春を待たず・・・・。 | てっちゃんのまったり通信

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yahooブログから引っ越してきました。引き続きよろしくおねがいします。

 

さだまさしと言えばフォークの世界では、もはや、大物シンガーと言っても良いだろう。

そのさだまさしがこの世界に入る際のグループが「グレープ」というフォークデュオ。

現在では、さだまさしの名前のバリューが大きすぎて

まずはさだまさし、そして、そのさだまさしは、最初はグレープというグループだったらしいよ。

位の扱いが一般的である。

しかし、我々の世代は(少なくとも私は)、さだまさしは今でもグレープの延長線上に存在するものなのである。

グレープを懐かしむために、さだを聴く。

さだまさしの純正なファンには怒られてしまうかもしれない。

しかし、フォークの世界にバイオリンを持ち込んだ新鮮な感覚と

当時のさだまさしの独特の高音域は、まさしく時代のフォークだった。

どの歌の中でも情景豊かな風景が浮かび、それだけで上質の物語を

描き出している。

そして添付されている歌詞カードには、必ずその物語を紡ぎ出した

背景を解説するライナーノートが付されていた。

私は、このライナーノートの文章を読むのが楽しみだった。

そのグレープが今年50周年を迎え、グレープ名義では4枚目となる

新たなオリジナルアルバムを発売した。

十数年前に、干しブドウを意味する「レーズン」(グレープが年を取ったという洒落)

 

名義でCDをリリースしたが、

その曲調は当時のさだのファンをかなり意識したもので

グレープのものではなかった。

そして、今回の復活。

 

さだの相棒の吉田が「やるなら『レーズン』じゃなくて『グレープ』をやるよ。」

との意気込みで制作に臨んだ。

その曲作りの険しさは、先日放映されたNHKプロフェッショナル仕事の流儀

で紹介されている。

その難産な曲たちの中でさだが提示したうちの2曲を

「これはグレープじゃない」

と吉田が没にしているという。

さだは、このアルバムを語る時「吉田に2曲もボツにされた」との恨み節を言ってはいるが

恨み節を吐きながら、その吉田の姿勢がとても嬉しかったとライナーノートで吐露している。

まず、手に取ったライナーノートは年月を経て、文章は、さらに重厚さを増した感がある。

しかし、そんな中でもきちんとグレープらしい文言で埋め尽くされていた。


「『恋』とは二人が同じ名前の夢を信じていられる『時間』のことを言うのかもしれません。

しかし二人が共通できる『夢』を現実に変えるにはまず『夢』から覚めなければなりません。」

この文言が飛び込んできたとき、かつて、同じ名前の夢を信じあっていた女(ひと)の横顔を

思い浮かべ、思わず涙してしまった。

同時に

「タバコをくわえたら、あなたのことを、突然思い出したから

涙の落ちる前に故郷(くに)へ帰ろう・・・」

交響曲(シンフォニー)という曲を思い出し、思わずくわえていたタバコを落としそうに

なってしまった。

「見栄えのしない玩具」になりさがった我が身を思い出しながら、ゆっくりと

ライナーノートをめくる。

「夜汽車は僕に故郷までの長い時間を与えてくれました。挫折を繰り返した青春の頃の

最も深く、悲しく、痛い時間でありました。

しかしうつらうつらと眠ったような眠らぬような一夜のおかげで、諦めるべきものを諦め、

失ったものの重さを胸の中に弔うことが出来た、そんな時間かもしれません。

夜汽車は既に無く、孤独を恐れるだけで自分と語らうことの無い『考えない時間』ばかりが

増えました。」

思わず頷く。

 

一人の人間として、そして、鉄道ファンとしても。

効率よく消化していくことだけが評価される昨今。

強制的にでも、その与えられる時間が愛おしい。


人々の嬌声が何となく疎ましく思えてしまう今日この頃。

このアルバムに巡り合えたのは私にとって唯一の救いなのかもしれない。

1、うたづくり
2.夢の名前
3,縁切寺
4,春をまたず君を離れ
5,天人菊
6,無縁坂
7,ゲシュタルト崩壊
8.春風駘蕩
9.花会式
10,精霊流し

吉田正美のギターが冴えわたり
フォークデュオらしいハーモニーが美しい曲たち。

あの頃
 

そして、

 

 

を生きてきたことを感じさせる
 

50周年記念にふさわしいアルバムであると
 

私は思っている。



 

購入日 2023年2月19日
春を待たずに君を離れた日