桂離宮 残秋 | foo-d 風土

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今日は冬至ですね

 

   冬来りなば

    春 遠からじ

 

 この言葉は日本のことわざではなく、イギリスの詩人、シェリーの詩『西風の賦』の一節「If winter comes, can spring be far behind?」を訳したものだそうです。

 つらい時期を耐え抜けば、幸せは必ず来るというたとえ。長い冬を耐えて春を待つ気持ちの表現としても用いられます。

 先日のことですが、秋の名残りの情景を観ようと、12月10~11日に最後の紅葉を観に宮内庁の桂離宮、修学院離宮道、仙洞御所の三ヶ所へ行ってきました♪

全て予約のみですし、桂離宮以外は無料でありがたいです。

まさか離宮を三ヶ所も同時に回る人は少ないでしょうね。でも、これがいいのです、その良さその違いが如実にわかります。

まず行ったのは桂離宮です。

 

紅葉はほぼ終わり、初冬の桂でした。

 

 

 

 

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 長く沈黙の美であった桂離宮を世界に発表したのはドイツの建築家ブルーノ・タウトです。

 日本建築として世界に有名な日光東照宮と桂離宮。

極端にゴテゴテとして豪華すぎて日本建築らしくない日光に対し、静寂の雅と言うべき桂離宮という両極端な建築が。面白いことに、同じ年に出来ています。

ブルーノ・タウトは日本インターナショナル建築界からの招待で1933年5月4日念願の来日を果たします。

 敦賀に到着した翌日、タウトは桂離宮に出会います。長らく憧れていた日本の美を間近でみた感慨もひとしお、タウトはこのときの印象を「泣きたくなるほど美しい」と日記に記しています。タウトは翌年の5月にも桂離宮を訪れ、この二回目の桂離宮体験は、タウト著『日本美の再発見』の中のエッセイ「永遠なるもの」に結晶します。

 『永遠なるもの』においてタウトは、静寂の支配する庭園前にしたときの感興を次のように書いています。(以下、引用は篠田英雄訳、岩波書店。)

「(私たちは二人の日本人と同行していた)今こそ真の日本を知り得たと思った。しかしここに繰り広げられている美は理解を絶する美、すなわち偉大な芸術のもつ美である。すぐれた芸術品に接するとき、涙はおのずから眼に溢れる。私たちはこの神秘にもたぐう謎のなかに、芸術の美は単なる形の美ではなくて、その背後に無限の思想と精神的連関との存することを看取せねばならない。(中略)私たちは暫くここに立ち尽くして、互いに話すべき言葉を知らなかった。」

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 私は子供の頃、日光東照宮を見た時、あまりにもキラキラと成金趣味。繊細さ、潔さがなくただ豪華すぎて大嫌いで、逆に桂離宮の潔さサラッと間をとる美しさが大好きでした。

その頃出会った本がタウトの『日本美の再発見』でした。中学1、2年の頃でしょうか。

 自分では言葉に表せない事がタウトによって桂離宮の良さ日光東照宮の醜さ表現されていてとても嬉しくなったものです。

余談ですが、そして私はこの本に感銘し、18歳の時には、タウトの歩いた同じコースで金沢、白川郷合掌集落、下呂、名古屋をヒッチハイクで旅行しています。