やくも発つSAKURA舞い散る道の上で | てっちゃんのまったり通信

てっちゃんのまったり通信

yahooブログから引っ越してきました。引き続きよろしくおねがいします。



年が明けて1月、2月。

例年なら手袋、マフラーの季節にもかかわらず、

コートいらずの陽気が続いた。

天気予報も「3月の陽気です」と淡々と語る。

そんなわけないと打消しながらも、3月に入る前には桜が咲いてしまうのではないか

もしかしたら・・・・。

「381系の最後の春を桜と共に」

そのスローガンのもと日々励んでいた私は気がせいてしょうがない。

381系最後の春を逃すわけにはいかない。

2月開花は洒落として、3月半ばころに開花、そして彼岸のころには満開と予想を立てた。

さて、いつ休暇を取るか、列車のチケットをどうするか。

そんなことを考えていた矢先、舐めるなよとばかりに冬将軍が息を吹き返す。

3月の声を聞くと同時にぐんぐん気温が下がる。

ネットの開花予想はどんどん後方へと押し流され桜の木は沈黙を続けた。

開花を予想していた彼岸になっても当然開花の便りは聞かれない。

直球を待っていたところにいきなりカーブを放られタイミングを外されたような気分だ。

各気象会社の開花予想は迷走した。

それでも、腰が砕けながらもやっとバットの先で季節を捕まえて

むりやりヒットゾーンに運んだようなもので

待ちに待った2024年の岡山地方の開花が3月30日。

そして、381系特急スーパーやくも色のラストランが4月5日。

あの薄紫の車体と桜の共演が叶う。

満開予想はタイミングをあわせたかのように同日の4月5日。

 

文字通り満を持して。

これが季節というものの意志なのであれば、なかなか憎い演出である。

舞台は整った。

さようならスーパーやくも色。

咲き誇る一本桜の向こうから、この日の主役がその姿を現す。

「待ってました!」

そう声をかけたくなるような出来すぎの風景。

これが見たかった。そう思うと自然に目頭が熱くなる。

ラストランに添えた文字通りはなむけの桜。

間に合って本当に良かった。

季節の緩急に振り回されながらやきもきしたが、

思えばこの列車に一番ふさわしい季節の旅立ちだったのではないだろうか。




中国山地を越える伯備線の中にある木野山駅。

知る人ぞ知る桜の木に囲まれた駅である。

運よく満開の時期に訪れれば、

桜の花に埋もれている小さな地方駅の姿を目にすることができるだろう。

この国の輸送の歴史を刻んできた国鉄特急色も最後の一編成。

しかし、この編成も6月に引退。

咲き誇る桜の中を走る姿は、これが最後。

惜別の桜が目に眩しい。

381系は山陽、山陰を高速で結ぶ為に導入されたカーブに強い振り子式列車。

しかし、その列車がこの駅を通過する際はその速度を落として

最徐行で進入する。

それはまるでこの国を代表するもの同志がお互いをリスペクトする儀式のように見えた。

桜は国鉄特急色に対して、国鉄特急色は桜に対して最敬礼。

JNRのロゴがきらりと光る。

たとえ、その徐行がレールポイントの多いこの駅に進入する際の

日常的な所作であったとしても

この日だけは特別な感慨を引き起こすに十分な光景に写った。



「どうして千葉にいるのにこの駅の桜のことを知ってるの?」

昨年この地を訪れた際に立ち寄った喫茶店に再度訪問した。

その際に知り合った地元の常連さん。

たしか、私が千葉から来たことに昨年も驚いていたはずだが、

今年も同じように驚いてくれた。

この季節に一年ぶりの再会。

そして上記の疑問を投げかけられた。

地元にいると当たり前すぎてこの駅が全国の趣味人たちに注目されていることに

気が付かないらしい。

「こんな田舎の小さな駅にみんなよく来るわ・・・」

そんな思いなのだろう

「ご存知ないかもしれませんが、ここの駅の桜は全国的に有名ですよ」

そう答えたら、彼女たちはまた驚いていた。

たとえ、この駅に似つかわしくない(と、私は思う)新しい車両にすべてが置き換わっても

この桜たちは優しくその車両たちを迎えるに違いない。

そして、来年も彼女たちはこの店で珈琲など飲みながら

ちょっとだけ変化がおこった風景を眺め続けるのだろう。

その時に、

「今年はあの人来ないねぇ」と少しでも思い出してくれたら嬉しいと思う。

撮影後に駅周辺で桜を眺めていたら、上記の常連さんたちが

歩いている私の横を車で通りかかった。

彼女たちは車の窓を開け大きく手を振りながら叫んでくれた。

「気を付けてねぇ。来年もまた来てねぇ」

と。



この駅は上りと下りのホームを結んでいるのは

道路の歩道橋のような跨線橋になる。

屋根も無く開放的だ。

その階段を上り詰めると、すぐ脇にある桜の花と同じ目線になる。

いつもは見上げている小さな桜の花々がすぐ目の前だ。

目的の列車を待ちながら、昨年訪れた時と同じように

桜の花々に語り掛ける。

「こんにちは。今年もお邪魔します。相変わらず可愛いねぇ、君たちは」

桜と話している私の傍らに一人の老婦人が座っていた。

私の隣でカメラを構えている趣味人の相方さんらしい。

「ご主人のお供で大変ですね。この趣味は待ち時間が長いし」

私はつい語り掛けてしまった。

すると、老婦人はおだやかに笑い、

「今回はね、桜が綺麗だから良いの。」

と嬉しそうに言った。

多分次の機会にどこかで巡り合ったら、

今回はね、紫陽花が綺麗だから・・・。今回はね向日葵が綺麗だから・・・。

と微笑むかもしれない。

穏やかな笑顔と共に延々と季節のお供をする。

それは、素敵な余生だなぁ。

婦人の笑顔を見ながらついそんなことを考えていた。

やがて時が満ち、そんな私と一組の老夫婦の前を

満開の桜をかすめるように薄紫のスーパーやくも色が通り過ぎていった。



「季節を捕まえた。」

そう思って岡山に乗り込んだが、沿線の花の咲き具合が気になってしょうがない。

岡山の駅から撮影地の木野山に向かう沿線の桜を見ると

どの桜も、まだ三分から良くて五分の咲き具合だった。

最近、撮影に出かけても狙った車両が運休と言う間の悪さが続いたので

捕まえたつもりが、また外してしまったかもしれない。

とがっかりして車窓を眺めていると、

不思議なことに標高が上がるにしたがって花の開き具合が増してくる。

木野山の駅の状態は紹介した写真の通りほぼ満開。

通常であればふもとの桜の方が早く咲くのではないかと思うのだが、

これはどういうことだろう。

嬉しい誤算というのはこういうことを言うのかもしれない。

満開の木野山で出会ったご高齢の趣味人の方は

神奈川から丸一日をかけて青春18切符でここまでたどり着いたらしい。

始発で出て岡山の現地着が22時半頃だったという。

ずっと各駅停車の車窓から桜の咲き具合を観察しつつ

現地までの長い時間を過ごしたのだろうか。

各駅停車の長時間移動もそうだが、桜の咲き具合に一喜一憂していたら

それだけで心が折れそうな気がする。

多分途中から。なるようになるだろうと開き直ったのかもしれない。

結果良ければすべて良し。

「良い咲き具合で良かったですよね。」

と互いに、ここまでたどり着いた喜びを分かち合った。



381系は順次引退をしていく

国鉄特急色が引退する6月までに再びこの地を訪れることは無理かもしれない。

やはり岡山は遠い。

そうすると、国鉄特急色を肉眼で見ることが出来るのはこれが最後。

ふと、そう思った。

そろそろ引き上げなければならないなと考えた時に頭をかすめたそんな思いに、

急に惜別の感情で胸がいっぱいになった。

少なくとも桜と絡めて撮影できるのは最後であることは確定している。

もう一度その雄姿を撮影できないものか。

列車は木野山の駅を出ると陸橋を渡りしばらくは川沿いを走ることになる。

その川沿いには桜並木。

そして、線路は桜よりやや高く位置にあるので

桜並木の上を滑るように走る列車を見ることが出来る。

その風景を最後にカメラに収めておきたい。

しかし、そこは、木野山の駅から少し距離がある。

撮影後、取って返して木野山に戻ったとしても

岡山行の列車の発車時刻は国鉄色の通過予定時刻の15分後。

そして、その列車に乗らないとその日のうちに帰京することが出来ない。

さて、どうしようか。

ちょっとリスキーだと思ったが、ここまで来て多少の危険は想定内。

もし乗り遅れたら、岡山にもう一泊しよう。

そう決めて撮影地へ。

日没ぎりぎり。

何とか明るさを保った18時10分頃。

時刻通りに国鉄特急色はその姿を現した。

前日はやや遅れ気味だったのでハラハラしたが。

貫通扉の無い私の好きな昔ながらの顔にテールランプが赤く輝く。

別れはいつもテールランプとともに。

今まで何回この姿を見送っただろうか。

私が訪れた2日前は満開前で少し早いかなと感じた桜たち。

しかしこの2日間の暖かさでこの時は満開。

その満開の桜の上を滑るように私の幼き頃からの思い出が走り去っていった。



撮影日:2024年4月4日~5日
撮影地:伯備線 木野山駅 木野山⇔備中川面 木野山⇔備中高梁



この桜の花を一昨年桜の季節に旅立った叔母に捧ぐ