三連休の最後に届いたもの | 無駄話。

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鬱病・適応障害持ちが書く与太話です。「下劣な党派心」による「あら探し」が多いので、合わない方はご遠慮願います。

 昨日は昼寝をしていたからか、すぐに寝付けなかった。午前8時近くまで寝ていたが延々と仕事が終わらない生々しい夢を見て目が覚めた。

 メルカリで購入した「本の話」が届いたので渡辺洋二が「錨のない船」を批判したところを読んでみた。ここでは「加賀乙彦氏」と作者名を明記している。元々連載していた「航空ファン」では「錨のない船」を批判した回があったそうだ。小説家が実在の人物を実名にして書いた小説などいくらでもあると思うが「ハードカバーの初版」では「変名」だったのを「三巻本の文庫版」では「実名に変えられていた」ので義憤に駆られたようだ。それなら渡辺洋二自身の「未知の剣」(「審査部戦闘隊」)で「しかし、もっと困ったのは、陸軍中将で飛行機好きの李王垠殿下」が第一航空軍司令部付(昭和18年に司令官)なのに一切言及しないし陸軍航空審査部との関係が見えてこないのはどうなのか?というより個々人の活躍や使用した機体や機材類の紹介は熱心でも陸軍航空審査部が航空本部から独立してから、どこが上部組織に当たる官衙なのかが分かりにくいのが、この本の欠点。他の本では英王李垠が司令官である第一航空軍「司令部の隷下にあるのは、戦闘の役に立ちがたい教育部隊ばかり」という記述があるが、この本でも書けばいいのに。要は第一航空軍と陸軍航空審査部とは直接関係はないが方子女王の従弟で歩兵科から航空科に転科して第一航空軍の参謀でもあった朝香宮孚彦王と違って第一航空軍司令官付から司令官となった歩兵科出身で新しもの好きな高宗の血を引いた英王李垠が職務上、関心を持ったというところだろうか?

 当の文春が「文藝春秋」で連載して単行本化した林真理子の「李王家の縁談」は昭和10年に李鍝公が突然、朴賛珠と結婚したかのような記述があるのは新城道彦に取材した結果?なのかもしれないが「朝鮮王公族」は該当時期を書いた「木戸幸一日記」上巻を何故か使っていない。「木戸幸一日記」の該当時期は「赤色華族」の岩倉靖子などについても書かれているので浅見雅男は「公爵家の娘」と「反逆する華族」で使っているのに何故気がつかないのだろうか?になってしまう。そもそも大正15年に王公家軌範が成立しているので勅許がなければ李鍝公の婚姻は成立しない。

 最後の方に「嘘を事実と称し、刊行された戦記がある。主人公たる架空の部隊のパイロットに化けた著者自身が、活躍し、敵機をあざやかに撃墜する内容だが、素人には作り話と見抜けない」と明記した個所があるが有名な本なのだろうか?文章から見て戦闘機乗りの話らしいのは分かるが陸軍か海軍かすら分からない。「そうして例とはちょっと違って、意識的にフェイクな回想を取材者に語る戦争体験者も、わずかだがいる」は渡辺洋二自身が書いている人物だろう。自身が取材した事があるアドルフ・ガラントの「始まりと終わり」はアドルフ・アイヒマンやハンス-ウルリヒ・ルーデルに近い事で知られる元武装SSのPK隊員だったヴィレム・サッセンがゴーストライターらしいのだから分からないものだ。