人によっては人生の1/4とか1/3ほどでしょうか。
(あ、もうこんな世の中なので、超長生きする設定です。笑)
そう考えると、
たいした年数でもない気がします。笑
もの心ついたころからずっと、
親に愛される子供になりたくて
子供に愛される親にしてあげたくて
必死でした。
ひとりめの子供を産んで育て始めてみたら、
親に愛される子供にしてあげたくて
子供に愛される親にもなりたくて
やっぱりずっと必死でした。
産んだ瞬間は、
無事に産まれて来てくれただけで、
もうそれだけで満足!
って思っていた筈だったのに。。
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これ、今日のぢんさんの記事を読んで思ったことです。
きっと本当は、
産まれたばかりのわたしも、
無事に産まれてこれただけで満足!!
って思っていたかもしれません。
だけど、いつの間にか、
愛されたくて愛したくて
必死になっていたのでした。
わたしの目には、
この世というのが、
少しややこしく映っていたから。
他人を通して感じるそれは、
わたしのものではないと思っていたから。
目と、耳が捉えた具象にばかり気が取られて、
その奥にあるものを感じることを忘れてしまっていたから。
わたしは、人生の1/4とか1/3を費やして、
ようやく自分を自分のところに取り戻せた、
そんな感覚でおります。
(何度も言いますが、超長生きする設定ですから、人によっては人生のはんぶんです。)
みんな、ひとりひとり、
別々のバラバラな感覚で在ること。
だけど わたしたちは、
同時にひとつの存在で在ること。
忘れていてもなんの不便もないことだけど、
それを思い出すといろんな疑問がスルスルと解けて行きました。
それを「忘れていた」とか「思い出した」と思ったのは、
とても感覚的なところなのですが、
だけどとにかく、そう思ったし、そう感じたのです。