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2番目に行ったのは神長官守矢資料館(じんちょうかんもりやしりょうかん) 「神長官守矢資料館」は、屋根から木を4本突き出させている奇想天外な建物。 これを見た瞬間 ああ藤森照信作品だ!っと思える。 見た瞬間から嬉しくなって駆け出して外周をぐるりぐるりと 裏は他の人の土地なのに見つからない様に楽しくて見て回る。 この藤森照信氏のデビュー作は、ラコリーナや笠原のモザイクタイルミュージアムなどに繋がる初期的要素が溢れています。 こちらでも資料館の方に付きっきりで歴史や建物のことなど細かく案内され、様々質問もし、いいお話が聞けました。 建物の周囲に幅広の笹 オカメ笹の高さが絶妙で、笹の中に優しく包まれた感じ。 これは意図してされたのか尋ねたら、今年天候不純でたまたまこうなり、更にこんなにきれいに高さも揃い優しい色でまとまったのも初めてと。 生憎の雨模様の天気でしたが、この今だけの慶事です。 壁の傾斜造りや階段が、奥行きを出すために 先に行くに従って狭く作ってあることや壁をわざと少し傾けて作ってあたり、その他、私が他で見てきた見方とこの建物の一般的建築との違いについて、など、様々話が盛り上がります。 突き出ている4本の木の柱は地元産の樹で、諏訪の自然と中世の信仰のイメージを取り込んだモチーフです。 この4本の木は枯れているが、藤森作品なら創建当初はこの木はどれも緑の葉が茂っていたのだろうと思い込んでいたので、 当初は生きていたのか尋ねたところ、木を切って建てたものだと言われた。 この建物で象徴的な4本の木がもしも今茂っていたらどんなに素晴らしく感動したことだろうに、  とても とても   とても残念。 建築も素晴らしいのですが、もっと驚いたのは、ここはここを治めた縄文人の末裔だったと言うこと。 守矢家について 今から千五、六百年の昔 縄文時代 まだ大和朝廷の力が及ぶ以前からいた土着の狩猟系先住民族の族長で洩矢神と呼ばれた守矢氏は出雲から侵攻した「大国主神(おおくにぬしのかみ)」の次子 建御名方命(たけみなかたのかみ)に天竜川の戦で敗れ従属し、自己はその筆頭神官として建御名方命を諏訪明神として祀り、この地方で実権を持ち続けた。 守矢山に座します神の声を聴いたり山から神を降したりする力を明治時代まで持ち続けた。 天津神大和族に対して和睦して国譲りした国津神出雲族の次子が諏訪方面に進出して守矢の土地を戦わず譲ってもらったという 国譲りが国譲られ物語。 (1871(明治4)年の「太政官布告」による神職世襲が廃止されるまで、)縄文時代から諏訪地方に根付いていたとされる信仰における精霊「ミシャグジ(御左口神/御社宮司)神」を中心とした祭祀を取り仕切っていたといわれる。 館内に入ると まず目についた凄いもの 串刺しのウサギ 壁面には大きな鹿の頭、壁面いっぱいの兎や猪、鹿などの頭 祭事もとても古い形式で諏訪神社の鹿の頭部を供える「御頭祭」の展示も行われていた。ちょっとおどろおどろしいですが、古代山岳民族の祭式を十分感じました。 神話の時代からの悠久の歴史 興味ありすぎ、知りたいこといっぱい! しかしながら、 こういう話は時間がいくらあっても足りません。 今回は早々に引き上げることにして、守矢家の隣にある藤森氏のご実家の敷地に作られた、 木の上にある茶室「高過庵」 地下に潜っている茶室「低過庵」 吊り下げられているのが「空飛ぶ泥舟」を見に出かけました。 続く

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