お寺はキライ。
お寺のために、と思っていたことも、本当は違ったのかもしれない。
私がお寺に来たのは間違いだったのかもしれない。
私が来たことを喜んでいた人たちも。
今は、そんな思いも薄らいで……。
私は、ここでは、役に立たない嫁でしかなくて。
我儘な嫁でしかなくて。
16年間、一生懸命積んでいた「寺の嫁」とういうのが崩れてしまって。
ただいま冬眠中。
春まで起こさないでください。
そんな立札を建ててしまいたい。
そう思っていた。
夕方。
買い物に行くために、車で出かけた。
途中、道路脇で1人力無く立っている檀家さんを見た。
去年、奥様を亡くされて。
子供が無くて。
親戚の子を養子に迎えたのだけれど、折り合いは良くない。
1人立たずまれる姿に、涙が出た。
あの方の笑顔を、どれぐらい見ていないだろう
涙が止まらなくて、途中で車を止めた。
私たちは、何の役にも立たない。
お寺は、何のためにあるのだろう
何のために、お寺はあるのだろう
偽善と言われても。
やっぱり、私は、人には幸せでいて欲しい。
人が悲しむ姿は見たくない。
そう、思う。
人は最後には一人になる。
一人で旅立つしかないという。
でも、一人で旅立つことと、孤独に旅立つことは違う。
孤独に最後のときを迎えて欲しくはない。
それが偽善でも。
私は、そう思う。
ああ~~~~、もうっ
そうなんだよ、そうなんだよっ
私は、人に幸せでいてもらいたいんだよっっっ