東日本大震災、いわゆる3・11をきっかけに、日本中でスマートフォンやSNSが普及しました。それまでは、使う人ぞ使うものであったのに、そんなことは誰も覚えていません。
それまでの価値観でいえば、スマートフォンを操作している人は物珍しい目で見られました。私は当時WILLCOMのスマートフォンを使っていたので、周囲から「なんでそんなもの持ってるの?」とか「電波が悪いのになぜそれなの?」とかいろいろと質問をされたことを覚えています。それ以前には、高校の担任が今の倍くらいの大きさのスマートフォン(のようなもの)を使っていて違和感がありました。
不便に勝る強みがあるからこそ使っていたのですが、少なくとも私の周囲には理解してくれる人はいませんでした。だからといって、「私が正しくてみんな間違っている」とは思いません。そうではなくて、私のようなちょっと変わった、新しい物好きの人以外は持っていなかったということです。
SNSも存在はしていましたが、主にPCで利用する人が多かったこともあり、普及までは至っていませんでした。「ネットで知り合った」というと、「出会い系?」と怪訝な表情をされるような価値観が一般的でした。
そして、3月11日に大震災が起きました。東北はまだ積雪があり、気温も低い。私はちょうど大学の卒業式でしたので、当時の記憶を鮮明に覚えています。
この時、固定電話やガラパゴスケータイの通話、メールまでも不通が続きました。運よくつながっても相手の安否が確認できない状況でした。大規模な停電で信号機さえ止まり、街は真っ暗。防犯カメラが動かないコンビニやスーパーでは盗難が相次ぎ、ヘアーワックスまで盗難されたことが後に話題に挙がりました。
そんな中、SNSは大活躍をします。SNS内でのダイレクトメッセージだけは、ほぼ影響を受けずに相手に届き、すぐに安否の確認ができました。さらには救助を待っている人たちを投稿情報から場所を特定し、命を救うようなドラマを生みました。
そして、人々は「もしものために」とスマートフォンを持ち、子どもたちにも積極的に持たせるようになりました。そして、その後はそのコストの安さや利便性の高さに取りつかれていきます。
が、生活が便利になった反面、若年層でトラブルが多発します。いや、それ以外の年代でも見えてこないだけで、起こっているのかも知れません。
学校も同様に、問題が起こればその都度対処はしているものの、根本治療は行えていません。そもそも、こういった情報モラル教育の部分はほとんどの学校で外部に依頼しているというのが現状です。
こういったことから、教員や学校に携わる大人のスキル向上にブレーキがかかりました。
堀江貴文氏はスマートフォンの位置付けとして、
”スマホいうツールが世に出て、10年余りになる。わずか10年で、世界の情報インフラを支える必須のツールとなった ・・・(中略)・・・
SNSでも、ビジネス系のインフルエンサーたちが、この問題を提起している。スマホは搾取される側のツールであり、パソコンを使う側にいなければ、お金を稼ぐことはできない。だからパソコンを使える最低限の能力と教養を身につけておかないとダメだ、と言いたいのだろう。
スマホが単なる消費端末ではいけない、というのは、その通りだろう。
しかし「スマホより、もっとパソコンを使え」と言われたら、それは違う! と僕は反論したい。”
と述べています。ここではパソコンとスマホを対比していますが、要するに、スマートフォンは携帯電話ではなく、コンピュータであるということです。
スマホが電話ではなくコンピュータである以上、成果物の量や質には、使用者のリテラシーが関わってくるのです。