陶芸空間 虹の泉2023.5.24 | foo-d 風土

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自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

たった一人の作家が、35年もの歳月をかけて公園のように広大な1800坪(5800㎡)ものスペースに作り上げた未完の陶芸空間

 

自宅から車で往復6時間以上かかり、松阪市内からでも片道1時間ほどの奈良県境に近い山奥の広大な陶アートスペース

こんなに辺鄙なのだが、写真などで見て以前から行こうと思っていて、ようやく訪問。

 

車を飛ばし着いたところはまるで別世界 まるで古代ローマの遺跡のような大空間が現れた。

写真などからの想像よりもはるかにすごい。

 

案内図

 

 

 

 

 

 

 

入り口正面に建つ二本の柱

はるか遠くに大陶壁と翼壁 様々なオブジェ

 

ポコポコしているのは雲か水柱か

この広大なスペースを左回りで東壁の方へ近づいていきます

 

最初は

 勝利者の丘 

丘の上には、三体の立像

この丘の裏斜面(つまり空間の外から見える面)には、制作を支援した人たちの名前の陶板が埋め込まれていました。

 

次は、その左に人像樹の森

 

人と木が一体になり後ろの森とも一体化してこの森を作っています。。

 

 

 

 

近くで見てみると、像は小さなパーツに分かれていますが、窯場で焼かれたのちにここへ持ってきてつなぎ合わされていることが見て取れます(全てのオブジェが同じ作り方で作られているそうです)

 

大陶壁左翼壁

 

 

大陶壁とセンター像

 

 

 

大陶壁右翼壁

 

 

さらに右に イリスの壁 

イリスの壁

イリスとは、ギリシア神話に出てくる虹の女神のこと。

これは、地元の人や来場者などに陶板を一つ4,000円で買ってもらい、各自で名前や記念日を刻んだ後、焼いて壁に貼り付けて作品の一部にするというプロジェクトで、今では、1万枚以上の陶板があるそうで、額にするとなんと4,000万円以上の支援になります。

35年間の制作・建設資金は、主にこの「イリスの壁 陶板運動」によって得られた資金で進められました。

 

 

ミューズの丘

 

 

 

あまりにもたくさんの像 全て見るのに2時間かかってしまいましたが、

鳥の声だけがする大空間で、じっくり観ていると、とても癒される感じ 心の静寂を感じました。

またいつかもう一度行きたい空間でした。

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虹の泉は、1978年から2013年まで、陶芸家の東健次(1938年-2013年)によって制作された。約5800㎡の屋外空間が男女や雲上を象った無数の陶芸作品で埋め尽くされ、正面にそびえ立つ巨大な壁には2000枚以上の陶板を使って壁画が描かれている。

東健次は、愛知県立瀬戸窯業高校で作陶を学び、24歳の時に旅したスリランカで、シーギリヤの岩山に描かれた女性の壁画やジャングルでの10日間の滞在からインスピレーションを受け「虹の泉」の構想を思いついた。1978年、故郷の三重県に戻り、自ら工房や窯を建て、約5800㎡の山林を切り開いて「虹の泉」の制作を開始。自治体などからの資金援助は受けず、地元住民や協力者からのカンパや見学者からの入場料、希望者には有料で自分の陶板を作ってイリスの壁と呼ばれる一角に貼れるようにすることで、制作費をまかなった。[2][3]他の仕事はせず、制作開始から死ぬまでの35年間の生涯をかけて「虹の泉」制作に没頭した。(ウイキペディアより)

 

東健次(1938年-2013年)

1938年生まれ、三重県松阪飯高町森で育つ。

愛知県立瀬戸窯業高等学校卒業。

22歳、セイロンへ初めての旅。神から陶アートスペースを作るように告げられる。

23歳、第5回日展 工芸美術部門に入選。

28歳、外国の地を求めてアルゼンチンへ移住。アンデス山脈の麓に土地を購入し、作品を作り始めるが、自信を失い挫折。

39歳(1978年)、苦悩と忍耐の日々の末、日本こそが新たな目的地であるという考えに変わる。

帰国後、富永にアトリエ・窯を築き、虹の泉の創作を開始。

2013年5月、享年74歳。

 

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陶芸空間 虹の泉

三重県松阪市飯高町波瀬  国道166号線沿いにあります。

午前9:00~午後4:00ごろまで

・休み    不定休 

 もし、しまっていて誰もいないようでしたら次の番号に連絡してください。

    080-1558-4612