「嫌だ」と言った覚えがありませんでした。
実母を癌で失い、
留学も、
大学院への進学もあきらめ、
名古屋に帰ってきた時からです。
もともと、留学する気満々で、日本とおさらばする気も満々でした。
それなのに、今いるのがお寺って、ちょっぴりどころか、大いに複雑
![苦笑](https://emoji.ameba.jp/img/user/na/namida-egao/2435.gif)
そんなわたし。
あのときに、思い切って、さっさと留学しておけば良かった、と今は思います。
だって、わたしのやりたいことは、そのとき日本にはなかったのですから。
でも、お金を出してくれるのは父でしたし、父は留学には猛反対でした。
お金を出さない、と言われてしまえば、そのときのわたしには、
どうすることも出来ませんでした。
そして、なにより。
わたしがいなくなったら、この家は崩壊する、
と思いました。
ここで、わたしさえ、我慢すれば……。
留学だけではありません。
ピアノを教える、ピアノを弾いていく、のには、
なんといっても、「ピアノが必要」です。
ピアノがないことには、ピアノってどうにもならない。
そして、ピアノが置けて、ピアノが弾ける部屋を確保するのって、
すごくお金がかかることなんです。
そうすると、大学卒業したての人間が稼げるお金では、到底無理です。
そんなことを思った瞬間から、わたしは、
父に対して、「NO」を言えなくなっていました。
「NO」を手放したわたしは、ずるずると、人生の坂道をずり下がり始めます。
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たった1つのことに対し、「NO」を手放しただけですが、
そうすると、我慢することが日常になります。
その我慢が慢性化してしまうと、
嫌なことに対して鈍感になります。
本当に自分が何がイヤなのかだけでなく、
自分の好きなものもわからなくなります。
それが続くと、何が大事なのかがわからなくなってきます。
ただ、イヤな感覚だけは体の底でうごめいているので、
だんだんと様々なことに無気力になっていきます。
最初の頃は、働いて、お金を貯めて、
それで留学しよう、と思っていたのですが、
世の中はそんなに甘くもないことを知ります。
家事全般をやっていたわたしは、
父のために作るご飯を一回減らすことについてさえ、
「NO」を言うことが出来なくなっていました。
朝、6時のご飯。
それから、掃除や洗濯、買い物などの家事全般。
12時のご飯。
仕事に行く前に晩御飯の用意。
仕事に行って、帰宅は10時過ぎ。
それが毎日毎日。
ほぼ365日、何年も続きます。
そのくせして、
「自分はこんなんじゃない」
との思いはあって、変に頑張ってみたりします。
でも、自分の感情の肝心なところを閉じ込めてしまっているので、
いつもなんだかずれています。
ずれがずれを呼び、人生は、ずれっぱなしになります
![♥akn♥](https://emoji.ameba.jp/img/user/mi/mini-minnie/958101.gif)
だからね。
自分の感情を、ないことにしてはいけないのです。
蓋をしてはいけないのです。
向き合うことです。
嫌だからと、感情のままに行動してはいけませんが、
その感情をないことにしていては、自分がわからなくなります。
別に、今は亡き父を責める気はまったくありません。
ただ、あのときに、自分を大切にするべきだったとは思います。
あのときに感じた、
「自分がいなければ、この家は崩壊する」
などは、わたしなんぞがいてもいなくても、関係なかったのだ、ということです。
「自分さえ、がまんすれば」
なんて、体の良い逃げ文句だったのではないかと思います。
人をどうこうする前に、自分が幸せにならないことには、
人さまを、幸せにすることは出来ないのだと、思います。
始まりは、「たった1つの嫌を呑み込んでしまうこと」ですが、
その1つは、1つに終わらないのです。
嫌だ、と思ったことに、蓋をせず、閉じ込めず、
逃げずに、向き合わなければなりません
![ポイント。](https://emoji.ameba.jp/img/user/ni/nikoblog-2/261224.gif)
逃げていると、人生は、いつか、きちんと清算を要求してくるのですな
![ニコニコ。](https://emoji.ameba.jp/img/user/ni/nikoblog-2/1198312.gif)