染めと織の万葉慕情62
涙に濡れる袖の歌⑶
1983/06/17 吉田たすく
この一群の歌は人を恋ふ歌だけが集められていて続けて読んでみると、そこには別の作者の歌が集められているのかも知れないのに。
一人の人が、恋う人へのつのる思いが色々と述べられているように、読まれておもしろいものです。
このころの
眠 (い)の寝らえぬは
敷袴(しきたへ)の
手枕まきて
寝まく欲(ほ)れこそ
このごろ寝むれないのは、敷栲(枕にかかる枕詞で枕は敷く床に使うのでしきたへというのでしょう)の手枕まきて(あなたの手を枕にして寝たいと思うからです。
手枕してうま寝したいがあなたは来ない。 わびしい一人寝です。
ぬばたまの
その夢にだに
見えつぐや
袖乾る日無く
われは恋ふるを
ぬばたまはヒオオギの草の実で、あの美しい朱色の花の実は黒うるしをぬったように、黒光りしたま黒な実で黒い物、黒髪とか夜にかかる枕詞です。この歌では夜そのものを詠っています。
いつまでも来てくれないあなたはせめてぬばたまの夜の夢にだけでも、現われてくれるでしょうか。 涙にぬれる袖が乾く日もなく私はあなたを恋い慕っていますのに。
菅(すが)の根の
ねもころごろに
照る日にも
乾(ひ)めやわが袖
妹に逢はずして
菅の根(すげの草の根はこまかくこんで生えているのでねもごろにかかる) ねもころに(こまでまとすみずみまで行きわたってと、いうのです)
すみずみまで照っている陽の光によってさえ、涙の袖は乾きはしない。
これほどの思いをしています。 あなたに逢わずにいては。
妹に恋ひ
寝(い) ねぬ朝(あした)に
吹く風は
妹にしふれば
吾れさへにふれ
あなたを恋いこがれて寝れなかった夜明の風よ、あなたにふれて来たのなら、私にもふれてくれ。 どうせ、 そえないこの身なれば風だけでもふれてみたいと詠っています。
君に恋い
我が泣く涙
白たへの
袖さへひちて
せむすべもなし
君に恋ひつづけてもそえない私、泣く涙に白栲の袖はぬれてぬれて、ど
うしようもありません。
涙にぬれる袖の歌がずいぶんありました。 袖を振り袖の別れにつづい
てその袖で恋ひ泣く涙をぬぐいます。
衣服の一部である袖による表現によって心の変化を詠っていきます。そ
の袖は彼氏、彼女の思ひ出の袖でもあったのです。
袖をまく歌がたくさんあるのです。袖をまくとは二人の袖を枕にして、
うま寝をした思い出なのです。 袖という言葉は人の手のしぐさの表現であるのです。
次から「袖まく」 「袖になれにし」などの歌をさがしてみます。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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(注)
『ぬばたま』(漢字で、射干玉・野干玉・烏玉・烏珠)
黒くて光沢のある、檜扇(ヒオウギ)という植物の種子のことで、あやめ科の植物。 黒いことから髪の枕言葉として用いられますが、髪のほかに「黒」「夜」「夢」などの言葉にもかかります。
ヒオウギの実と葉と花
ヒオウギ檜扇は、葉がヒノキを使った扇子に形が似ていることから付けられました。
ヒオウギの花は7月~8月頃に咲きます。
本州西部,四国,九州,およびウスリー,朝鮮,中国,台湾,インド北部に分布し,山地,乾性草地,渓側河岸などに生え,観賞用として栽培される.
薬効と用途
根茎には消炎,解熱,去痰などの作用があり,咽喉痛,咳,痰,リンパ腫,腫れ物などのほか,月経不順,下痢,水腫などにも用いる.皮膚化膿症には粉末を塗布する.まぶたの出来物(ものもらい)には種子を毎日10粒服用する.
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黒髪を褒める時に「カラスの濡れ羽色」という表現がありますが、
僕はあの図々しく気の強いカラスを女性の美しい黒髪の表現にはあまり使ってほしくないです、しかし、「ヒオウギの実のような黒」というと何だかいい感じで風流ですね。
そして、本当に植物が身近な存在だったのだなぁと改めて思うんですね。
せっかくなので、父の選んだものとは違う歌を何首かご紹介。
ぬばたまの
我が黒髪を
引きぬらし
乱れてさらに
恋ひわたるかも
我が黒髪を引きほどいて乱れた髪のように、更に尚 あなたを思い乱れ恋続けてやまない私です
ぬばたまの
夜渡る月の
さやけくは
よく見てましを
君が姿を
暗い夜に渡る月が明るく輝いていたら あの人の姿をよく見ることができたのに
居明かして
君をば待たむ
ぬばたまの
我が黒髪に
霜は降るとも
眠らずにあなたを待ちましょう ぬばたまの実のように黒い髪に霜が降りても
ぬばたまの
妹が黒髪
今夜もか
我がなき床に
靡けて寝らむ
自分がいない夜に、私の愛しい妻は黒髪を床になびかせて寝ているのだろうか
ぬばたまの
黒髪濡れて
沫雪の
降るにや来ます
ここだ恋ふれば
(「沫雪」は泡のようにやわらかく消えやすい雪)
黒髪を濡らし、泡雪の降る寒い中を来てくださったのですね、私がこんなにも恋慕っているものですから
ぬばたまの
黒髪変り
白けても
痛き恋には
逢ふ時ありけり
作者: 沙弥満誓(さみのまんせい)
黒髪が白髪になっても 切ない恋はするもの
いつまでも
恋心は永遠ですね




