)

        (おわり)

 (新匠工芸会会員、織物作家)




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 (注)
さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て……
  
 元歌
 (「さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ  橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく」 作者 高橋虫麻呂 9巻1742 より

  丹塗りの大きな橋の上を、紅(くれない)染めの赤い裳の 裾を引いて山藍を摺り染めにした衣を着て ひとり渡って行く娘は、夫があるのだろうか、それとも独りで寝ているのだろうか訊いてみたい、彼女にしたいけれど、どこに住んでいるかわからない)

どの謳も恋心に結びつく歌ばかり、男女の仲は永遠ですね。

二年間に渡って父が書いてきたものを読み解いてまいりましたが、長い間お相手いただきありがとうございました。

 『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって山陰一の新聞に連載したものです。
 これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきました。
 尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food  風土」の中の、テーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。
 https://ameblo.jp/foo-do/theme-10117071584.html

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 吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタペストリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
 尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。
吉田たすくの代表作品や詳細は下記ウイキペディアへどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

 癌にかかって東京で入院していたときは、いつも元気になって倉吉に帰って機織りをすると言い続けていましたが昭和62年(1987年)7月3日 65歳で逝去致しました。しかし、今も次の世で夫婦二人で仲良く楽しそうに機を織っていることでしょう。

コロナ禍で遅れていた33回忌を今年四月に倉吉市の菩提寺で行う予定です。なんとか100話完結できましたから父も喜んでくれると思います。
  本当に長い間ありがとうございました。