一年の中晦日を紫陽花と | てっちゃんのまったり通信

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この季節

駅までの通勤路に様々な紫陽花が彩を添え目を喜ばせる。

その多くは街路樹ではなく、一般家屋の庭で花を咲かせている。

よくは知らないが、この花は気楽に庭におけるようなものなのだろうか。

「身近に置きたい。」

小さな小さな花が寄り添う姿は、そんな思いにさせるのかもしれない。

そして、この花は様々な色彩で楽しませてくれる。

私の好みは、明月院ブルーに代表されるような水色か青色のもの。

雨でにじんだ水彩画のような印象のある紫陽花は

この色が一番自然な感じがする。

湿気に悩まされるこの季節の一服の清涼剤。

ただ、眺めているだけではもったいない。

今年の紫陽花(の撮影)をどうしようか。

思考はどうしてもそちらへと向かう。

行きつけの喫茶店の一角にある写真も

朝もやに煙る森の中にある紫陽花をモチーフにしたものに変わった。

流石に良く撮れている。

ちょっと悔しいと、思いつつも、なかなかタイミングを掴めない。

どんどん季節だけが深くなっていく。

「今年の紫陽花は見送りかな」

忙しさにかまけて、つい愚痴がこぼれる。

通勤途上、今回の朝ドラの主人公ではないが、道端の紫陽花に語り掛ける。

「まだ大丈夫か?元気か?」

と。

どの紫陽花も一様に答える。

「もう、そろそろわたくしどもの季節も終わりですね。今まで何をされていたのですか」

なかなかに手厳しい。

物事には常に限りがある。

今年の紫陽花を撮るにはもう限界がきていた。



箱根登山鉄道や江ノ電の沿線に咲く紫陽花もいいが、

今年は、小湊鉄道の紫陽花を選んだ。

紫陽花のパートナーは国鉄型のキハ40でいきたい。

男鹿から来たキハ40の緑のウィングデザインが紫陽花の花や沿線の緑に映えるだろう。

さて、美しい紫陽花、そして男鹿色のキハ40にうまく巡り合えるだろうか。

しかし、五井の駅で待っていたのは通称タラコと言われる首都圏色。

「なにか問題でも?」

真っ赤な顔で彼が答える。

・・・相変わらず自己主張の強い色だ。

しかし、先般撮影した田植え直後の田園風景にこのタラコ色は結構よく映えた。

今回は、いわさきちひろの絵のように淡い感じに撮りたい、

さて・・・。

撮影場所に選んだのは「高滝」。

そこの駅から望む丘の上に群生している紫陽花がある。

逆にその花側から花越しに駅を望む。そこに出入りするキハ40。

そんなイメージだ。

ここの紫陽花は、赤紫と水色。

タラコ色は水色の花だと強すぎるが、

赤紫の紫陽花に良く似合う。

想定していたイメージとは少し違ったが、これも有り。

とにもかくにも第一目標のキハ40と紫陽花のコラボをカメラに収めることができた。

ひと安堵したのちに若干角度を変えてみる。

今去ったばかりのタラコ色が終着の上総中野から戻ってくるまで約1時間半。

撮影場所は斜面。

梅雨の合間の日差しは強烈なものがあるが、それと正対する形で

時をやり過ごさねばならない。

日陰に待機も考えたが、足腰に自信が無い私は、

その場を動くともとに戻れないのではと考え、じっと耐えた。

ほとんど日干しになりかけた私の目に入ったのは・・・・。



ほぼ1時間、時間によっては2時間に一本のダイヤ。

日に焼かれながらぼんやりしていると、踏切の警報音が鳴り始める。

先ほどのタラコ色の後続の下り列車だ。
(つまり1時間ほど経過していることになる)

「多分、小湊鉄道色のキハ200だろう。」

そう思う。

後ほど帰ってくるキハ40の為の画角調整、練習電にしようとカメラを構える。

しかし、タイフォンとディーゼル音を響かせファインダーに飛び込んできたのは

撮影前にイメージしていた男鹿色のキハ40。

「まじか。」

嬉しいが、少し慌てる。

確か、五井でその姿を見た時は検修線で、

だらしなく扉を開けっ放しにして昼寝をしていたはずなのに。

どこかの戦記物で読んだ一文が頭をよぎる。

「これは演習にあらず」

私の好きな淡い水色の花と緑の葉に、キハ40の緑のラインが映える。

この地を訪れる前にイメージした通りの景色がそこにあった。

もしかしたら長く日に焼かれた末の幻覚ではないか。

そんな風にも思った。

練習電が、本番になった一瞬。

しかし、これは嬉しい誤算だった。



通勤路の紫陽花も、徐々にその季節を閉じ始めた。

「おかげで、何とか間に合ったよ」

そう声をかけながら駅への道を急ぐ。

暦も7月。

この花を見送るとちょうど一年も折り返しになる。

その寄り集まった小さな花の一つ一つはこの年の前半に起こった

様々なことを表しているのではないか。

ふとそんなことも思う。

植物学的にはどこからどこまでを花というのかはよく知らない。

しかし、この小さな花の数くらい今年の前半は色々なことが起こり、

ひとつの花になった。

そして、これからの後半戦もまた同じように色々なことが起こり

その出来事のひとつひとつが、寄り集まり、一年という花となるのだろう。

12月31日を大晦日というのであれば、6月の末日は中晦日(造語)

その日をを今年も紫陽花の花と越えることとなった。



撮影日:2023年6月25日
撮影場所:千葉県、小湊鉄道線 高滝駅付近