京都府舞鶴市引土折原から西舞鶴図書館まで散歩 2020/2/2(日) | yet another 舞鶴電脳工作室

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 京都府舞鶴市で、舞鶴電脳工作室(cyber Work Shop in Maizuru)と言う、プラモデル/ラジコン/鉄道模型/電子部品/街角工作室そしてプログラミング教室の店をやっています。いろいろ雑多な絵日記風のブログですが、よろしくお願いします。

2020/2/2(日)、京都府舞鶴市引土折原の義父母の家に引っ越しして(要するにマスオさんです),

初めて一晩明かして、荷物の整頓に追われていますが、昼過ぎに気分転換に西舞鶴図書館まで出かけました。距離にして1kmほどな感じです。

 昨日まで住んでいた高野由里から1kmほど高野川下流/西舞鶴駅がわにスライド移動しただけなのですが、さすがに西舞鶴市街地の中心近くなので、ずいぶんと雰囲気が違います。

 

引土の家を出て、数十メートルの所に折原公民館があり、西舞鶴らしく井戸があります。

折原やすらぎ地蔵さんの左わきに井戸があります。

舞鶴城(公園)に引かれていた最古級の上水道真名井の泉水系です。

笹乃井と言うんですね。良い名前です。

現代的

一筋、西側が国道27号線で、渡った所が西舞鶴高校です。

散歩コースです。引土というのは高野川の中下流域と言う感じなのですが、引土折原は国道27号線の東側です。西舞鶴駅そして舞鶴公園(田辺城/舞鶴城)に近く、まさに西舞鶴の中心部です。

 引土の家から、西舞鶴駅まで300m、西図書館までは1kmほどです。

こちらは、舞鶴公園(田辺城/舞鶴城)の城郭復元地図です。たっぷりとした本堀、内堀、外堀で、典型的な水城/穴城であったことが分かります。当初は、北側(下の地図では左側)は海辺で、関ケ原の前哨戦の有名な細川幽斎の籠城戦では、500人で15,000人を釘付けにすることができました。

 面白いのは、下側(西側)に水路が伸びていますが、これは高野川に接続する水路で、高野川は港だったことが分かります。北前船で北海道とさえ繋がっていたのでしょう。

引土折原の家を出て、西舞鶴駅まで一直線です。JRおよび京都丹後鉄道を使う西舞鶴高校生の通学路と言った感じです。

お花と書道の教室もあります。

新世界商店街に出ました。真ん中なトリコロールの入り口の二階が駅カフェさんで、舞鶴海自カレースタンプラリーの店です。第四術科カレー、まさに主計科です。

西舞鶴駅バス亭の横にある真名井の泉です。

反対側の西舞鶴駅のパノラマ、一番左が京都交通のバス亭です。

バスの待合室には、かまぼこの資料室があります。

カマボコつまり練り物の基本的な練機ですね。

いろいろな型枠

加工工程、西舞鶴は京都北部最大の漁港がありますので、豊富な種類の魚が水揚げされますので、カマボコが名産なのでしょう。

バス待合所らしい、一日乗車券の案内、本物のカマボコ板です。

舞鶴電脳工作室でもカマボコ板を使うことが条件のロボコンを考えています。

歴代の手形

嶋七蒲鉾さんのパンフレット

最高の品質です。何しろ西舞鶴漁港その場所にあるのですから。

舞鶴クレインブリッジと護衛艦とチョキ丸くん

まさに海の京都、港町舞鶴

年表

かまぼこの起源

ガマの穂、高野由里にはたくさんあります。

万願寺あまとうのラッピングバス、2年前にこのバスで、加佐地区の万願寺祭りに行きましたが、最高でした。なにしろ、物凄い数の万願寺甘とうと、その料理の数々でした。

舞鶴のバス路線

舞鶴市民にはお馴染みの京都交通

パンラマ、左端が舞鶴グランドホテル、そして西舞鶴駅、、、横断歩道を渡った所がバス待合所

舞鶴公園へ向かいます

西舞鶴の中心部

裁判所

これは外堀ですね。

左が西舞鶴警察署、そして明倫小学校、舞鶴城城門

舞鶴は「ちゃった弁」です。

警察署からの舞鶴城城門のパノラマ、かのふるさと創生基金一億円で再現されたそうですが、大正解ですね。

城門で、城主の「ゆうさい君」がお出迎え、舞鶴高専のJKがデザインのゆるキャラです、

城門を入ったところ、夏前の舞鶴城祭りでは籠城戦の入場武者行列が出入りします。

なかなか本格的です。

やぐら、お城好きにはたまらない展示物があります。特に甲冑とかは凄いです。

お勧めは、二階のジオラマです。とても良くできています。

史跡

西舞鶴民にはお馴染みの公園です。

360度のパノラマ、500人が余裕で籠城したというのが良くわかります。

心種園つまり細川幽斎が、朝廷からの古今伝授のための停戦の使者とあった場面が、ここで再現されます。戦後、家康は公家諸法度で、朝廷からの干渉を排した遠因となりました。

サギが常駐しています。

錦鯉、実は天皇陛下も来鶴されたとこにも寄られました。

これが古今伝授の松

古(いにしえ)も今も変わらぬ世の中に、心の種を残す言の葉

パノラマ

西暦1600年のことですから、420年前ですね。

西舞鶴港に豪華客船が入港したとこには、結構、外国人の方も散策されます。中国人の方でも日本庭園は珍しいのでしょう。確かに散策したくなる構成ですが。

裏手に出ました。実はここの石垣は発掘された初期のころのもので。城マニアにはたまらないでしょう。

遊歩道を歩きます。実は、ここは海舞鶴線の線路跡です。港町舞鶴らしいところです。

海舞鶴橋、舞鶴の真北がロシアのウラジオストックです。ロシア人も歴史的になじみがあります。

城北中学校が見えています。もちろん、舞鶴高専にも進学します。

私も出前授業で、モータやPLLモータ制御、IoTラジコンなどを実演しました。

左が目的地の西舞鶴図書館です。

右側(東側)は伊佐津川運動公園です。

城北中学校と西舞鶴図書館のパノラマ

四冊借りてきました。海軍糧食史は舞鶴らしいのですが、重巡高雄や戦艦山城の艦内炊事場の写真があって楽しいです。腹が減っては戦が出来ませんからね。

舞鶴公園を通って帰ります。、江戸時代の城主は牧野氏でした。牧野氏の子孫が集結したこともあります。

舞鶴公園らしい風景