高圧的で不愉快な人と一緒に働いていると、「自分もこんなふうに見えているのかなぁ」という、自身に対する嫌悪感が湧く。
また、「相手を今、不愉快な気持ちにさせたな」と自分で気づいた時、どんなフォローの仕方をしたら、相手の不快が軽減するかな、とも想像する。
謝ったり謝ってもらったり、
語調が強いだけだったら優しく真意を聴かせてもらったりといったことで、
早めに双方の気持ちの痛みが治るというような、態度や言葉や方法をいつも見つけたい。
フォローと言っても、届くものは単純に誠意であったりするから、繕うような嘘は逆効果だろうということはわかる。
今は何を言い繕っても徹底的に許せないという状態になっていることもあるし(自分もある)、
理路整然と説明して問題と関係ない部分のプライドを傷つけることもあるだろうし、
自分の頭を整理しきらずに話し続けてもっと不愉快にすることもあるだろうから、
時間を開けたほうがいいこともあると思う。
でも、そもそも、どうして高圧的な偉そうな人が嫌な感じに見えるのか。
こちらも無駄に自分を高く評価し過ぎて、張り合うような気持ちだからではあるまいか。
相手は本当に偉いんじゃないか、偉い人は態度も低姿勢で言葉も圧がなく美しいというのはこちらのイメージの押し付けではないか。
今日のメモ:
徹底的にやり込めようとする時は自分の加虐性に気持ちよくなる成分が脳から出ている。
やり込められるとどうなるかを、いつもスウィッチして想像する。