宮島そして呉 | てっちゃんのまったり通信

てっちゃんのまったり通信

yahooブログから引っ越してきました。引き続きよろしくおねがいします。



所用があり広島に行くこととなった。

できれば岡山で途中下車して国鉄特急色にレンズを向けたかったが、

残念ながらそのような時間を取ることは出来なかった。

東京駅の19番ホーム。

今でこそどこの駅でも見かけるようになったホームに向かうエスカレーター.

それは昔、新幹線駅の専売特許だったように思う。

地元でも勤務先の駅でも、日常的にエスカレーターを使う昨今。

これを登り切ったら遠い地名の行き先表示板と出発を待つ

新幹線が見えたらなぁ。といつも思っている。

ゆえに、エスカレーターに本物も偽物も無いのだが、

新幹線ホームに登るこのエスカレーター。

これに乗ると、つい「本物だ。」と思うようになった。

登り切った先ではいつものアナウンスにまじって、旅立ちを控えた少し浮き立つような雰囲気。

同じ駅でもいつもの駅とは大違いである。

今では、北へ向かう新幹線を従えるようにはなったが、

ここは、新幹線営業運転発祥の地であり、老舗の貫禄が漂う。

あの頃は東京から新大阪まで4時間10分。

今では、4時間をかけずに、広島までたどり着いてしまう。

速達。

新幹線が夢の超特急と呼ばれたのも、まずはその速達性にあった。

それまでは苦労してたどり着いた目的地にあっという間にたどり着く。

まさしく夢でしかない。

その点では、創生期から今日まで、どんどん進化を遂げていると言えるだろう。

しかし、進化と共に、新幹線から無駄なものとしてそぎ落とされていくものがある。

食堂車、車内販売、そして、来春には喫煙も、昔日の夢となる。

「移動時間を短縮しているのだから、それ位我慢しなさいな。」

そういうことなのだろう。

しかし、旅というものは、早く着いててしまえばいいというものではない。

新幹線という特別な空間の中で過ごす時間も大切な旅の一部なのである。

車内での滞在時間が短くなれば、確かにいちいち食事とかは不要になってくるかもしれない。

しかし、そこから生まれてくる余裕とか品格とか非日常性。

そんなものが失われていく感じがする。

人を速達させるだけの列車。そこに浪漫など不要である。

先の拙写真展のキャプションでも記載したが、

多少の不便はあったが、0系には夢があった。

ビッフェの片隅にあるアナログな速度計を輝く目で見つめる少年。

そんな絵はもう見ることが出来ない。

広島までの時間、久しぶりの新幹線の車内をながめながら、

そんなことを思いながら時間を過ごした。



現在は、グリーン車のみ、珈琲、アイスクリーム、軽食などは提供される。

販売の最中には、必ずどこまでの乗車なのか聞かれることになる。

別にアイスクリームを売るための台詞ではないのであろうが、

溶かす時間がそれなりに必要な新幹線特有の固いアイスクリーム。

これがまだ健在であったのは喜ばしいことで、

無理をしてグリーン席を取った価値があったと思った。



広島土産と言えば「もみじ饅頭」。

宮島のもみじがモチーフだという事なので、さぞかしと思い期待もしたが、

残念ながら、すでに紅葉の時期を終わっていたようだ。

どちらにしても花より団子派の私としてはもみじ饅頭を食することが優先。

いや、もみじ饅頭自体形の違う人形焼きのようなものなので、

以前テレビで見た覚えのある「揚げ紅葉」というものに期待した。

概ねテレビ情報の追っかけで食事をしても裏切られることがほとんどだが、

これは美味しかった。

どういう作用か分からないが、揚げることによりカステラの地と中のあんこか

より一体化してトロリととろけるような味を出しているような感じだった、

期待薄の状態で食したことも手伝い、一口食べて思わず、

「うん、これは旨い」

とうなってしまった。

しかし、これはお土産には向いていない。

その場で揚げたてを食べるのがいいのである。

現地でしか味わえない味。

これには満足した。



肝心の厳島神社。

どこの世界遺産にもいえることだが、

とにかく人が多い。

良く観光案内で見るところの、神秘性に富んだ神聖な雰囲気はどこにあるのだろう。

海の上にすっくと立つ鳥居。

その手前におごそかな朱塗りの、これも水上に浮かぶ神社。

想定はしていたが、わらわらと人の群れに紛れながら、

その片鱗を垣間見る程度。

「とにかく行った。見るものは見た。」というべきか。

この島に上陸してまず迎えてくれるのが鹿の群れ。

その鹿たちは、この島に生息する野生のものらしい。

しかし、おおよそ野生という語感とは程遠く、観光客の群れの中にそれは、納まっている。

まぁ、こんな感じなんだろう。

朝の通勤駅のように人をよけ、さらに鹿をよけながら思った。

しかし、その観光客が概ね帰路に就き、夕暮れが近づいてくると、

ライトアップされた鳥居の周辺の潮が引き始め、空が深い青から黒色に変わる。

そのあたりの時刻から風景が神秘性を帯び始めた。

昼の喧騒はどこへやら。

さざ波とも言えない程度の潮の動きに浮かび上がる赤い鳥居。

空は刻々とその色を変えていき、拝むというのにふさわしい雰囲気になってきた。

三脚を持参できていれば星の流れを写し込めれば美しい写真になるだろうと思う。

ここで初めて世界遺産を満喫することができた。



「こ、これは新種か?!」

その昼間の喧騒の中で揚げもみじを待つ間に

一羽の小鳥が目の前に舞い降りた。

朝の連ドラのどこやらの博士ではないが、

ついそう思った。

どう見てもヒヨドリの風体をしながら、羽根は青みを帯び、腹はオレンジ色に染まっている。

「これがジョウビタキ?」

と尋ねられたが、全く違う。

どうみても、ヒヨドリにしか見えない。

私の常識ではヒヨドリはマイナスカラー(モノクロということ。流行りの言い回しにしてみた)。

こんなに鮮やかなものではない。

しかし現実に目の前のヒヨドリは、美しく彩られている。

夢でも見ているのか?

大袈裟でなく少しそう思った。だから、新種?なんて発想になる。

しかし、「胸がオレンジの野鳥」で調べてみると、

この鳥はやはりヒヨドリの一種で「イソヒヨドリ」と言うらしい。

なるほど。

こんな人ごみの中で新種の野鳥など見つけられるわけが無いが、

かなり胸躍った一瞬だった。



夕日に染まる戦艦大和。

ここを訪れるのであればこのような風情の写真を撮りたい。

そう思っていた。

ここというのがどこかというと、かつての軍港呉にある「大和ミュージアム」。

映画で使用されたという1/10スケールの戦艦大和が展示されている。

元の大和の全長が263ḿなので1/10とはいえ小学校のプール以上の大きさがある。

端から端まで歩くだけでもそこそこ時間がかかる。

しかし、それだけの大きさ、そしてち密さを持っていても漫然と写してしまえば

小さな写真の中でプラモデルのように写ってしまう。

何とか本物味を出したい。

そんな思いで夕刻に太陽を使い、ほぼ逆光に近いシルエット写真にした。

事前に思い描いた絵が撮れて満足はしたが、

なんか、どこかで見たことがあるような。

そんな思いが残った。

そして後日、宇宙戦艦ヤマトの4K上映のホームページを見て

ああ、これか。と思う。

物語の中で主人公の古代進と相棒の島大介が

敵の攻撃で海が干上がった地球で

沈没したままの姿をあらわにした大和を発見した時。

これが夕日に照らされた戦艦大和だったのである。

学生時代夢中になって見た宇宙戦艦ヤマト。

知らずのうちにその幻影に引っ張られてしまったという訳なのかもしれない。

しかし、それなりに本物っぽい重みのあるものが撮れたのではないかと

文字通り自画自賛している。



大和ミュージアムには私にとってもう一つの目玉がある。

それは、海軍零式艦上戦闘機。

俗にいうゼロ戦。

これも展示してくれている。

私が子供の頃は、「もはや、戦後ではない」とか声高に言われていた時代。

そんなことが意識的に言われているという事は、まだ戦後が続いているという

事にもなるだろう。

比較的戦争をまだ、引きずっている時代だった。

あれだけの悲劇を呼んだ戦争であったのにもかかわらず、今では不思議に思うのだが、

多数の戦記物の映画、子供向けの漫画にはゼロ戦や戦艦大和を題材にしたものが

どの雑誌にも掲載されていた。

そして、プラモデルと言えばゼロ戦。お風呂に入れるおもちゃと言えば戦艦大和。

そんな時代の子だったので、この飛行機には強い憧れがあった。

これはすごい。

夢中でシャッターを切ったが、やがて、これらが実際の戦いに出たものであることに気が付く。

ただ、格好いいなぁと憧れられた頃は幸せだったのかもしれない。

その歴史、背景を知ってしまった中では、ただ、格好いいでは済まない感情が心に残る。

これがSFのような、ただの絵空事であり。

その格好良さをを誇るだけのモノであったならば、

もっと心から喜ぶことが出来たのかもしれない。

大和やゼロ戦を眺めながら、心に重いものが残った。

もしかしたら、その平和の後ろめたさを感じてほしいためにこのミュージアムは存在するのかもしれない。

今の日本も武力は所有している。

これもどこかで読んだ

「抜かずの剣こそ、我らの誇り」という言葉。

その言葉を信じながら、心の中で静かに手を合わせた。

撮影日:2023年12月3日~4日
撮影場所:宮島・呉