高い講座や高いセミナー、
あるいは高くはなくても、
とにかく誰かのセミナーなどの「シェア会」。
トリプル女神的には、「意味がないもの」としています。
さきこさんとの「設定変更セミナー」行脚の際も、
いろんな方に「シェア会やりたいです!」といちいち許可を求められましたが、
どうぞどうぞ~と言っていました。
実は、
「やってもどうせ意味ないけど、それでも良ければ・・・」
という意味です。
どうせなら、その人自身の「お話会」みたいにすればいいのですよ。
でも、「シェア会」を思いつく人って、
そういう勇気はないのね。
あくまでも、人の土俵に乗っかってきて、
そこでしかできないの。
受けたセミナーの参加費を取り戻したい、
という理由の人もいるようなので、
そういうのは本当にがめついです。
まぁ、「シェア会」って企画する人も参加する人も、
がめついわけですが。笑
かくいうわたしも、
がめつい女でした。
過去、「シェア会」というものに興味を持って、
一度だけ参加したことがあるのですが…
ハッキリ言って、意味ないな~と思っただけでした。
どれくらい意味がなかったかというと、
結局、数十万かけて大もとの講師の方に直接会いに行くことにしたほどです。笑
なんかね、すべてが中途半端。
「こう言ってました~」「ふーん」みたいな感じ。
なんというか、世間話的な…。
もちろん、シェア主だけが悪いわけではないのですよ。
聴く人の想像力とか理解力とか受け取り力とかも当然試されるわけ。
だって、「シェア会」と銘打つ限り、
それ以外の場にはならないから。ただのシェア。ただの言葉の羅列。心が乗らない。
どうせなら、
その人自身の「お話会」みたいにすればいい、
っていうのも、
どうせその人のフィルターを通してでしかシェアできないんだから、
堂々と自分の土俵でやればいいのに、ってことです。
「〇〇さんのシェア会」というよりも、
「〇〇(自分)のお話会」というほうが、
もちろん「責任」というか、なんとなく重厚な雰囲気になるでしょ?笑
いや、ものまね芸人級に完コピしてくれるなら別ですよ!
でも、無理じゃないですか。笑
でもね、それくらい堂々とできないのであれば、
どうせその人は肚落ちも腑に落ちてもいないってことなのですよ。
そして、そんな人の言葉にはなんの説得力もない。
「資格保有者じゃないからダメ」
というロジックではないですよ?
資格なんてもともとないし、
センスがいい人ならとっくにモノにしていますから、
もっと堂々と出来るはずだと思うわけです。
だってだって、ただ「良い話だからシェアしたい」というだけなら、
勝手に自分のブログでやってればいいんです。
(このブログを立ち上げたときなんて、まさしくそういうシェアブログでしたから!)
まぁ結局、シェア会に参加するような人も、
最初から「大もとの人」から聞きたいんですよ。
だって違うもん。
「怒りは尊い!」「自尊心!」ってトリプル女神が言うのと、
そのシェア主さんが言うのと。
聞く人の、受け取れるものが違いすぎる。
大もとのセミナー参加費なり、日程調整をケチる程度の人だから、
「シェア会」に飛びつく。でもそれ、完全にお金の無駄です。無駄遣いです。
わたしも当時は、がめつすぎて、自分のそんな気持ちに気づけなかった!
それほどにがめつかったわけです。あいたたた。
でも、それに気付いてからは、
必ず自分で会いに行ってからジャッジするようにしています。
まずは自分の五感と直感を以って、
全身でその人を感じるために、です。
「会いたい人に会いに行く」
「憧れの人にお金を遣う」
ということを、わたしは以前から推奨しています。
それは、人それぞれ、感じるところも刺さるところも全く違うからです。
人づてに聞くのではなくて、
本人の口から聴ける言葉だから、
心の琴線に触れるのです。
だいたい、イベント前からシェア会する気満々とか、
それって全然純粋じゃないよね。打算だけだよね。
来て下さらなくていいですし、
きっと何も理解して頂けません。そういう方は。
以上の理由から、
少なくともトリプル女神は「シェア会」を佳しと思っていません。
わたし達が「この人からなら聞いてもらってもいいかも」と思う人は、
大抵個人セッションとか満員御礼級なのですよ。そもそも。
肚がすわってるから。腑に落ちてるから。
ちなみに、わたし達が「シェア会」についてのよしあしを判断してるのは、
「脳力」のほうです。センスです。センス。
「今」の幸せの連続が「未来」であると思い出すメモリーオイル