甲子園発神宮行 | てっちゃんのまったり通信

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「全然、仕込みなんかじゃないですよ。」

夏の高校野球第100回記念大会の開会式直後の第一試合。

レジェンド始球式に選ばれたのが、石川県星稜高校の松井秀喜。

五打席連続敬遠はあまりにも有名だ。

そして、その始球式で始まる第一試合を戦う事になったのが

松井の母校星稜高校。

その出来すぎの舞台に

なんか裏があるんじゃないの。とか揶揄されたりもしたが、

松井は苦笑いと共にやんわりと否定した。

勿論揶揄した方も純粋に冗談ではあるが、

「そんなこと、ボクにできるわけないじゃないですか」

しかし、この人の背中には何故かスピチュアルな力を感じるのは私だけだろうか。

話を戻す。その話題となった始球式。

記念の始球式の介添えとなったのが当時星稜高校の2年生エース奥川恭伸。

始球式を待つ松井の横に立つ彼の姿は初々しい。

ちなみに、(どうでも良いことだが)私自身が、子供のころから憧れ続けた

甲子園での高校野球観戦。

一度でいいからあの雰囲気に身をうずめたいと思っていた。

子供の頃、

「100回大会の時は(自分は)幾つになっているかなぁ。」

と勘定をしてみたことがある。

そして、その勘定した第100回大会に初めての生の甲子園。

その最初の試合の始球式が松井秀喜であり、

最初の第一球を放ったのが当時星稜高校の奥川君だった。




第100回大会の星稜はこの記念すべき第一試合には勝利したが、

残念ながら2回戦で敗退している。

そして、第100回大会観戦の余熱が残る翌年。

第101回大会にも、私は甲子園に向かった。

2年連続2回目の甲子園。

やはり、聖地と呼ばれるだけの風格、そして、熱気と興奮がそこにはあった。

暑さが苦手でなるべくなら避けて通ろうとする私が大汗をかきながら、

この暑さこそが甲子園と興奮する。

これが、いわゆる甲子園の魔術である。

開会式のある初日。そして一泊して2日目を観戦。

そして、101回大会の2日目に再び星稜の奥川君の試合と巡り合う。

「おお、あの松井の横にいたピッチャーだ」

たった2回その試合を見ただけで何なのだが、

何か縁のようなものを感じる。

何といっても舞台は聖地甲子園なのだ。

そんな訳で、101回大会は星稜を応援し続けた。

星稜は順調に勝ち進み、決勝まで駒を進める。

特に準決勝の智辯和歌山戦延長14回の激闘は、

球史に残る名勝負と言っていい。

奥川君はこの試合で奪三振21を記録している。

しかし、星稜は、その激闘を制したことで力尽きたのか

決勝戦では大阪代表の履正社に敗れる。

なかなか野球漫画のようなわけにはいかないものである。

OBの松井秀喜が

「ここで優勝できないのが星稜。

でも、母校のそういうところも大好きです」

という多少の苦笑いを含んだ独特の言い回しでの

母校へのエールが印象に残っている。

そのコメントの中で

「奥川君も日本一の履正社打線に粘り強く堂々と投げていた」

と賞賛している。

後に阪神タイガースに指名された履正社の四番井上との最後の勝負。

打席とマウンドでお互いに笑みを浮かべていた場面が何とも野球漫画の

一場面のようで、記憶に残っている。
(井上君も阪神で活躍してほしいと願っているのだが・・・・)



 

 

そして、ドラフト会議。

出来たら私の贔屓球団(千葉の某ローカル球団)に指名してほしかったが、

贔屓球団が指名したのが、160キロ右腕の佐々木朗希。

「ま、そうだろうな。」

と思いつつ、まんまと佐々木朗希を引き当てた贔屓球団を横目に

奥川君の動向を気にする。

奥川君は一巡目指名で巨人とヤクルトの競合。

佐々木朗希の時は手を合わせなかったが奥川君の時は祈った。

「どうかヤクルトが(当たりくじを)引きますように・・・・。」

そして、めでたくヤクルトスワローズ背番号11番奥川恭伸が誕生する。

高校野球のエースナンバーが重なる11番が清々しく、とてもよく似合っていた。

現在は球団が期待を込めてか背番号は18番となったが、

背番号に関しては11番のままの方が良かったのになぁと

個人的には思っている。

そして、その11番は入団2年目に頭角を現し

クライマックスシリーズ初戦ドラフトで競合した巨人との初戦に先発し完封勝利。

勝ち進んだ日本シリーズ初戦では、今はロサンゼルスドジャースに移籍した山本と

堂々たる投手戦を演じた。

ヤクルト高津監督の

「絶対大丈夫」

という台詞で有名なあのシリーズである。



しかし、好事魔多し。

期待しかなかった翌年、奥川君は右肘痛で戦線離脱。

甲子園から重ねた無理が祟ったのであろうか

その後2年間を治療に費やすこととなる。

そして、5年目の今年。

久しぶりに一軍のマウンドに彼は帰ってくることとなった。

この記事を書いている時点で3勝。

プロに入ってからの彼の姿はまだ一度も見ていない。

何とか機会を設けてと思っていた最中

たまたま、知人が招待してくれた神宮球場。

セントラルでは横浜とヤクルトが好きな私は、横浜戦を希望した。

しかし、故障明けでランダムな登板の奥川君には当たる可能性は・・・・。

そう思いつつ予告先発の確認。

横浜 :ヤクルト 奥川恭伸

「やっぱり君とは縁がある」

奥川君にはとても迷惑だろうが私の方で勝手にそう思った。

 



あれから5年。

今は、第106回全国高校野球選手権大会がたけなわである。

この季節になれば誰もがそれぞれの胸に秘めた夏を思い出すだろう。

奥川君が思い出すのはもちろんあの暑い夏の日。

始球式を終えた後、松井秀喜から受け取った白球に宿った力が

彼自身が望んでいる復活につながることを願っている。

 

そして

コンバットマーチが

アフリカンシンフォニーが

今日も甲子園球場に響く。

それは、野球を愛する万人の胸に響く人生の応援歌なのだと

この季節が来るたびに思う。

撮影日 2018年8月5日 2019年8月7日 2024年7月21日
撮影場所 阪神甲子園球場 明治神宮野球場