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Cobalt Blue Attic

takenoのブログ。旅行記や本、仕事、日々のことなど。

今月は、進学のための説明会へ。
高校を辞めたことがあるくらいに、勉強や学校は嫌いなんだけれど。
座学が多い「学問」という方向ではなくて、「手段を研磨するフィールド」という実践教育の学校に行こうかと。

総合科の高校は辞めたけれ、専門性の強い大学に行き、私はそこでは楽しい時間を過ごせた。
実践課題が多い大学で、先生が若くて現場叩き上げの方たちだったから刺激になり、自分の能力が上がっていくことが実感できた。(成績は悪かった)

会社でいくらでも仕事の実践はしてる。
けれど、会社が蓄積してきた手段は古くて本当に非効率だから、新しい手法を持って帰ってきて、自分の居心地を良くしたい。
会社のためというよりは、自分のためである。

転職も視野内にいれていたらオフィスが都内に移動して好条件になったので、転職はまた次の機会に。

人生の折り返し地点に来ているので、後半も充実させたい。

今日は卒業してからのプランを考える。
高圧的で不愉快な人と一緒に働いていると、「自分もこんなふうに見えているのかなぁ」という、自身に対する嫌悪感が湧く。

また、「相手を今、不愉快な気持ちにさせたな」と自分で気づいた時、どんなフォローの仕方をしたら、相手の不快が軽減するかな、とも想像する。

謝ったり謝ってもらったり、
語調が強いだけだったら優しく真意を聴かせてもらったりといったことで、
早めに双方の気持ちの痛みが治るというような、態度や言葉や方法をいつも見つけたい。

フォローと言っても、届くものは単純に誠意であったりするから、繕うような嘘は逆効果だろうということはわかる。

今は何を言い繕っても徹底的に許せないという状態になっていることもあるし(自分もある)、
理路整然と説明して問題と関係ない部分のプライドを傷つけることもあるだろうし、
自分の頭を整理しきらずに話し続けてもっと不愉快にすることもあるだろうから、
時間を開けたほうがいいこともあると思う。


でも、そもそも、どうして高圧的な偉そうな人が嫌な感じに見えるのか。
こちらも無駄に自分を高く評価し過ぎて、張り合うような気持ちだからではあるまいか。
相手は本当に偉いんじゃないか、偉い人は態度も低姿勢で言葉も圧がなく美しいというのはこちらのイメージの押し付けではないか。


今日のメモ:
徹底的にやり込めようとする時は自分の加虐性に気持ちよくなる成分が脳から出ている。
やり込められるとどうなるかを、いつもスウィッチして想像する。




正月帰省。

父が、気に入ってた万年筆のインクが切れて替えがわからないという。
雑誌「サライ」の付録だったらしい。
見ればカートリッジに品番の記載がなく、私が使用しているものとは長さも口の形も違う。
とりあえず、近所のツタヤに買いに行く。

目視で形状を確認し、試し買いして万年筆にセットしたところ、下記の商品が適合した。

● OHTO
オート カートリッジ 万年筆カートリッジ 黒 FCR-6クロ/オート
¥216
Amazon.co.jp



ヨーロッパタイプだとセーラー製など他にも使えるものがあるらしい。
けれど、見た感じカートリッジのインクを吸う口あたりの深さ(長さ)が違って心配だったので、その部分の深さが合うことを優先して選んだところ、無事に文字がまたかけるようになった。
(5秒くらい出なかったので、ペン先をお湯に浸してみたら出てきた。)


職人さんが毎日使う「道具」と同じとはいわないけれど、一般の人にとって毎日触って使うもののことだから、感覚的に好きになったものは使い続けたいよね。
本当にささやかなことだけれど、解決できてよかった。
グランプリ・シリーズという構造。
世界各所で戦ってタイトルを取っていく、とってもタフな世界、いいね。