「ありのままブーム」によって、
多くの女性が通ってきたであろう「通過点」のひとつに、
「お化粧したらキレイなわたし」は、本当のわたしなのだろうか。
というのがあるように思います。
お化粧や美容整形で美人を手に入れることに抵抗がある、
という方も(言わないだけで)たくさんいるのかもしれない。
実は昨日まで「姫ゲバお茶会」のグループフォローをしていたのですが、
その時も出てきた話題でした。
「偽物のクセに、モテたり優しくされるなんてズルい!!」
わたしも、美容に本腰を入れるようになるまでは、
そんな風に思うこともありました。
だけどその考え方って、
「ありのままのわたしゴリ押しブス」候補にもなり得るなと思っていて。
ナチュラル系美人代表の山口智子さんとかを見ていると、
ああ、『あんなふうに何もしなくてももともと美人です』っていう人が羨ましいなぁ
と思います。
だけど同時に、
わたしは自分が「そっち側の人間」ではないことを自覚しています。笑
この、「自覚すること」がとても重要だと思います。
で、その判定基準はといえば、
実は世間の目ではなくて、
自分の目から見た「美の基準」になるのです。
去年、急に母に思い出されて言われことがあります。
「お姉ちゃんはいつも鏡を見て、
『ママ、わたし本当にブスだね』
って言ってたのに、
よくぞここまでキレイになったわね。」と。笑
我が家は三姉妹なのですが、
双子の妹は顔立ちがわたしよりも全然くっきりしていて、
鼻も高くて目もパッチリしていて、
「美人可愛い」の代表みたいな感じでして、
わたしが唯一自慢できることといえば、
色が白いことと、色素の薄い目の色ぐらいでした。
「最初に生まれた子供には、
親の悪いところが全部出るんだ」
とわたしを長女として産んだ神様や親を恨み、
「魂時代」にちゃんと外見を美しく設定してこなかった自分を恨みました。←ほんとです!笑
「どうすればキレイになれる?」
いつしか、そればかりを考えるようになりました。
と同時に、生まれたままの姿を美しいと思えない自分自身への葛藤も、
いつもいつも付きまとっていました。
だけどそれは、「美の照準」を世間に合わせるのをやめて、
「自分自身の好みそのもの」をガイドラインにするようになってから、
どんどん薄れていきました
「わたしの好きなわたし」と、
「誰かの好きなわたし」というのは、
違うかもしれない。
だけど、わたしのことを好きなようにできるのは、
世界にたった一人、「わたし」しかいないのです。
それに気付きました。
そうしたらもう、自然に「なりたいわたし」を目指すようになりまして、
いろんな人のメイク技術を参考にして、
自分を実験台にしていろいろやりました。
で、やっぱり思ったこと。
「美」にゴールはないし、満足することはないのかもしれない。
だけどそれでも、いつも自分のことは「自分にとってキレイな人」にしていたい。
もっと言うとね、
わたしは自分のフルチューン(お化粧した)顔を「好き」と思えるようになってから、
はじめて自分のスッピン顔を愛せるようになりました
稀にですが、
「もうあなたは十分にキレイなんだから、それ以上を目指さなくたっていいじゃない」
みたいなご意見を頂くことがありますが、
ありがたくも本当に余計なお世話です。
今よりもっともっと素敵になりたい。
そういう自分の「素直な気持ち」を、
わたしはとても大切にしています。
同時に、好きな服を何歳まで着ていいか、
っていうことも、他人がジャッジすることじゃない。
世間から見て似合う・似合わないという意見があるのは当然だけれども、
その人がそのスタイルが心地よいのであれば、
他人が口出しすることではないのです。
(本当はもっと変身したいのに、勇気がなくてできないだけの人は別ね!)
その代わり、「どんな自分でいたいのか」を知ることはとても大切です
(併せてお読みいただける過去記事❤)
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