約一年前の2020/7/7火には、舞鶴高専で同窓会理事会が19:00からあったので、その前に京都府舞鶴市の舞鶴クレインブリッジから写真撮影していました。現在、舞鶴クレインブリッジは工事中なので、その下にある上佐波賀地区で写真撮影してみました。
2021/5/25火10:30ころの、京都府舞鶴市上佐波賀からの東舞鶴市街方面の眺めです。いつもの前島フェリーふ頭が見えています。この上佐波賀は終戦時に軽巡「酒匂」が擬装されていた場所です。
魚眼カメラ、なかなか素晴らしいですね。舞鶴湾が鏡のようです。正面が東舞鶴市街です。
上の写真の右側、湾口方面、烏島が見えています。
1945/7/30の舞鶴クレインブリッジ上空地点からの空襲時の写真、右下に擬装された酒匂が写っています。この辺りは潜水艦泊地でもあり、もしかして潜水艦も沈座していたかもしれません。
--Wikiより -- 7月19日に再び舞鶴湾に回航されたが、空襲の標的となる港内を避けて舞鶴市佐波賀の海岸に係留固定され、対空兵装を陸揚げした上で、甲板上に樹木を立てるなど入念な擬装を施した。擬装した藁に引火する恐れがあるため、対空射撃も禁止されたという。
--Wikiより -- 7月19日に再び舞鶴湾に回航されたが、空襲の標的となる港内を避けて舞鶴市佐波賀の海岸に係留固定され、対空兵装を陸揚げした上で、甲板上に樹木を立てるなど入念な擬装を施した。擬装した藁に引火する恐れがあるため、対空射撃も禁止されたという。

現在の航空写真
酒匂は1942年(昭和17年)11月21日、佐世保工廠で起工した。翌年4月9日に進水し、11月30日に竣工した。 艤装員長の大原利道大佐が艦長となった。
空襲の標的となる港内を避けて舞鶴市佐波賀の海岸に係留固定され、対空兵装を陸揚げした上で、甲板上に樹木を立てるなど入念な擬装を施した。擬装した藁に引火する恐れがあるため、対空射撃も禁止されたという。7月30日の舞鶴・宮津空襲では港湾に在留した艦船も攻撃対象となり、駆逐艦初霜が擱座、潜水母艦長鯨の艦橋に着弾するなどの大きな被害が出たが、酒匂は損害を受けず、擬装状態のまま無傷で終戦を迎えた。7月30日の舞鶴空襲時、佐波賀に係留された酒匂を米軍機が撮影している。
1945年(昭和20年)12月1日、酒匂は特別輸送艦に指定された。外国海軍の将校が乗り込むこともあったが、大原艦長は敬礼を求めた豪州海軍の少尉に対し「こっちは大佐だ」とやり返したという。
空襲の標的となる港内を避けて舞鶴市佐波賀の海岸に係留固定され、対空兵装を陸揚げした上で、甲板上に樹木を立てるなど入念な擬装を施した。擬装した藁に引火する恐れがあるため、対空射撃も禁止されたという。7月30日の舞鶴・宮津空襲では港湾に在留した艦船も攻撃対象となり、駆逐艦初霜が擱座、潜水母艦長鯨の艦橋に着弾するなどの大きな被害が出たが、酒匂は損害を受けず、擬装状態のまま無傷で終戦を迎えた。7月30日の舞鶴空襲時、佐波賀に係留された酒匂を米軍機が撮影している。
1945年(昭和20年)12月1日、酒匂は特別輸送艦に指定された。外国海軍の将校が乗り込むこともあったが、大原艦長は敬礼を求めた豪州海軍の少尉に対し「こっちは大佐だ」とやり返したという。
2月25日、酒匂は特別輸送艦の指定を解除された。その後、核実験(クロスロード作戦)の標的艦として戦艦長門などとともに、横須賀でアメリカ海軍に引き渡された。日本海軍乗員による操縦指導が東京湾で行われたが、意思疎通不足によって主蒸気管が閉鎖されないまま巡航タービンのクラッチが切られた。無負荷となった巡航タービンは規定回転数を超えて暴走し、その轟音を聞いた日本兵とアメリカ兵はあわててタービン室から逃げだして事なきを得た。結果タービン1基が破損し3軸運転となった。
1946年7月1日 ビキニ環礁で行われたクロスロード作戦にともなう核実験(A-実験 空中爆発)では、酒匂は目標艦ネバダの約500~600m地点に配置されていた。だが爆心地点がずれ、ほぼ上空で原子爆弾が爆発した。その強力な爆風により艦橋より後方の構造物は、前方へなぎ倒された。艦尾部分は24時間近く炎上し、また艦尾にも亀裂が生じて浸水がはじまった。酒匂は7月2日、浅瀬への曳航作業中に左舷へ傾斜し始め艦尾から沈没した。現在は水深60mの海底に沈んでいる。
1946年7月1日 ビキニ環礁で行われたクロスロード作戦にともなう核実験(A-実験 空中爆発)では、酒匂は目標艦ネバダの約500~600m地点に配置されていた。だが爆心地点がずれ、ほぼ上空で原子爆弾が爆発した。その強力な爆風により艦橋より後方の構造物は、前方へなぎ倒された。艦尾部分は24時間近く炎上し、また艦尾にも亀裂が生じて浸水がはじまった。酒匂は7月2日、浅瀬への曳航作業中に左舷へ傾斜し始め艦尾から沈没した。現在は水深60mの海底に沈んでいる。
【補給艦ましゅう】佐波賀沖から北吸桟橋へ着岸するまで 2020/7/7火17:00
2020/7/7火17:00ころ、舞鶴クレインブリッジから、軽巡酒匂が最後に偽装して係留されていた佐波賀海岸を撮影して、タイムラプス動画撮影を開始したら、いきなり補給艦ましゅうが現れてびっくりしました。北吸桟橋に近づくとタグボートが押してくれて、くるっと回してうまく着岸します。なかなか良い光景です。
2020/7/7火17:00ころ、舞鶴クレインブリッジから、軽巡酒匂が最後に偽装して係留されていた佐波賀海岸を撮影して、タイムラプス動画撮影を開始したら、いきなり補給艦ましゅうが現れてびっくりしました。北吸桟橋に近づくとタグボートが押してくれて、くるっと回してうまく着岸します。なかなか良い光景です。
また上佐波賀は、呂号第500潜水艦(U511)などの潜水艦係留地でした。乗組員が付近の民家にもらい湯にいったとかが、舞鶴空襲の本の手記に書いてあります。そして、終戦に納得できなくて、呂号第500潜水艦らは白い幟をかかげて独断出撃し、説得されて帰港し、冠島付近に自沈されたとのことです。また、近くには浮島丸の沈没地点もあります。
左側、青葉山が見えています。
30秒のインターバルタイマ、良い景色です。
佐波賀への道、平工業団地から続いています。
忠魂碑
舞鶴クレインブリッジ、だいぶん上の方を通っています。
実は、この辺りは海上自衛隊教育隊の敷地から揚げられる花火の絶好の観賞場所です。
ウド?凄いなあ。
魅力的な海岸線、舞鶴高専時代はカブで走りました。
明るい
赤いクラゲが
フグ、魚釣りによくかかります。ハオコゼとかも、そしてアメフラシなんかもいます。
これはビワの木ですね。ここ大浦半島は日当たりが良く潮風も爽やかなので、ビワやミカンなどの果樹栽培も盛んです。
青葉山、海上からはひときわ高く、三角形なのでよく分かる目印になります。
西国33か所巡りで、天橋立の西国第二十八番札所.・成相寺から、二十九番札所・青葉山中腹の松尾寺までは船で行って、大波海岸に上陸し歩いたんですね。
東西の峰がほぼ重なって見えます。
凄く長いパノラマ
東舞鶴市街
造船所
ヘリコプター飛行場
格納庫のヘリコプターが見えています。その横に管制塔があります。就職説明会で行ったことがあります。自衛隊も就職先のひとつです。
自衛隊の倉庫など
烏島と蛇島、海上保安学校はその裏です。
大波の燃料庫
美しい青葉山
魚眼レンズのパノラマ合成、広すぎ
ここは、若狭湾国定公園です。抜群の景色と豊かな自然です。
平工業団地
引揚の地
大波地区からの青葉山、巡礼の道
舞鶴電脳工作室で、ちょっと作業、AMラジオのコイルを巻こうとしています。
食玩のデカール貼り
ボーイング777、神戸の新明和工業(川西飛行機の後身)がお腹あたりを作っています。
ブルインパルス、T-4練習機
食玩の飛行機は人気があります。
ガンプラはかなりマニアックなラインアップ