染めと織の万葉慕情53
梅、橘の歌
1983/04/15 吉田たすく
先週はアセビの花を袖にとき入れる歌と、それに続いて藤の花房を袖に入れる歌でしたから、もう一度花をこき入れる歌を取り上げてみましょう。 桜の花もすぎた今日では、梅の花の歌であいすみませんが。
引きよじて
折らば散るべみ
梅の花
袖に抜き入れ
染(し) まば染むとも
梅の枝は、他の花の枝に比べて硬いものですから、手折るのに力がいります。そのはずみに、梅の花がはらはらと散る様の風情をうまくとらえ、その散花を地面で汚すのをいとおしみ、袖にこき入れるのです。散って来るピンクの花のような可憐(かれん)な乙女の心を袖にうけとめ、染めば染まってもいいよと詠います。「シマバシムトモ」とは、何ともリズミカルな言いまわしで、しっとりと心にしみる表現でしょう。橘の歌の中にも、袖に橘の実をこき入れるところがあります。昔むかし、神の大御代に田道間守(たじまもり)という人が(万葉時代のそのまた昔の話です。 たじまがなまって、タチバナになっ
たといわれます) 海の向こうの常世という永久に生命のある国(浦島の行った国)に渡って行き、多くの苗木を持ち帰ったが、その時橘の木の実をたくさん下さって国も狭いほど生えて、春になると新芽が出てホトトギスの鳴く五月には初花をつけ、枝を手折りて乙女らに土産にやり、白楼(しらたえ)の袖にもこき入れ、香ぐわしんだ。 置いて枯らした橘の実は、珠として緒に貫いては手に巻き、ブレスレットにして見ても見飽ることのない美しさである。
美しい花を袖にこき入れ、抱きしめたい心情の現れです。
もう一首あります。
海神(わだつみ) の手まきの玉を袖に入れる歌
難波の港から韓国(からのくに)に大船に乗りまちして水脈を行き、淡路島に船泊りして浜辺より浦礎をながめていると、妹のいる家恋しさにただ泣けて来る。
海神(わだつみ) の手まきの玉(真珠の玉なのか)を妹に贈ろうと拾い取り、袖には入れては見るが、家に帰る使者はなく、持って居ても送るすべなく、また浜に置いてしまった。
妹への贈り物の玉を袖に入れてあたためたけれど、送ることが出来ず、浜に帰してしまうという詠いかたで、妹への想いが一層つのる気持ちを表しています。
心のうちを袖のしぐさで表した歌が、まだたくさんあります。
(新匠工芸会会員、織物作家)

